第266話 ひたすらいじられる私

 とりあえず私はヴィクトルと、大人の階段をたった一段だけだけど、登ってしまった。


 翌朝すっかりお酒も抜けて羞恥心も度胸も元に戻ってしまった私は、ヴィクトルの顔をまともに見られなかった。ヴィクトルは憎らしいくらい、平然としていたのだけれど。


 シュトローブルの総督府に戻ると、ビアンカとルルが意味ありげに私の方を見ている。一方カミルは少しすねたような顔をしているの。うん? 留守中に、何かあったのかしら。


「おめでとうございます、お姉さん!」

(ママ、よかったね!)


 何がめでたくて何が良かったのか、さっぱりわからない。私が怪訝な顔をすると、カミルが口をとんがらせながら、タネ明かしをしてくれた。


「お姉さんの口の回りに、ヴィクトル兄さんの魔力がたっぷりついてるからね」


 え? あ……そうなの? そうなると昨夜のあれやこれやが、みんなにバレちゃっているということなの? これは恥ずかしいなんてものじゃないわ、勝手に頬も耳も熱くなってしまうのを止められない。


「僕が反則をやっちゃったから、一回はヴィクトル兄さんにお姉さんを口説くチャンスをあげようってことになったんだけど、きれいに決められちゃったなあ。失敗だったよ」


 口ではそう言いつつ、カミルの眼は優しい。


「あ、ご、ごめんカミル」


「お姉さんが謝る必要なんかないよ。僕はお姉さんに幸せになって欲しかった、ヴィクトル兄さんとくっついて幸せだったら、それでいいんだ。本当は、僕自身が幸せにしてあげたかったけどね」


 そんな泣かせることを言われたら、やっぱり私の中の泣き虫が暴れてしまう。私はいつの間にか広くなったカミルの胸に顔をうずめて、彼のシャツを濡らしてしまった。


 ん? でも、みんなの話を聞いていると、今回の獣人村行きは、私がヴィクトルとくっつくように、仕組まれていたっていうことなの? その疑念をビアンカに聞くと、彼女は鈴を転がすような声で、あっさり認めた。


「ええ、もちろんですよお姉さん。今回は二人きりになれるように、みんなで協力したのです。だって、ヴィクトルお兄さんがあまりに紳士的で、進展しないのですもの」


(そうだよ! ルルだってママと一緒にいたかったけど、ビアンカが邪魔だっていうから)


 うはあ。そしてちょろい私は、ビアンカたちの注文通りに踊ってしまったというわけなのね。もう一度耳まで紅くなる、私なのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 私が出かけている間に、ルーカス村聖女宿の支配人を何とか引き継いで、クララがシュトローブルに引き上げてきていた。これから赤ちゃんを産むまでは、街で暮らす予定なのだ。


「あら、ようやくですわね」


 ふといたずらっぽい顔になった彼女が、妙なことを言う。


「え? 何が『ようやく』なの?」


「めでたく、儀式を済まされたようなので」


 うっ、そうだ、クララも魔力が見える子なのだった。なんだか今日は公開羞恥プレイ状態で、頬に血がのぼりっぱなしだ。


「うふふ、私は嬉しいのですよ。ロッテ様が誰かと想いを通わせることができて。いつもロッテ様は他人の心配ばかり……ご自分だって、幸せになるべきなんですもの」


「あ、うん……ありがと、クララ」


 そうだった、この子はいつも自分のことなんかそっちのけで、私のことを第一に考えてくれていた。本気で、喜んでくれているんだ。


「いやはや、シュトローブルいちの勇士も、男女のことになるといささか意気地なしになられるようですからなあ。いったい総督とのことをどうするつもりなのか、心配していたのですよ。ようやく勇気を振り絞りましたか、めでたいことです」


 そう言いながら私の前にサイン待ちの書類をたっぷり置いていくのは、アルノルトさん。いつものかしこまった様子とは違ってニヤニヤと、なんだか言いたいことをこらえている感じ。おとなの余裕を見せつけられているみたいで、ちょっと悔しい。


「う~ん、どこに行ってもイジられる……」


「シュトローブルのみんなが、ロッテ様の幸せを願っているということですよ」


 私がスネ気味に愚痴をもらすと、クララがクールな眼を緩めて、優しくなだめてくれた。


「そうです。シャルロッテ嬢は聖女としても貴族としても、そして軍事指揮官としても今もっともすばらしい成果を上げておられ、評価されている女性です。バイエルンの至宝と言っても過言ではない。ですがそれは、自己犠牲の精神と高潔な志、そして男たちも及ばぬ勇気の上に立った結果でしょう。自らを顧みず周囲を幸福にするなんてのは実に素晴らしい志ですが、それだけでは寂しい。貴女を愛する者たちは貴女に、普通の女性としての幸福も、味わっていただきたいと願っているのですよ」


 アルノルトさんが真剣な眼で、そう訴えかけてくる。


 別に私は自己犠牲の精神を発揮したわけでも高潔な志に基づいてあんなことやこんなことをやらかしたわけじゃない。その場の雰囲気に流されてしまった結果がこうなっただけなのだけれど、私に甘いみんなの眼にそう映るかもしれないことは、否定しない。そうやって誤解したみんなが私の人生を心配してくれるのはとっても嬉しい。嬉しいのだけど、ちょっと疑問が。


「ねえ、魔獣のヴィクトルとくっつくことが、『普通の女性の幸せ』になるのかな?」


「ふふふっ。そこは、ロッテ様ですから」


 何なのよ、それ!

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