魔術的デパートメントストア

委員長

ごみ箱を見る、ガルシア=マルケス

 私が高校生だったときの話です。休日は朝から近所のデパートに通っていました。受験勉強の場所でした。1階から5階まであって、屋上には回転展望台もある、大きなデパートです。5階にフリースペースというのがあります。いや実はフリースペースという名前は私が勝手に呼んでいるだけなんですが、そこには机と椅子がずらり並べられていて、買い物がひと段落した人や、はなから買い物などする気の無い人が自由気ままに陣取っていました。毎週末通っているうち、変なおじさんがいることに気づきました。私は朝10時の開店と同時にフリースペースに向かい、一番いい席を取ります。おじさんもしばらくしたら現れて、夜11時の閉店までずっと過ごします。平日もいるのかどうか、それは確かめられませんでした。きっと毎日いるんでしょう。そう断言していいと思います。私は、おじさんの生態を観察する事が勉強の息抜きになっていました。


 フリースペースは5階のフロアの一角を占めていました。「占める」といっても、何もない場所にただ机と椅子を並べただけです。仕切りの壁はなく、通路と地続きでした。机は所々汚れが目立ちますし、形も色も高さもバラバラ。買い物客の休憩用にと、急ごしらえで設けられたような雰囲気がありました。

 

 フリースペースの向かいには子供たちが走り回って遊べる託児所代わりの施設があって、一日中、何を言っているか分からない甲高い声がフリースペースの方まで響いていました。はじめのうちは少し耳障りだと思っていましたけれど、馴れれば全然気になりません。買い物を終えたお母さんたちが連れて帰ろうとすると、まだ遊び足りない子供たちはフリースペースに流れ込んできて、乱暴にパイプ椅子を引きずって駄々をこねます。見かねたお母さんたちがやることは大体二つです。一つは、𠮟りつけて腕を引っ張り、エスカレータまで引きずっていく。もう一つは、備え付けの自販機で売っているアイスクリームを買い与えてなだめる。私はどっちの子供だったんだろうなと思います。母親の腰の高さくらいの身長だったときのことなんて、私は覚えていません。でもきっと、私は駄々をこねるような性格ではなかったんだろうと思います。母は、私を育てるのには何の苦労もいらなかったとよく言っていました。

   

 おじさんのことについてお話ししましょう。

 おじさんの名前を私は知りません。この話の最後まで、私がおじさんと会話を交わすことはありません。知らないからといって、「変なおじさん」と呼び続けるのもどうかと思います。ここではガルシア=マルケスと呼ぶことにします。4階の本屋の世界文学の棚で、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を見かけたことがあって、それでなんとなく頭の中に浮かびました。

 ガルシア=マルケスは浅黒く日焼けした顔で、いつ見かけてもおなじ青色のつなぎを着ていました。丸刈りの頭は髪の毛が少し伸びていて、口元には無精ひげが見えます。目はくりっとしています。鼻は正面から押しつぶされたような形です。お腹周りは少し膨らんでいて、歩くときは両脚をせっせと小刻みに動かします。どこからともなくフリースペースに現れたガルシア=マルケスは、まず自分の座る席を探します。毎回、座る場所が変わります。規則性があるのかどうかはわかりません。ある席の前で立ち止まると、椅子を引き、そしてその椅子の座面に顔を近づけてじっと見つめ始めます。見つめて、見つめて、まだ見つめます。和式便所でぐっと力むような姿勢で、しばらく見つめるのです。そして、なにか了解したように顔を縦に振ると、ようやく腰を掛けます。私はこの通過儀礼を「魔術的凝視」と呼んでいます。

 ガルシア=マルケスが「魔術的凝視」をするのは椅子に座るときだけではありませんでした。彼は机に座ると、特に何かするわけでもなく、辺りを見渡しては一点を見つめ、首をぐるぐる回しては、また一点を見つめる。その繰り返しです。

 時たま席を離れることもあります。階下に降りていく様子を見かけたこともありますが、どこで何をしているのか知りません。そもそも、ガルシア=マルケスはどこからこのデパートに来ているのか、閉店のあと、彼がどこへ向かうのか、たぶん誰も知らないと思います。

 ある日の昼下がり、先ほどまでは少し混んでいたフリースペースがようやく落ち着きを取り戻したころ、1階のフードコートでテイクアウトしたハンバーガーを持って席に戻ると、すぐ向かいの席にガルシア=マルケスがいました。彼は総菜コーナーで買ったと思われるパック入りのから揚げとおにぎりをすでに食べ終えていました。机の上に散乱したゴミをかき集めると、ガルシア=マルケスは私の席のすぐ横に置いてあるゴミ箱につかつか寄ってきました。そばを通りかかったとき、何かが鼻の奥にじわりと忍び込んでそっと神経を撫でていく感覚がありました。ゴミ箱は円柱で、周りの景色を鈍く、歪ませて反射しています。蓋の部分は回転式で、ゴミを入れると蓋がコインのように回り、くわん、くわん、という音を立てました。

 ガルシア=マルケスは昼飯の残骸を一切合切放り入れました。ゴミに押されて蓋が回転を始めます。くわん、くわん。ガルシア=マルケスは回転蓋を見つめます。くわん、くわん。まだ見つめます。その様子を横目に見ていた私は、ガルシア=マルケスの「魔術的凝視」が始まったのだと理解し、少し興奮しました。間近で見る「魔術的凝視」はやはり違います。円柱のごみ箱は高さがだいたい幼稚園児の背丈くらいでしたが、その蓋の部分に顔をぐいっと近づけるのです。スクワットの一番深く沈みこんだ姿勢です。回転が徐々にゆるやかになり、やがて完全に静止すると、そこでようやくガルシア=マルケスは上体を戻して、また元の席に戻っていきました。

 

 私がガルシア=マルケスから学び取ったことは何もありません。フリースペースでの勉強生活は、私の大学合格が決まったのと同時に終わりを迎えました。以来、あのデパートに私が行くことはなくなりました。もちろん、ガルシア=マルケスのことについてこれ以上知っていることはありません。

 大学生になった私は、3年ほど別の街で暮らしました。実家に戻ることはあっても、デパートに行こうとは思いませんでした。そのころにはすっかりガルシア=マルケスのことは忘れていました。

 私が彼のことを思い出したのは、デパートが閉店するというニュースを見たときでした。どうやら赤字続きのお店だったようです。運営が変わり、お店は名前を変え、テナントを変え、そして内装もがらりと変えました。

 3年ぶりに、デパートに足を踏み入れました。かつてフリースペースだった場所は放課後の高校生たちが集うゲームセンターになっていました。黄色い声が飛び交っていた、あの子供たちの遊び場もありません。4階にあった本屋は3階に移っていて、以前とは別の系列の本屋になっています。

 世界文学のコーナーに『百年の孤独』はありませんでした。

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魔術的デパートメントストア 委員長 @nigateiru

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