ゆるゆる道場のおはなし会シリーズ2 ほんとにほんとのおわりのはなし
@Mochiyama_Mochitaro
ほんとにほんとのおわりのはなし
じゃぁ、これでおしまいのはなしだよ。
ある少年がてくてく歩いていた。目の前の景色はゆらゆら揺れていた。この世界は終わるかもしれない。少年は思った。終わったらどうなるのだろう? 終わったらその後に何が残るのだろう? 歩道の銀杏が不穏な風に揺れていた。黄金色の葉が散り落ちて歩道を埋めていたのは去年の秋の景色だった。いま見上げると木々は青く、不穏な風になおも揺れていた。
その日、少年は一礼をして進路指導室を出た。大学には行かないつもりだと、とうとう声に出しては言えなかった。ほんとうはどう考えるのが正しいのだろう? どう生きるのが正しいのだろう? 大学には、その答えがないような気がした。それどころか、生まれてこのかたすべての教育の中に正しいと思えるものを何ひとつ見出せなかった。嘘ばかりだ! 嘘ばかりだなにもかも! 少年は声を立てずに叫んだ。
その前の日、少年は中学時代の友人に会っていた。
「タケよぉ、オレ、ひと月ほど前にヒロさんに会ったよ」
少年は友人に語った。
「へぇ、なつかしいなぁ。元気だった?」
友人は少年に問いかけた。
「学校の前の銀杏並木のところを歩いていたら、丁度車で通りかかって、よぉ、アキラ乗ってけよって・・・・・・」
「車?」
「あぁ、自分で稼いではじめて手に入れた愛車だってうれしそうに言ってた。いい車だったよ」
「そうかぁ、オレたちより年が上だからなぁ、免許もとれるわけだ」
「でもなぁ・・・・・・、」
少年は窓の外に目をやった。
「・・・・・・、いま世の中がこんなことになって、なにもかもめちゃくちゃだろう。仕事の方がどうなっているか、いまどうしているか・・・・・・」
「そうだなぁ、中卒だと厳しいかもしれないなぁ。連絡先は訊いたのか?」
「いや、つい訊きそびれて・・・・・・。訊いとけばよかったよ」
「それじゃぁどうすることもできないなぁ。まぁ、訊いたところでどうすることもできないけどなぁ・・・・・・」
あのころは楽しかった。ヒロさんがリーダーになって、なかまたちがみんないっしょに走り回り、語り、考えた。なにかに気づき、そのたびになにかが変わるような気がしてうれしかった。それなのに、いつの間にかなかまたちは選別され、見えないところへ消えていった。彼らはいまどうしているだろう? 何を考えているだろう?
正門前のまっすぐな道を歩き続けているうちに、とうとう銀杏並木を抜けて大きな橋のたもとまで来た。見上げれば空はどんよりと曇り、橋を渡る人と自転車が川風に足をとられていた。そこで引き返すべきであったかもしれない。しかし、少年はなおも歩いた。足をとられながら橋を渡り、行き交う道の中から遠くの岡へと続く道を選んでまた歩いた。
「アキラよぉ、おまえどうするんだ? 家族のことで悩んでいるとしても大学はあきらめるなよ」
友人の声がよみがえった。
「まぁ、ひきこもりのオレが言うのもなんだが、おまえは行った方がいいよ」
「いや、ほんとうに行くべき人はヒロさんのほうだよ。もしほんとうに学問の真理などというものがこの世にあるのなら、ヒロさんにこそふさわしい」
あのときは、自分の口から出た言葉なのに、その直ぐ後で自分自身がひどく驚いた。確かにそうなのだ。なにかをしなければいけないことは分かっていた。しかし、なにをすればよいのか、どうすればよいのか、それが分からなかった。力もなかった。力がないことを恥ずかしいと思った。それよりも、偽らずに生きていけるか、ヒロさんのように己自身にも他者にも。そこからすでにおぼつかなかった。この身で何を為し得るのか? もしも闘わねばならないのであれば、いったい何と闘うべきなのか?
あたりがうす暗くなってきた。剥げて傾いたバスの停留所を見つけ、にわか雨が過ぎるのを待った。道端の田の面に雨つぶで揺れる信号の色をぼんやりと眺めた。湿った冷たい風が頬にぶつかり、問いが渦を巻いた。
なぜ教師はともに悲しまないのか? ともに怒らないのか? 自分の教え子が学びたくてもあきらめなければいけないことを。なぜ教師は商品を生産して出荷するような送り出し方に後ろめたさを感じないのか? なぜ社会の矛盾を変えようとしないのか? なぜ他人ごとなのか? なぜ教師も生徒自身もそれが当たり前だと思って疑問を持たないのか?
「アキラよぉ、かけ算だけどな、2かける3と3かける2は同じか違うかという話だ。そんなところでつまずいたことはないか? 四元数を学べば同じなのが当たり前なんじゃなくて、同じなのはたまたま珍しくそう見えることがあるだけだと分かる。アキラ、どうだ?」
「難しくてよく分からん」
「な、そこで疑問を持ってつまずく人の方が、実は学問的な真理に近いところにいるかもしれないという話だ。しかし、学校社会でこういうときはこう答えろ、2かける3も3かける2も同じだと答えろと教わって、そのとおりに要領よくふるまってきたやつは、人間の天性を廃れさせて、調教され頭のいい子になる。そうやって偏差値の高い大学へ行くわけだ。でも、それは人間が本当に進むべき方向の学びではない、ということもあり得るわけだ。そうやって、頭のいい愚か者が大量生産されて、文明は何度も何度も道を誤って、あげくの果てがこのザマだ」
二人は声を出して笑った。
「タケよ、おまえの方が大学に行ってその道を究めたらどうだ? いまなら同じ学年で復学できるだろう?」
タケと呼ばれたその友人は少しむっとした。
「おまえまでそんなことを言うのか? オレはひきこもりと言えばひきこもりだが、見方を変えればひきこもっているのはオレ以外の全員の方だ。社会の矛盾から逃げ、気候変動から逃げ、考えなくちゃいけないことから目をそらしてひきこもり続けているだろう、違うか? 殻が大きすぎるから気づかないだけで、愚かな殻にひきこもっているのはあいつらの方さ。俺はその閉塞状況から抜け出して世界を解放するためにいまここにいるのだよ」
「そう言われると、そんな気がしてきた」
タケは大いに笑った。
「オレの親が呼んでくる支援者とかいうやつらは、価値観を押しつけませんといいながら、実は自分だけ正しさという線の内側の世界に立っていると思いこんでいる。正しい自分がはずれたおまえを見守ってやるという思い上がりの臭気を身体じゅうから撒き散らしていることに気づいていない。でも、おまえはそういうことがない。おまえはおまえ自身が正しさの線の内側にいるのかいないのか、常に考え揺れ動いている。そこがおまえのいいところだ」
「そんな立派な者じゃない。でも、全部は分からないが、いまの話のなかになにか大事なことが隠れているらしいことはオレにも分かったよ」
「知っているか? ひきこもりも酒樽から出なくなるほど極まったら哲学者と呼ばれるらしいぞ」
二人はまた大声を出して笑った。
はっとして我に返ると、あたりは一層暗くなり、信号の赤は一層鮮明に照り返し、かつ一層不安定に揺れていた。くらくらした頭で少年は停留所を出た。信号を抜けた先は街灯もまばらな真っ暗な坂道だった。それでも前に進まなければいけないような気がして、少年は歩き始めた。岡を這うように上るその小径は、右袖の斜面から雑木林がなだれ落ちるように迫っていた。左袖にはガードレールもなく、うっかり踏み誤ると足先から落ち葉ごと奈落に滑り落ちそうだった。
なぜこんなところに来てしまったのだろう? 少年ははじめて後悔した。ただでさえ存在の危うい己の身体に四方八方から闇が押し寄せてくる。背後に得体の知れない野生の殺気を感じる。逃げたい。しかし全身が凍り始めて身動きがとれない。寒い。怖い。怖い、怖い・・・・・・。
怖い?
これまでの人生で一度も経験したことのないこの圧倒的な恐怖は何なのか? 少年は、あるひとつの問いにたどり着いた。死とはなにか?
死とはなにか? いままで考えたこともない問いだった。しかし、生と死が対極のものであるならば、死を知らずして生を語ることは偽善であるような気がした。いかに生きるべきかを突き詰めれば、いかに死ぬべきかを知らなければならない。そこから逃げたままいくら生の真実を求めても、それは偽りの生にしかならないのではないか?
怖い。怖いけれども、逃げてはいけない。そう思った。これから生きるために・・・・・・。
この一歩先、かかとのつくところが本当に道なのかすら分からないまま、少年は心を震わせて前へ前へと進んだ。すると、道は唐突に尽き、視界の開けた先に古いコンクリートの建物が現れた。介護施設の裏道に通じていたらしい。正面玄関に回り込めば当直の人に会えるかもしれない。少年は鍵の開いていた通用口から中に入った。ずっと暗闇を歩いてきたせいか、室内灯が異様なほど眩しかった。あてずっぽうで廊下を進んだ。横並びの部屋にはベッドが数台ずつ置いてあり、同じ病衣を着て同じように虚空を見つめる痩せ細った人間が延々と横たわっていた。
と、そのとき、ひとりの人間と一瞬目が合った。こちらを観て誰だ?という表情をした。そして、間を置かず叫んだ。
「助けてっ!」
立ち止まってよく観察すると、左右の手がそれぞれベッド柵に縛り付けられていた。それに気づいたことが分かったのか、「助けてっ!」、「ほどいてっ!」と繰り返し繰り返し叫んだ。
少年は、何か言葉を返そうとしてその目を見つめたが、どう返答してよいか分からず口ごもった。そのうち、自分を見つめ返すその目がだんだん母親の目のように思えてきた。それだけではない、目の前の人物が母親その人のように見え出した。「助けてっ!」、「これをほどいてっ!」少年は動揺した。その目は、今度はヒロさんの目になった。つらい! 少年の心臓は再び凍りつき、いまにも止まりそうだった。違う、あの目は自分だ。自分自身が叫んでいる。あれがほんとうの自分の姿だ!
少年は無言のまま駆け寄り、左右の縛りをほどいた。
「出してっ!」、「ここから出してっ!」
次の要求に辺りを見渡すと、車いすが目に入った。折りたたんだ車いすをどうすれば座れるように開けるのか分からずもたもたしていたら、物音に気づいてやってきた夜勤の男に見つかった。
「こらっ、こんなところで何をしているんだ!」
その声に驚いた施設の職員たちが集まってきた。どこから来たか尋ねられて裏の道から上がってきたと答えたが、嘘をつくな、そんな道はどこにもないとつっぱねられ、信じてもらえなかった。両親が到着するまで狭い面接室に閉じ込められ、事の顛末を詰問されたが、自分自身の方がこの体験を正しく説明できる言葉を知りたかった。やがて狼狽した両親が到着し、施設の関係者に深々と頭を下げて我が子を引き取った。帰りの車の中で母親は尋ねた。
「どうしてこんなことをしたの?」
「自分でも分からない」
しばらく沈黙が流れた。
「・・・・・・、でも、分かったこともある」
今度は父親が尋ねた。
「何がわかったんだ?」
「・・・・・・、はじまったこと」
車窓から雨上がりの夜空を見上げると星が夏を告げていた。
はい、おはなしはこれでおしまい。いい子だから、もう寝なさい。そうだよ、ほんとのほんとに、おしまい。えっ? ほんとのほんとに、なのか、ほんとにほんとの、なのかって? そんなことどっちでもいいから、さっさと寝なさい。えっ? 気になって寝られない?
・・・・・・。
・・・・・・。
もう、そんなぱっちりした目でこっちを見るんじゃありません! わかったから、これでほんとのほんとにほんとのおしまいのはなしだからね、いいね。じゃぁ、はなすよ。むかぁしむかし、あるた○きの王子様が・・・・・・。
第一回公開 2020.12.25.-
この物語はフィクションであり、実在の個人や団体、動物とは一切関係がありません。尚、著作権者の許可なく本書の内容の全てまたは一部をいかなる手段においても複製・転載・流用・転売・複写等することを固く禁じます。
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