第73話 バイエルンだ!
棹で河底を突いて進めるタイプの船だからちょっと慣れなくて苦労したけれど、何とか対岸に船をつけることができた。荷物を下ろしたら船はリリース……見る間に下流に流れていっちゃったけど、客を襲うような渡し船なんて無くなっちゃっても、いいわよね。
「あの人たち、溺れちゃったかな?」
気の弱い私は、人の生死だけはちょっと気になる。
「河で稼いでいる賊ですから、溺れて死んだりはしていないでしょう。相当流されはするでしょうが、岸まで泳ぐことは、何でもないのではと」
うん、クララの言うとおりかも。
「じゃ、早く逃げないと、仕返しに来たりしない?」
「来ないだろうね。さっき俺達に河に叩き込まれて、実力の差はわかってるだろうから。だけど早く去った方がいいのは間違いないだろうな。奴らがあの四人だけとは思えない……交代要員とか、補給を持ってくる奴とか、仲間がいるはずだからね」
「ではできるだけ急ぐとして……ちょっとお待ちください、奴らが出てきた小屋の中を、少々漁って参ります」
クララが奴らが出てきた小屋に入って数分ごそごそして……なにやらいろいろかっぱらってきた。ソーセージやハムといった保存がききそうな食べ物、蒸留酒を中心としたお酒、そしてマルク金貨。
「ほら、以前に盗賊を潰滅させた時には背負う荷物を出来るだけ減らしたかったので、いいモノがあっても持ってくることができませんでしたから。でも今回の旅には優秀な荷物持ちがいらっしゃいますので、つい……」
クララに荷物持ち呼ばわりされたヴィクトルが、苦笑いで応えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
インチキ渡し船の小屋から先には、荷車や馬でも通れるほど幅のある道が続いていたけれど、私たちはそこを行くわけにはいかない。
ヴィクトルが「優秀な荷物持ち」であるためには獣の姿をとらねばならず、その状態で人と出会うことは、極めてマズい。バイエルンの国民はロワール人より魔獣に慣れているとはいえ、ヴィクトルはサーベルタイガーの中でも飛び抜けて大きい体躯だし、ビビらせてしまうことは確実だもんね。
それにこんな密入国専用のインチキ渡しにつながる道を利用する人が、まともなヤツであるはずがない。おそらく盗賊か間諜か密輸商人か、でなければさっき河に叩き込んだ奴らの仲間か、いずれにしろ出会ってロクなことはないだろう。
そんなわけで私達は再び、間道すらない森の中を進んでいる。相変わらずすべての荷物をヴィクトルに積んで……私もヴィクトルに乗せてもらっている。他のみんなは歩きだけれど、全然疲れた様子もない。
「荷物さえなければ、歩くのは楽しいだけですよ、お姉さん?」
見た目一番か弱そうなビアンカですら、この通りだ。私だけ楽しているようで申し訳ないんだけれど……
「仕方ないですわ。ロッテ様は人間の女の子ですから、体力がなくて当たり前です」
残念ながらクララの言う通りなの。聖女のお仕事で鍛えられたから、踏み固められた道なら長距離歩くのは何でもない私だけど、森の中って落ち葉に足を取られるし、倒木も避けないといけない。傾斜もあれば邪魔な岩もある。そんなものを避けているうちに、疲れて動けなくなってしまうのだ。ヴィクトルも私を乗せるのが嬉しいみたいだし、素直にここは甘えているというわけ。
とはいえヴィクトルの背に乗っての旅も、結構疲れる。相変わらず私はスカート姿だから横乗りしか出来ないんだけど、横乗りって不安定なんだよね。ヴィクトルは気を遣ってくれているけれどやっぱり結構揺れるし、姿勢を保つだけでも結構な体力を使うの。う~ん、やっぱりどこかで乗馬ズボンみたいなのを調達して、跨れるようにしたほうがいいのかなあ。これから森で暮らすにも、ズボン姿の方がいいわよね……スカートにはこだわりがあるのだけれど、仕方ないかな。
と、どうでもいいことをぼんやり考えている私。実は、決めなければならない問題から眼をそらしているのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ロッテ様、ようやくバイエルンに入ることが出来ましたわね。さて、これからどこへ向かわれますか? 当面どこに落ち着くつもりなのですか?」
その晩のキャンプで焚火を囲みながら食後のお茶をのんびりと飲んでいると、クララがズバリと、私が聞いて欲しくなかったことをぶっこんできた。そうなのだ、私はこの問題について、まったく結論を出せていないのだった。だって「バイエルンに逃げ込む」っていうのに一生懸命で、それ以降のことを考える余裕、なかったんだもん。
「え、あ……うん。そこはまだ、決まってないというか。でも……ほら、みんなで旅しているわけじゃない? みんなで話し合って決めよう?」
「私はロッテ様をお守りし、お世話をするのが務め。ですので、ロッテ様が行かれるところに、どこまでもついて参るだけ、ですわ」
みんなにぶん投げて時間稼ぎをしようと思ったけれど。いつも通りのクールな表情で、いつも通りの面白くない答えを返すクララ。む~ん。
「私も、お姉さんと一緒にいることが望みです。それに私とカミルは奴隷でしたから、逃亡を防ぐために地理的な知識を与えないよう、意図して教育されてき……ましたし……バイエルン国内の街や街道に関しては、何も知らないんです」
あ……私が不用意に投げた問いで、ビアンカ達のつらい過去をまた掘り起こすことになってしまったわ。これは反省しないと。
「ご、ごめんね……」
「いいえ、全然気にしません。だって、お姉さんが私達を救ってくれて、そしてこんなに楽しい旅をさせてくれているんですもの。ですけど、向かうところはお姉さんが決めてくださいね?」
あ、やっぱりそうなるのね。
「僕も、どこまでだってお姉さんについていって、離れないよ。お姉さんは僕の命を救ってくれた、主だ。竜は主に一生従うものだし、ね」
カミルも私に丸投げ。まあ、地理的知識を与えられていなかったのなら、仕方ないわよね。それにしても、子供のくせにセリフがヤンデレっぽいのは、何とかならないかしら。
あと、頼れる人は、ヴィクトルだけね。何か言ってくれるわよね……すがるような眼を彼に向けてみる。
「俺は、ロッテがやりたいことを応援するために来ている。この国の森には俺の方が詳しいから助言はするけど、目標を決めるのは君だよ」
う、裏切られた……ようはここにいる全員、私に目標を決めろって主張しているってことだよね。う~ん、どこに行くってのまでは決めることができないけど、どういう行動をしたいかっていうのは、示さないといけないよね。
「う~ん、じゃあ……落ち着く場所について私の望む条件をいくつか出すから、それをもとにみんなで話し合う、ってのはどうかな」
「いいね」
「異存ございませんわ、ロッテ様」
「うん」
「ええ、お姉さん」
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