第36話 サーベルタイガーの王子様?
陰樹の森には背の高い下草は育たず、足元は岩肌か苔になるから、比較的歩きやすい。道の両側からたまに覆いかぶさってくる小枝は、クララが山刀で切り払ってくれているし。
とはいえ獣道には倒木や石だらけ。私はつまずかないように慎重に足元を見て、ついていくのが精いっぱい。
虫に刺されることを気にしなくていいことだけが幸いだわ。どうも、虫はクララ達獣人が発する緑の魔力や、私が発する紫の魔力が苦手みたいで、そもそも近寄ってこないのよね。お陰で私もクララも、そしてビアンカもスカート姿で歩き回れるわ。
今着ている臙脂色のベルベット生地で作ったスカートと上着は、リモージュ家から持ってきた、私のお気に入り。こんな貴族っぽい上等な服は二度と買えないだろうから、枝に引っ掛けたりしたら泣くしかないわ……だから特に気を付けないとね。クララは変わらずいつもの侍女服だ。野歩きするのにその格好はどうなんだろうとか思っちゃうけど、彼女は侍女としての自分を誇りにしているらしくて、スタイルにもこだわりがあるみたい。
ビアンカは明るい青色のスカートに繭色のブラウス、そして空色のカーディガンを羽織っている。清楚な感じが、彼女にぴったりね。えっちな好事家のおじさんに売り付けられる直前だったので、結構よい服を着せられていたみたいなの。カミルは……まあ男の子だから着るものなんてどうでもいいわね。ボコボコにされて服もぐちゃぐちゃになっちゃったから、盗賊の拠点から大人物の服を失敬して、クララが器用にあちこち詰めてなんとか着こなしているんだけど、やっぱりもとが美少年だと、そんな姿もカッコよく見えるのよね。
そんなこんなで黙々と半日歩き続けた頃、クララのケモ耳が、ぴくっと震えた。
「ネコ科の気配が……」
その表現めちゃくちゃ面白いわ、クララ。よっぽど嫌いなのね、ネコ科……その割に、ビアンカを一目で気に入っちゃうんだから、おかしな娘。まあ、可愛いは正義だよね。
やがて現れたのは、雄の……とても、とても大きなサーベルタイガー。体長は私とクララの身長を合わせたくらいありそうね。黄金の毛皮に力強く鋭い黒の紋様がとても綺麗……ああ、撫でたい、もふもふしたい。でも、毛並みはビアンカの方が柔らかそうだな~とか余計なことを考えてしまう私。
クララはファルシオンこそ抜いていないけど、明らかに敵意を持って身構えている。ビアンカは初めて見る同族の姿に、恐れてはいないけれど眼を丸くしている。カミルは私と魔獣との間にすっと自然に入り込んで、盾になってくれようとしているみたい……まだ子供なのに、立派なナイト様だよね。でも、このサーベルタイガーの姿は、私の記憶にあるものだ。
「お久しぶりね、ヴィクトル」
(シャルロット、よく来てくれたね。君がこっちに向かっていると族長が教えてくれたから、迎えに来たんだよ)
「族長がそんなことを?」
(ああ、この森に入り込む者は、族長の「心の眼」にすべて視えているからね)
そう、ここはすでにサーベルタイガーの支配する領域だから、人里も間道もない。これがバイエルン国境の大河まで、ずっと続いているんだよね。私も一回来たきりで、一度来た道は忘れない獣人みたいな能力はないから、結構心配だったんけど……迎えに来てくれたんだったら、やっと安心できるわ。
「うん、みんな、もう大丈夫だよ。お迎えに来てくれたからね。紹介するわ、彼はヴィクトル。サーベルタイガー族長の長子になるわね、次の族長ってことかな」
みんな一瞬ぎょっとしたみたいだったけど、クララがヴィクトルに向かって膝を折ると、ビアンカとカミルがあわてて真似をする。
(人間の王や王子と違うのだから、そんな虚礼は無用と、彼らに伝えてくれないかな?)
ヴィクトルから伝わってくる思念を、私が人間の言葉で伝えると、ようやくみんなもホッとしたように身体の力を抜いた。まあ、森の王者たるサーベルタイガーの次期族長とか、緊張するなってほうが、無理だったのかもね。
(だが、おい……シャルロット。君はとんでもないものを連れてきてないか?)
「とんでもないものって、何のこと?」
(その子供……みたいな奴だよ! まるで竜みたいな力を発しているんだが……)
「さすがヴィクトルね。カミルは竜人よ」
ヴィクトルが、まるで人間が呆れた時みたいなため息をついた。
(ああ、君ならやりかねないが……竜と虎は相容れぬ魔獣の双璧。山と森に棲み分けることで争いを避けているのだが、それをあっさり俺達の本拠地に連れてきてしまうとは……)
「あれ? 私もしかして、やらかしちゃった?」
(まあ、見たところその若竜には敵意はないようだし、君を絶対的に崇拝しているらしい。今回は黙って連れていこう)
あきらめたように眼をつむって首を振っているヴィクトル。なんか、空気の読めない子扱いされてるみたいで、ちょっと腹立たしいわ。
「まあいいわ、それで、こっちの娘はクララ、狼獣人よ。虎族とは相性イマイチかもしれないけれど、私の大事なパートナーなんだから、いじめないでね。それで、こっちの可愛い娘は……」
(む、そこの娘は我々と同じ血を引いているのか……)
私が紹介する前に、ヴィクトルが食いついてきた。魔獣は血族のつながりに、ものすごくこだわるからね。
「そうよ、この娘はビアンカ。お母さんがサーベルタイガーらしいんだけど、小さい頃から奴隷にされていて、両親のことはよくわからないらしいの。もしかして、この森のサーベルタイガーに関係していたりするんじゃないかと思って……」
(俺にはその母にあたる者に心当たりはないが、族長なら何か知っているかも知れないな。そうか、大変な苦労をしたのだな、この娘は)
ヴィクトルがビアンカにゆっくり歩み寄って、そのお腹のあたりに優しく鼻を擦り付ける。その気持ちは彼女にもすぐ伝わったみたい……ビアンカはヴィクトルの太い首に両手で抱きつき、その黄金の毛皮に顔をうずめて、しばらく涙を流していた。こんな時でも声を殺して泣くのよねビアンカって。いい子なんだけど、もっと甘えさせてあげたいわ。
(ふむ、よい娘だな。それはそうと、日も傾いてきた。早く族長のところに行くとしようか、シャルロット)
「あ、私のことはこれからロッテって呼んでね。そういう名前に変えたから」
(うん? 人間にとって、親から与えられた名前は神聖で代えがたいもののはずだが……? その名前を変えるとは、君にもいろいろ大変なことがあったようだね、ロッテ……)
「そんなでもないよ。人間は、魔獣ほど名前に思い入れはないからね!」
ヴィクトルにいたわられて、私もちょっとだけ涙があふれてきちゃったりもしたけど、ここは明るくいかないとね。私は意識して元気な声を出し、早く行こうとみんなを促した。
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