ただ、灰に埋もれるのではなく

 別に、いいことのない生だったとはあたし……灰野燐は思わない。

 手がいくら血濡れても、いくら他人を不幸にしても、幸福にしても。特に感じることはなかったから、不幸だと思いにくいだけなのに。

 殺すことも騙すことも覚えた。生かすことも助けることも知った。だけど、私は結局最後まで打算と生きるためだけに生きて、然るべき時糸が切れるように死ぬのだとばかり思ってた。


 思うにあたしは……優秀な駒だったのだろう。焦らず、逸らず、揺れず。結果を出す従順な駒ではあったけど……単なる歯車。あいつとは全然違った。


 ……ついて行けばよかった、とは思っていない。あんな無鉄砲なバカについて行ったって死体が増えるだけ。まあ、結局のところバカと同じ愚を繰り返したけど。


 …………けれど、あのときあたしが撃ち殺せればよかったとは思ってる。そしたら、あいつの死は私のものだったんだから。


 そうだ。あいつとの生活は……悪くなかった。あてがわれたパートナーで、同僚だったけど。不思議と息は合ったし、たまに遊ぶときは楽しかった。

 ……できたらあいつともっと映画とか見たかったし、海水浴も登山もやれてない。思い返すと、対した時間を共にしてないのに、何故だか彼と過ごした時間だけが思い出を埋めて占領している。


 あたしが人生らしい人生を送れたのは、きっとあのときだけだろう。



 ……黒色の空から降る雨はただただ降っているだけ。冷たくも、痛くもない。

 

 はぁ。と溜息が出てしまう。天気予報は晴れだったのに、結局あたしの人生は曇天に付き纏われていた。降るのが鉛色の雨でないだけ、マシだと思おう。

 そうだ、いつだって死ぬのを見た。看取った。与えた。奪った。今日が、精算の日というだけ。誰にでもある日が、生きるという魔法が切れた時間が今。

 ならば……あたしにお似合いのこの今は、死ぬのにはいい日なんだろう。

 



 食べたいものを食べる気力もなく、映画を楽しむ余裕もなく。ふらふら歩いて、気がついたらあたしは墓場についていた。


 シーズンじゃないからか、誰もいない。意識して歩いてたわけじゃないけど、死ぬならまあここが一番それらしいだろう。

 街中の喧騒も、雑踏の煩わしさも、何もない静謐な死が埋まっている世界。


「…………お似合いね」

 


 骨も埋まっていない安っぽい墓石の前に、座り込む。……花の一つくらい持ってくればよかったかしら。

 とりあえずコートのポケットに入ってた飴を一つ置いておいてやる。あいつが好きだった、安物の飴。


「……結局、何が正しかったのか。あたしにはわからなかったわ」


 痛む体と切れそうな命脈も忘れて、あたしは自嘲する。……そのままいない死人に会話する気もないし、濡れるままによりかかる。

 


 ……走馬灯、のようなものが頭を過ぎていく。

 無味乾燥な情報は通り抜けていくだけだけど……うん。それでも輝くメモリーがあった。大切な、思考回路に凜然と光るもの。


 裏切ったときから、死ぬならその辺で野垂れ死ぬか、死体も残らないくらいだと考えていたから。まあ、これは。悪くないかな。

 ……最後くらいは運命に抗って、全力で生きることはできたんだから。


 ノイズまじりの視界を閉じる。目蓋はもう上がらないだろう。それでいい。苦痛は過ぎ去り、結局何も為せないまま死ぬだけのあたしには勿体無いくらいの、緩やかな死だ。



「ひでえ顔。お前、何泣きながら死にかけてんだよ」

「泣いてないわよ。雨よ。バーカ」


 最後に、あいつの声が聞こえたような気がして━━━━あれ?


 

 目を、ぱちぱちさせると。


「よ。燐。久しぶり」



 皮肉っぽく、憎らしく笑うあいつの顔が、すぐそばにあった。


 ……これが能力者の幻覚でないか、或いは幸せな空想でないかなんて驚嘆に埋まった思考じゃ思い浮かばず、でも。喜んで抱きつくのはあたしのキャラではないし。


「……へぇ、何よ。見ないし連絡もないからもう死んだもんだと思ってたわ。墓代返してよ」

「うるせえな。連絡したらお前が殺しに来るだろ」


 …………そりゃそうだ。なら、なんであたしのところにこいつは来てるんだろう。


「そりゃ、お前が敵じゃなくて仲間だから」


 なるほど、とっても単純で━━気持ちいい話だ。


「……おいおい、にしても馬鹿かよ。せっかく反抗したってのに電池切れなんかで死ぬなんてよ」

「しょうが……ないじゃない。定期メンテも修理もなしでよくやれたもんよ。……ほぼ生身のあんたと違って、使えるバッテリーとかを奪いながらやるのは大変なの」

「へいへい。ほら、最新のバッテリー入れてやるから服まくれ」


……デリカシーのないやつ。


 数年経てば変わるかと思ったけど、結局何も変わってないじゃない。……まあ、こいつの顔は、少しだけ良くなった気がするけど。



 …………そして、手が差し伸べられる。

 綺麗に死ぬにはかっこがつかないけれど、久しぶりに握ったその手はあったかくて……頼もしかった。


「ほら、とっとと立て。…………気付いてないのか? 囲まれてるぞ」

「……え、嘘!? あ、ホント…………ちょっと、じゃあさっさと逃げなさいよ!」


 旧型の感知機じゃ最新のステルスには弱い。…………いや、それ以前だ。まあどうせ死ぬからと。警戒もしてなかったんだけど、確かにうざったいのが散見できる。

 …………あたしが囮になれば、なんて言おうとしたけど。


「馬鹿言うなバカ。二度と。俺がお前を置いて逃げるかよ」



 ……何も、変わってないじゃない。

 

 立ち上がる。かつてのように、いつものように。一応最悪を考えた自決用の拳銃はあるけど、流石に数発しか弾がない。


「予備の武器くらい持ってきてるでしょ?」

「ほらよ、お前が使ってたやつと同じやつ」

「……ちょっと! 一丁しかないじゃないの!」

「仕方ねーだろ、こっちは毎日必死でやりくりしてんだ! あんなバカ戦法できるか! やりたきゃ奪ってこい!」


 ……久しぶりに、こんな風に言い合って、顔を見合わせて、馬鹿みたいに笑って。まるで魔法がかかった━━いや、魔法が解けたかのような高揚感。


「……しょうがないわね。巻き込まれんじゃないわよ! 相棒!」


 背中を預けあうのは、随分と愉さ快なことだった。


「そっちこそ。だぜ! 相棒!」


 これは、終わりが先延ばしにされただけかもしれないけれど。

 少なくともこいつの隣なら……いい終わりがあるだろうと、そんな根拠のない確信があった。



 灰色の二雫が飛び、そして曇天はいつの間にか消えていた。

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