秦陽城の戦い マンドラゴラ絶対防衛線
武州人也
アヴドゥルとマグリヴ
汗をほとばしらせながら、草地の広がる訓練場を疾駆する一人の少年がいた。まばゆい日光の下に褐色の肌を晒し、やや長めの黒髪をなびかせている眉目秀麗の少年は、馬上で矢をつがえ、ぎりぎりと引き絞っている。
ひゅう、と音を立てて、矢が放たれた。空気を切り裂きながら飛ぶ矢は、真っすぐに的の中央を射抜いた。あまりにも見事な騎射である。どっと上がった歓声と、彼を賞賛する声を浴びながら、少年は馬首を翻して爽やかな笑顔を見せた。
訓練場の門を出た少年は、馬を傍らに停めつつ、きょろきょろと視線を左右に振っていた。先ほどの騎射姿からは想像もつかない、年相応の少年じみた仕草である。
「早く来ないかなぁ」
少年――アヴドゥル・アシィムは、代々射術を教え伝える武門の家柄に生まれた。祖父も父もタージャン王国に仕える高位の武官であり、自身もまた、幼少の頃から弓馬に親しんできた。
彼は同年代の少年と比べてそれほど背丈に恵まれはしなかったが、類稀な麗しい容姿と群を抜く騎射の腕は、周囲の目を引かずにはおれない。首都の城壁内で、彼を知らない者は一人としていない、といっても過言ではないだろう。
この時、アヴドゥルが待ちわびていた人物は、すぐそこにまで来ていた。
アヴドゥルを遠巻きに発見し、駆け寄ろうとする少年。アヴドゥルより少しだけ背が高く、彼よりもさらに長い髪を後頭部で結わえているその少年は、名をマグリヴという。アシィム家に仕える医師の子である。彼の一家は元々西方に住んでおり、代々村医師であったが、
「おぅい、マグリヴ」
マグリヴの姿を見つけたアヴドゥルは満面の笑みを浮かべ、右手を大きくぶんぶんと振っている。それを見たマグリヴは、足早に彼の所へ駆け寄った。
アヴドゥルはマグリヴを前に乗せ、自分は後ろから手綱を取り、馬を歩ませた。
「お前も一緒にこっち来てくれたら楽しいんだけどなぁ……」
「オレには薬学の勉強があるんだ。あれもこれもというわけにはいかないよ」
両者の両親は明確な主従関係にあり、当然弁えるべき上下の秩序というものがあるはずだが、二人はそうした身分差を全く意識せず、あくまで同年代の少年同士として付き合っている。寧ろ、馬に相乗りしている状態で、手綱を握って馬を御しているのがアヴドゥルの方であるのは、主客転倒も甚だしい。二人は小さい頃からの付き合いで、アヴドゥルにとっては顔も知らない異母兄弟たちよりも、マグリブの方が親しみを感じる相手であった。
「お前だって馬ぐらい乗れるようになった方がいいだろ」
「そりゃまぁそうだが……でもオレには使命ってもんがあるんだ。アヴドゥルが将来将軍になるっていうなら、オレは将軍閣下お付きの立派なお医者さんにならなきゃいけないからさ」
「なるほどなぁ……じゃあそん時はよろしくな」
そう言って、アヴドゥルは「あはは」と陽気に笑った。
アヴドゥルが武術の訓練に励んだり兵法の講義を受けている間、マグリヴは薬学を学んでいた。いずれ、この二人は自らの親同士と同じように、軍人とその部下の医師となるであろう。
二人の乗る馬は、アヴドゥルの住まう屋敷へとたどり着いた。
「じゃあな、マグリヴ」
「毎度すまない。オレが馬に乗れないばっかりに」
「前にも言ったじゃないか。気にするなって」
マグリヴを馬に乗せて帰ると、決まって彼は申し訳なさそうな顔をする。アヴドゥルにとって、それは面白くないことである。きっとマグリヴ自身、親同士の主従関係というものを意識しているのであろう。大人の世界のしがらみに影響されることを、アヴドゥルは好まなかった。
マグリヴが歩いて帰ったのを見届けると、アヴドゥルは屋敷の門をくぐろうとした。その時、ふと、足元に見慣れないものの存在を認めた。
「何だろうこれ……花?」
門の脇に、見たことのない薄紫色の花が咲いていた。花弁の様子はアブラナの仲間のようであるが、アヴドゥルの知るアブラナの仲間のどれにも当てはまらない見た目である。
「これ持ってったらあいつも喜ぶかな」
この時、アヴドゥルはマグリヴが花を集めて押し花にしていたのを思い出した。昔は女みたいな趣味だと思っていたが、薬学を学ぶ上では植物の種類を同定することが大事なのだからと彼に強弁されて、自らの浅薄な考えを改めたのであった。
茎の根元を持って引き抜こうとしてみたが、中々抜けない。腰を低くして、まるで芋掘りのような姿勢で引っ張ってみると、それは土を散らしながら引っこ抜けた。
その時、アヴドゥルの耳を、まるで女の金切声のような音がつんざいた。
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