第327話 お母さんの遺骸
ディートハルト様が手紙を読み終わった時、いつものごとく泣き虫の私は盛大に涙を流していた。卵を守るために生命を投げうった火竜さんが、妻子の身代わりに死んだクララのお父さんの話にかぶっちゃって、なんだか悲しさが止まらなくなってしまったのだもの。ビアンカがそっと差し出してくれたハンカチは、もうぐちゃぐちゃになっちゃっている。
「そうなると、ダンテが英雄って話は……」
「英雄どころか、信義をわきまえぬ卑怯者ということになりますね」
虚脱したような表情の村長さんに、ディートハルト様が冷静に応じる。村長さんのショックはわからなくもない、ここ二十年ほどの間、村の秩序を左右してきた英雄伝説が、とんでもない虚構だったって聞いちゃったら、力も抜けようってものよね。
「うむ、これはダンテの集落に事実を伝えねばなるまい。ダンテ本人は……真実を知らぬまま石に変えられてしまったのが、むしろ幸せだったということだろう」
いっときの空虚な表情から覚めた村長さんは、明日からの村をどう運営していくかに、思考を切り替えたみたいだ。多分ダンテの配下だった人たちのショックはもっと大きいだろうけれど、あの妙な英雄信仰から早く覚めてもらったほうが、村の経営はやりやすくなるだろう。
だけど私にとっては、村のことよりカミルのことが心配だ。
「この書状の流れからすると……死んだ火竜さんが、カミルのお母さんということになるのかな」
「うん……たぶんね」
カミルは取り乱していないけれど、その顔色は真っ白で血の気が感じられない。
「そして多分、火竜の洞窟にいた人間が、僕の父さんなんだと思う」
「金のオーラを持った人って書いてあったよね。そんな人いるのかなあ。ディートハルト様、何かご存じですか?」
ま、こういう難しいことは賢者様にぶん投げるしかないよね。だけどいつも歯切れのよい賢者様が、今度ばかりはなにか言いたいことをこらえているような雰囲気だ。
「う~む、思い当たるフシがないわけではないのですが……これは軽々に口にすべきことではなさそうです、もう少し詳しく調べてからでないと」
「これ以上調べるって、どうやってですの?」
「ほら、これです」
ディートハルト様が指し示したのは、さっきの書状の最後に付けてあった、一枚の絵図。そこには四つの集落と岩山が描いてあって……山の中腹あたりにバツ印がつけてある。
「恐らく、ここが火竜のいた洞窟でしょう。関係者はみんな事件後間もなく死んでしまったようですから、遺品などはそっくり残っているかと」
「その洞窟に行くということですの?」
「い、行こう!」
カミルが嚙み気味に叫んで、私たちの調査旅行は、何だか冒険旅行に変わりつつあった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
翌々日。私たちは火竜の洞窟へ出発した。本当はすぐにでも行きたかったのだけど、帰りに色々証拠品を持ち帰らないといけなそうで、人手がいるのだ。そのためには、村の人たちに討伐の真相を説明しないといけなかったからね。
予想通り、村人たちの受けた衝撃は大きいみたいだった。特に精神的に支配され盲目的にダンテに従っていた人は、その話を聞いた後はしばらく立ち上がれなかったくらい。
さすがにそこまで虚脱しちゃってる人を連れて行くと危ないので、今日は「不満だったけど仕方なく従っていた」人から体力のありそうな人を十数人ほどセレクトして、ガスパルさんをまとめ役として、ついてきてもらっている。
岩山までの道のりは楽しく歩けたけれど、いざ登りになったとたん止まってしまうのが情けない私の足だ。
「お姉さん、獣化して、お乗せしましょうか?」
ビアンカが気を遣ってくれるけど、さすがにこんだけたくさん男性がいるところで彼女に服を脱がせるわけにはいかないでしょ。まだ肌寒い季節だと言うのにだらだら汗を流して、ビアンカに手を引かれカミルにお尻を押されながら、必死で登ったよ。
その洞窟は、不意に眼の前に現れた。本当に、崖を登り終えたとたんにぱっと視界に飛び込んでくる感じなんだ。入口は決して狭くないのに、麓からは見えない。まさに隠れ住むには絶妙のスペックと言えそうね。
そして岩屋の中には、ガスパルさんの祖父が書き遺したことを証明するものが、残酷な状態で残っていた……火竜の遺骸だ。
もちろん、生命を失ってから三十年ほど、肉体は朽ち果てている。だけど無敵の強度を誇る火竜の鱗はまったく劣化することなく、まるでガーネットをスライスしたかのように鮮やかな紅に輝き、やはり朽ちずに残っている巨大な骸骨のまわりに、まるで紅葉の時期であるかのように美しく散っていた。
「……母さん」
カミルが、放心したように竜の骨に近づき、その頭蓋骨を両手で抱え、胸に引き寄せる。そして愛し気に頬ずりをすれば、彼の閉じたまぶたから、雫があふれ出る。
「母さん、母さん、母さん……」
そうだ。彼の身体がすっかり大人のそれに育ち切ってしまっているのを見慣れてしまった私たちだけど、彼はまだ十二歳なのだった。もちろん覚悟はしていただろうけど、実際に母たる火竜の骸を目の当たりにすれば、感情があふれるのも、仕方ないよね。
私も、ある感情にかられて、揺れるカミルの背中に身を寄せて、ぎゅっと抱き締めた。カミルは一瞬びくっと身体を震わせたけど、やがて全身から力を抜いた。
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