第263話 初収穫!

 バタバタと過ごしているうちに、陽射しが初夏のものとなってきた。


 そう、この季節をずっと待っていたのよ。小麦が、収穫出来る時期を。収穫前に敵兵が乱入してきたら、運よく勝てたとしても、この冬をしのぐのが厳しくなる。敵が攻城兵器なんかを持ち出してきたのは計算外だったけど、おかげで進軍準備が遅れて開戦前に刈り入れができたわけだから、悪い面ばかりじゃなかったってことかな。


 そんなわけで私は、獣人村で初めての、小麦収穫に立ち会っている。


 顔を出せばいいだけのお仕事なので、ここんとこ殺人的に忙しかったらしいビアンカには休暇をあげた。そしたらヴィオラさんと一緒に、サーベルタイガーたちのところに行くんだって。ルルも久しぶりに森に入りたくなったみたいで、ビアンカについて行ってしまった。なんだか成り行き上、私の隣にはいつも通りに優し気な微笑みを浮かべたヴィクトルだけがいる状況になっているのだ。


「さすが獣人だね。秋の種まきまでにこんなに広い畑を拓いたんだからなあ」


 ヴィクトルが漏らした感慨は、私と共通のものだ。昨夏に獣人たちをこの新村に連れて来た時、最低限の整地、そして当面の食料や住居を提供したとはいえ、周囲は一面の森だったのだ。だけど身体だけではなく精神も強靭な獣人さん達は、新村長であるフェレンツさんの指揮のもと到着翌日から疲れも見せず全力で開拓を始めた……男も女も、子供も老人も。そして麦の種をまくべき秋までに、驚くべき面積の畑を造り上げたのだ。


 この冬の気候が穏やかだったこともあって、眼の前に広がる畑は黄金に色づいて、豊かな実りをもたらしている。村を養うに十分な量が獲れるとは言えないけれど、この麦は王都で「聖女印」のクッキーやパンとして高価販売されることが決まっているのだ。リンツ商会の手腕もあって、獣人村の小麦一ブッシェルにつき、普通の小麦二ブッシェルに交換してもらえる手筈になっているから、村人がこの冬飢えることは、おそらくないだろう。


「ほんとだね。人間じゃこうはいかなかったよね……」


 そして、刈り入れのスピードも、人間のそれに比べたら、ものすごく速い。あっという間に畑が裸になっていって、麦束が稲架につるされていく。数日このまま乾燥してから、脱穀をするのだそうだ。


 かなりの重労働だと思うのだけれど、畑で働く獣人たちの表情は輝いている。そうよね、この一年近くの苦労が、ようやく報われる日が来たのだもの。


「みんな、聖女様に感謝しているのですよ?」


 そう言いつつ冷えた野草茶を差し出してくれるのは、雪豹獣人のペトラさん。リンツ商会の仕掛けで始めた「聖女の守護したもう獣人村で 妖魔石像鑑賞を堪能」観光ツアーがなかなか好評で、おカネや語学、営業手腕を買って観光窓口役をやってもらっている彼女は、忙しい日々を送っているらしい。


「いや、私はそんな……」


「そうです!」


 ちょっと引きかけた私の横から、ものすごい勢いで食いついてきたのは、作業の手を休めて来てくれたらしい新村長のフェレンツさん。妹のジェシカさんも一緒だ。


「聖女様は、アルテラの圧力に押され、二進も三進もいかなくなっていた我々に、希望を与えてくれたのです。そしてその希望は、今現実となっています……本当にありがとう」

「そうですっ! 聖女様は私の左手だけでなく、村のみんなに未来を与えられたのです!」


 異口同音に過分な賛辞を浴びせられると、なんだか居心地悪くなってしまう。気が付くと畑に散らばっていた獣人さんたちがみんな作業を停めて、私の前に集まってきてしまっている。うわっ、これって私、完全にお仕事の邪魔しちゃってるってことだよね!


 わたわた慌てる私を横目に、フェレンツさんが獣人さんたちに大声で呼びかける。


「この村を我々に与えて頂いた、聖女様がわざわざ見えられた! みんな、感謝申し上げるのだぞ!」


「聖女様、ありがとう!」「夢みたいだよ!」「もっと一生懸命働くよ!」


 口々に喜びの声を上げてくれる獣人さんたちの姿を見ていたら、なんだかまた私の泣き虫がむずむずしてきてしまった。いかんいかん、ここで泣いたら、引かれちゃうよね。じわっと溢れてくるものをこらえて、右手を左肩に当てる東教会風のお祈りポーズで微笑みを返すと、集まったみんながまたわあっと盛り上がる。


「そうだ、最初の小麦に、聖女様の祝福を頂けないか?」


 誰かが上げたそんな声に、そうだそうだというような声が重なる。え? また「祝福」なの?


 私が混乱している間に、ジェシカさんがいそいそと、ひと籠の小麦を抱えてきた。それがどんと眼の前に置かれる。え~、やっぱり、何かしないといけない流れなのよね。


 結局流されてしまう私は、覚悟を決めて目を閉じ、十を数えるくらいの間お祈りポーズをとった後、肩から離した右手を、籠の上にかざした。私の手からふわりと何かが小麦に流れていった気がするけど、あくまで気がしただけね。


 眼を開くと、村人たちがものすごく盛り上がっている。ふうん、この麦どうするつもりなんだろう、何かお祭りのときにでもみんなで食べるとか、そういうやつかな。ライトにそう考えていた私がふと気づくと、村の営業担当ペトラさんがなにか悪いことを考える顔をしていた。


「ペトラさん、どうしたの?」


「うふふ、いいことを思いついたのです。この『聖女の祝福付き』特別小麦は、いくらで売れるんでしょうってね!」


 後日、この小麦を使ったクッキーが、ただでさえ普通のクッキーの三倍以上する「聖女印」製品の、さらに十倍の価格で売られてしかも完売したという知らせをグスタフ様から聞いて、頭を抱えることになる私なのだった。

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