第389話 みんな、ありがとう

 やけくそになったような司教の命令に、神官兵士らしい二人ほどが槍をとり、私に向かって来る。その眼は信念というより狂信に染まっていて、頭上の火竜など眼に入らないかのように、ある意味迷いがない……これはマズいわ。じわじわ焼かれることに対しては治癒の業を頑張れば粘れるけれど、心臓を一突きされたら、間違いなく死ぬしかない。


 いやだ、死にたくないよ。やっとカミルが好きだって気付いて、その彼が助けに来てくれたんだもの。もう少し生きたい、せめてもう一度、カミルを抱き締めるまで。そんな無駄な願いを胸の中で唱える間に、神官兵士が私の両側に立ち、槍を構え……私は来たるべき刺突に身体を強張らせ、固く眼をつぶった。


 が……いつまでたっても、槍が私の脾腹を貫く気配がないのだ、おかしいな。恐る恐る眼を開けると……そこには力を込めて槍を構えた、兵士の石像が。あれ、こんなことができるのは……


(ママっ、なんとか間に合ったよ、ほめて!)


「ルルっ!」


 バタバタとしたあまり優雅じゃない羽ばたきの音が響き、私の肩がぐっと重くなる。そこにはもちろん、私の大事な娘……コカトリスのルルがいた。


(けっこうギリギリだったよね、カミルにはあとでおこっておいてあげる!)


 振り返れば、広場に金色の影が飛び込んできて、なお私を害そうとする教会の連中を次々体当たりで吹き飛ばしている。その影はそのまま、私を苦しめ続けている焚火に飛び込んで、思わず見とれるほど美しい毛皮が焦げるのも厭わず、燃える薪を掻き除ける。


(ロッテお姉さん、遅れてごめんなさい、もう少しの辛抱ですからっ!)


 伝わってくる念話の主はもちろん、間違えるはずもない。私の大切な妹、ビアンカだ。虎型のまま火を除けてくれたせいで、彼女の前肢もあちこち焼け焦げ、肉球はただれているのに、私を苦しみから一刻でも早く救おうって、そればかり考えてくれてる優しい子。こんな時なのに、思わず涙があふれてしまう。


「敵に突破されました、うわあっ!」


 兵士の悲鳴が聞こえたかと思うと、騎馬の小集団が広場になだれ込んできた。その先頭に立つのは、黒馬に跨って黒い軍服に身を包み、こげ茶の髪と明るい茶色の瞳を持った、素敵な騎士……もちろん、テオドール様だ。他国の皇弟殿下が市街突入戦で先陣を切るなんてヤバすぎると思うけど、それだけ私のことを、心配してくれたんだろうなと思うと、とっても嬉しい。


 瞬く間にテオドール様の指揮するアルテラ人部隊が私の近くにいた敵を切り伏せ、後続のバイエルン軍の部隊が広場を制圧した。


「聖女……すまん、こんなに遅くなってしまった」


 そう言ってテオドール様が、預けたグルヴェイグを振るうと、私を拘束していた鉄のワイヤーがぶつっと千切れる。支えを失った私が倒れ込むところを、ビアンカが優しく受け止めてくれた。残念ながらもはや精神力も体力も売り切れてしまってボロクズのような私は、彼女の柔らかな毛皮に、身をうずめるだけだ。


「ううん、みんなが来てくれて、とっても幸せだよ」


 もう、足にも手にも、感覚がない。たぶん一生歩けなくなっちゃうと思うけど、こうやってみんなと会えて、これからも生きられるんだ。そう思うと、とっても幸せ……なんだか、背中から暖かい想いが、染み込んでくる感じがするわ。あれ、でも何か手足に違和感が……


「ひゃうっ!」


 不意に焼けただれた足に痛覚が戻って、私は変な叫び声をあげた。


「あっごめん、強すぎたよね。ついこんな姿を見ちゃったら、本気で癒してしまって……」


 あっ、この優しいアルトは。痛みをこらえて振り向くと、そこには黄金のように豪奢な髪と、ラピスラズリのように深く青い、涙の膜がかかった瞳……


「レイモンド姉様っ! あ、痛っ!」


 思わず、ぎゅっと抱きつこうとして、感覚の戻った手の痛みに悲鳴を上げてしまう私。


「ダメよ、無理しちゃ。普通だったら間違いなく手足を切断しなきゃ死んじゃう怪我なんだから。でも大丈夫、ロッテ専属の『大聖女』が、全力で治してあげるからね」


 そう言いながら姉様が、私にも見えるくらい強くて青いオーラをまとった右手を、醜く焼けた足にかざす。何とも言えない痛みを感じるけれど、どこか優しい痛み……そしてそれが引いた時には、私の足は何事もなかったかのようにつるつるに戻っていた。


「うん、久しぶりだけど、上手にできたみたい。可愛い妹のためだものね、ふふっ」


 そう言って微笑むレイモンド姉様は聖女と言うより、もはや女神だわ。


「あら、ようやく主役が来たみたいね。ヒロインを解放してあげないと」


 なんのことだかわからず振り向いた私の眼に映ったのは、空駆ける紅い影。


 その影はゆっくりと羽ばたきながら空から広場に舞い降りる。また一回り大きくなった火竜が空に向かって一鳴きすると、彼は溶けるように縮んでいって……たくましい青年の裸体が、そこにあった。


「ロッテお姉さん、帰ってきたよ」

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