第273話 これはデートですか?

(敵が、動き出したね)


「うん……すごい大軍ね。覚悟を決めないと」


 国境の森はるか上空で、竜化したカミルと私は念話を交わす。


 そう、敵状偵察は空からが一番早い。それが可能なのは竜化したカミルしかいない。そして私は彼の背に乗って、大空を飛んでいるのだ。


 その朝、どうしても自分で敵状を見たいとわがままを言った私に、みんなはため息をついたけれど、だれも止めようとはしなかった。


「ロッテお姉さんは流されやすいくせに、一旦言い出したら聞かないところがありますからね。まあカミルなら、お姉さんを振り落としたりすることもないでしょうし」


 ビアンカがこう言って肩をすくめる脇で、ヴィクトルはもう私の搭乗席をカミルにくくりつける算段を始めていた。信頼されているのか、あきれられているのか……後者ではないと、信じたい。昨夜のことが気になって彼の方にちらっと視線を送ってみるけど、ヴィクトルはもうそんなこと忘れたかのように、淡々と振舞っている。男の人って、そういうものなのかしら。


 そして初飛行に向かう私を、数千の兵が歓呼の声で見送ってくれた。まあ火竜は目立つからね、秘かに飛び立つなんて、無理だから。


 多くの兵にとって、一昨日の夜に突然現れた火竜は、人生最大の驚愕すべき事件だったはずだ。だけどシュトローブルの兵たちは、彼が自分たちを緒戦の大勝利に導いた立役者であることを、きちんと理解していた。そして昨日も姿を見せた竜を、最強の戦友……いやむしろ守護神として、崇めるような様子を見せてくれている。もちろんその竜が、カミルの変化した姿だなんてことを知っているのは、ごく限られた首脳陣だけなのだけれど。


 それにしても、私がカミルに乗り込むときの盛り上がり方は、ものすごかった。なぜ、偵察に行くだけなのに、みんなが喜んでくれるんだろう。


「それはそうでしょう。皆が憧れる『献身の聖女』が、自ら先頭に立って敵情視察をするのです。それも、バイエルン北部の民にとっては信仰の対象ともなっている、火竜に乗って。きっと今日の姿が王都に伝われば『巨竜に乗り空駆ける聖女』の話題で盛り上がること必定でしょうね」


 戸惑う私に、ディートハルト様がぶっこむ。うはあ、見る人によっては、このシーンはそうなっちゃうのか。私はため息をつきつつ、羽ばたきを始めたカミルの背から、兵に向かって手を振った。こんなんで士気が上がるなら、やるしかないからね。また、歓声が上がる。


 一旦飛び立った後は、カミルと二人きりの世界だ。


 眼がくらむような高さと足元に何もない不安感に最初は戸惑ったけれど、カミルが優しく飛んでくれたこともあって、すぐに慣れて……私は初めて見る上空からの景色に、心を奪われた。そうか、空飛ぶ魔獣さんたちは、こんな世界を見ているんだ。これが軍事行動じゃなければ、本当に素晴らしい瞬間を、カミルと共有できたはずなのに。


 見下ろす大地は、一面の針葉樹林。森の中でも敵は前進を試みているのでしょうけれど、もちろん上空から窺うことはできない。ここはサーベルタイガー部隊に任せるしかないわ。


 森の中を一本、街道が貫いている。明らかにアルテラ軍の手で拡張されていて、歩兵だけでなく、アルテラの誇る大陸最強の騎兵や、投石器や移動櫓なんかの攻城兵器で埋め尽くされて、ゆっくりと移動している。ああ、すでに敵主力は、国境を越えたのだ。覚悟はしていたけれど、実際にこの眼で見ると、背中に緊張が走る。


(兵隊もそうだけど、攻城兵器が多いね)


「うん。本気で、シュトローブルの街を陥とすつもりなんだ」


 あんな数の兵器が城壁に取り付いたら、もう街を守り切るのは無理ゲーだ。投石器から放たれる巨石が城壁をうがち、攻城櫓からは次々精兵が送り込まれてくるだろう。そうなってしまったらシュトローブルの人たちの運命は、もう決まりだ。財貨や食料は略奪され、男は殺され女性は乱暴され、子供は奴隷としてアルテラに連行されるだろう。それだけは、させちゃいけない。私たちがここで、主力を止めなければ。


 焼け跡に築いた陣地に舞い戻った私たちは、クラウス様やディートハルト様に状況を説明した。間もなく、敵の……とてつもない数で押し寄せる敵の隊列と、遭遇するだろうと。みんな緊張はしているけど、受け止めは冷静だ。来るものが来たという感じなのだろう。


「まあ、カミル君と大賢者殿のお陰で初戦を圧勝して、こうして有利な地歩を占めることができているのだ。敵の出口は狭い街道のみ、圧倒的兵力差が我々の不利に働かないのだ。後方に回り込まれなければ、勝てないまでも負けない戦いができよう」


「森はヴィオラたちが守っているのです。大軍の迂回を許すようなことは、決してないでしょう」


 ディートハルト様のコメントに嫁愛が溢れすぎちゃってる気がするけど、まあそこは、置いとこう。とにかく、今日の戦いが、すべてを決めてしまうのだから。


 落ち着かない私の背中に、ひんやりとした掌が当てられる。


「ふふっ、カミル君との空中デートは、どうだった?」


 そんな呑気なことを、微笑みながら言うレイモンド姉様。


「いや、あれは、偵察行為だから! デートじゃないから!」


「ふむ、確かに若い男女がぴったりと身を寄せ合って空の散歩とは……デートですな」


 ディートハルト様が真面目くさった表情でそんなことを言えば、


「そう言われたら、確かにデートだな。そうか、何か俺も妬けてきたなあ」


 ええ~っ、ヴィクトルまで!


 気恥ずかしさに頬に血をのぼらせる私を囲んで、シュトローブル軍首脳陣のみんなの笑い声が響いた。戦の前だと言うのに!

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