「ようこそ、兎川オフィスへ。」

茶葉まこと

第1話 どんな仕事でも



「桜、就職先決まったの。」

「まだだけど。」

「え。やばくない?」

「ええもう、とんでもなくやばいですよ。リカちゃんだってまだ就職決まってないでしょ?」

「残念。私はもう決まってるんだなあ、これが。ほれ。」


 平日真っただ中の喫茶店。客は私たちと、仕事の休憩中だろうか、上着をパタパタさせながらアイスコーヒーを飲んでいるサラリーマンが2人。平日の昼下がりということもあり、店内にはゆったりとした空気が流れている。コーヒーを淹れながら、店内のクラシックに合わせて口笛を吹いているマスターが少し気になるくらいだ。


 そんな穏やかな空間の中、穏やかではない心境の私は、菊川桜。大学四年生。花も恥じらう乙女。そして絶賛就活中。調子に乗って田舎から都会の大学まで出たのは順調だった。順風満帆なキャンパスライフだった。いい友達にも出会えた。目の前でコーヒーに角砂糖を入れてクルクルと混ぜているリカちゃんこと橋本リカは、大学に入学してから出来た掛け替えのない友達だ。彼女との出会いは…話せば長くなるので割愛するが、お互いの家に泊まりに行くくらいには仲良しなのだ。


 そんなリカが私の目の前に突きつけてきた携帯画面。写っているのは、エプロン姿で両手いっぱいの花束を持って笑っているリカ。


「なにこれ。」

「私の就職先。」

「どういうこと。」

「実家の花屋を継ぐの。ほら、私って花の様に可愛いじゃない?もう看板娘ってやつよ。」

「そうか…その手があったか…。」


 忘れていた。リカは花屋の一人娘だった。そりゃ生まれたころから就職先が決まっていたも同然だった。どうりで就活せずにのんびりしていると思ったら…。私は一段と大きなため息が出てしまった。


「まあ、そう落ち込まずに。桜だって頑張ればいつかきっと拾ってくれる企業があるよ。」

「どうだか。今の内定0だよ。最初の頃は、まあそんなもんだって思ってたよ。最終面接までいった会社も何件かあった。でも面接で落とされ…落とされ、だんだん落ちる量は多くなっていき…最終的には書類選考の段階でも落ちるようになり…。」

「あらら…それはお気の毒。」

「これと言って輝かしい経歴があるわけでもないし、大学だって三流大だし、話下手だし。私って実は社会に全く必要とされてないゴミクズなんじゃないかって最近思うようになってきたよ。おかげで面接さえない私は明日も明後日も予定なし。今の時期じゃ就職の募集さえ段々と減ってほぼないし…。」


はは、と乾いた笑いが出てくる。目の前のカフェラテがどんどん冷えていく。あー、まるで今の私の心境だなーなんて考えながら口へ運ぶと、冷えたせいなのか一層苦い味が口いっぱいに広がった。口元どころか眉間まで歪む。リカはそんな私をじっと見て、それから大きな声で言った。


「マスター、カフェラテもう一杯頂いていいですか。」


片腕を耳に付けるようにピッタリと伸ばすその姿はまるで小学校低学年の挙手。元気いっぱいにマスターに声をかけると、マスターは一旦口笛をとめて、「はいよ」と返事をすると、口笛を再開してカフェラテの準備に取り掛かった。


「もーリカちゃん。何なの大声で。」

「いいから。その冷めたのは一旦お預けです。」


 リカは両手で私のカフェラテを取り上げると、まるでアイドルの様に私の目の前で両手の頬杖をついてにっこり笑った。


「えーと。リカちゃん。何でしょう。」

「えへ。」

「えへ。じゃなくて。そういうのは男子にしなよ。」

「もう、桜の意地悪っ。可愛いって言ってくれたっていいじゃないの。」

「はいはい。可愛い可愛い。」

「愛がこもってない。んもー、そんなんだったらいいとこ紹介してあげないぞ。」


そう言ってリカは私の頬をプニプニと押してきた。


「桜ちょっと痩せた?前よりプニプニ感が減ってる気がする。」

「就活という悪魔のせいで少々頬がこけた気はするよ。」

「いっぱい食べなきゃだめだよ。」

「そうね…。」


 艶やかな頬をぷくっと膨らませてリカはプンプンと怒ったフリをした。


「君たち仲良しだね。これ、おじさんからのサービス。」


振り向くといつの間にか後ろにはマスターがいた。お盆に乗せているのは淹れたてのカフェオレ、そして美味しそうなクッキーだった。


「どうぞ。」


にっこりと微笑むマスター。


「良いんですか。ありがとうございます。」


 お辞儀をすると、マスターは「いいのいいの。」なんて言いながら手をヒラヒラと振ってカウンターの中へ戻っていった。


「さあ桜、温かいカフェラテをどうぞ。これは私のおごり。次は冷めないうちに飲まないとだめだよ。」


 そんなことを言いながら、私に無許可でリカは角砂糖をひょいひょいと私の目の前に置かれたカフェラテに入れていく。私そこまで甘党じゃないのだけれど。


「リカちゃん、ちょっと入れすぎかな。さすがに角砂糖5つは多いかと。」

「疲れで頭が回ってない桜には甘い方がいいの。ほら、飲んだ飲んだ。」


リカに促されて湯気が立つ熱々のカフェラテを口に含む。甘い。極甘だ。舌がマヒするくらい甘い。とっさにクッキーを口に放り込むと、カフェラテが甘くなることを見越していたのか、クッキーは甘さ控えめで丁度良い味だった。程よく香るアーモンドがとても私好みだった。


「おいしい。」

「でしょ。ここのマスターのクッキーは絶品なんだから。ちなみにたまにしか出てこない幻のメニューでもあるのです!」

「そうなんだ。そういえばリカちゃんはこのお店よく来るの?」

「うん。マスターがうちのお父さんと仲良しだからね。昔からちょくちょく来てるよ。言ってなかったっけ?」

「初耳です。」

「あれ?そうだっけ。まあいっか。細かいことを気にしてたらこの先生きていけないからね。というわけで、本題だよ。桜。」


 急に真面目な顔になるリカ。どうしたどうした。私が首を傾げるとそれに合わせてリカも首を傾げてきた。この子、ふざけてる。私が口を開こうとした瞬間だった。かぶせるようにリカが言葉を乗せてきた。


「桜は就職する気ある?」

「それは…もちろん。」

「本当?」

「本当だよ。」

「どんな仕事でも?」

「どんな仕事でも。」



 この言葉を後で私は盛大に後悔することになる。



 でも言い訳させて。この時の私は就職活動という戦いにことごとく敗れ、もうこの際どんな仕事でもいいと本当に思ってたの。就職先が決まるなら、本当に何でもいいと思ってた。


 リカはまるで面接官のように私をじっと見る。数々の面接落ちのトラウマからか、思わず目を逸らしたくなったけれど、本能的にここで目を逸らしちゃいけないような気がしたので、私もリカを穴が開くくらい見つめ返した。すると、リカは納得したように頷いて、鞄から名刺を一枚取り出した。


「はい。ここ。小さな会社だけど、今社員募集してるの。」


リカから受け取った名刺には、こう書かれていた。


「とがわおふぃす?」

「そう。兎川オフィス。」

「何してる会社なの?」

「いろいろしてる会社だよ。あーんなことや、こーんなことまで。」

「それって怪しい会社じゃないの?」

「ぜーんぜん。大体そんな怪しかったら大親友の桜に紹介しないって。」

「そう…。」

「この前はなんだったかな、探偵みたいなことをやってたみたいだけど。」

「探偵事務所みたいな感じなの?」

「まあ、そういうこともやってるって感じ。広く言えば何でも屋さんだね。前マスターが風邪でダウンしてた時はマスター代理もやってたよ。」

「本当に何でもやってるんだ…。」

「まあ、そういうことだから、気になったらまずは電話でアポイントメントだよ!」


 リカはひょいっと口にクッキーを放り込むと、私のカフェラテも口に運んだ。


「んんー!やっぱり甘いもの最高!女の子はお砂糖で出来てるんだね。」

「ねえ、リカちゃん、この会社なんだけど。」


 やっぱり怪しくない?そう続けようとした時だった。リカの携帯からまるで夢の国のようなメルヘンな着信音が鳴り響いた。


「ごめんね。」


リカは立ち上がり、店外へ移動した。私は一人ぽつんと取り残されてたので、とりあえず冷めてしまわないうちにカフェラテとクッキーを口に運んだ。ふとマスターへ視線を移すと、マスターは相変わらずカウンター内で口笛を吹いている。たまに音を外すのをちょっと可愛いと思ってしまうあたり私はまあまあ疲れているに違いない。再び視線を落とし、先ほどもらった名刺を改めてみてみる。そこには兎川オフィス、代表取締役、兎川伊子と書かれていた。もしかして社長さんは女性の方なのだろうか。読み方は、とがわ…いこ?であっているのだろうか。でも仕事内容と会社自体が分からないのはやっぱりどこか怪しい。リカには申し訳ないけど、帰って来たら断ろう、そう思ってた時だった。


「桜―!さっきの電話ね、なんと!偶然にも兎川さんからだったんだけど、折角なので面接の予約取っちゃいました。てへ。」


おい、思わず勢いよく立ち上がる。その拍子にテーブルに足を打ち付けてしまいゴンっと大きな音が鳴ってしまった。マスターがこっちを見てくる。


「すみません。」


 ゆっくり座りなおすと、リカに小声で言った。


「何してくれちゃってんの!」

「だってどんな仕事でもやるって言ったじゃん。」

「言ったよ。そりゃ言ったけどさ。」


ごもごもと口答える私に対して、リカは私の額をコンっと小突いた。地味に痛い。


「良―い?面接日はさっそくだけど明日。場所はその名刺に書いてある住所。時間は朝の11時。」

「ちょっとリカちゃん急すぎじゃ。」

「明日空いてるんでしょ。行ってらっしゃい。大丈夫。桜こそこの兎川オフィスで輝けると私は思ってるよ。」


 親指を立てて白い歯をキラッキラに輝かせて、リカは「マスター!お会計!」と声を上げてレジに向かっていった。私は急に決まっていくことごとに頭がついていかず、ただリカの姿を見ていることしかできなかった。遠くの方で、「リカちゃん可愛いから、今日のお代は割引しちゃうぞ。」「キャーマスターありがとう!」なんてキャッキャウフフした声が聞こえたようが気がした。



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