第8話 会いたくなかった
図書室で勉強していたら、何故か雨が降って来たようで全身水浸しになった。
ロシェルダは、はあと重い息を吐いた。
自分が城に来て一週間が経った。
治療院を出発する頃の嫌味など
第二位王位継承権を持つソアルジュは美しい青年だ。それは貴族の基準でも当然そうだった。……というか、人間ならば等しくその容姿に目眩を覚える程に美しい人なのだ。
ロシェルダはソアルジュが連れてきた平民の娘。
嫉妬に駆られた令嬢たちから、嫌がらせを受けるのは当然で、しかも平民の為手加減は一切され無かった。
何とか被害を免れた本を胸に抱えて、いつもの道をとぼとぼと歩く。
ロシェルダは与えられたあの部屋が好きでは無かった。分不相応で居心地が悪い。だから図書室で過ごしたかったのだが、こんな事が続くのならその選択は愚の骨頂である。
仕方が無いのでハウロ医師の元へ向かう。
彼は身分差を気にしない快活な医師で、ロシェルダに治癒士のイロハを教えた師とどこか似た人物でもあった。そのせいで何だか甘えてしまって恐縮しているが、本人もまた世話焼きな人物で、平民の身分で城に放り込まれたロシェルダを案じ、よく声を掛けてくれた。
彼は爵位を息子に譲った後、看護士である奥方と二人診療室を城から賜り、その続きの間で暮らしていた。
そこを目指し歩いていれば、たった一週間で見知った顔に声を掛けられた。
「あら、どちらにお急ぎ?」
思わず身を固くするロシェルダを、令嬢とその取り巻きが一斉に囲んでくる。
今まで取り巻きが傍らで説明していた話を繋ぎあわせれば、ロシェルダの眼前で仁王立ちになっている彼女は公爵令嬢で、ソアルジュ殿下の婚約者なのだそうだ。
……でも他の取り巻きが、それは既に破棄していると余計な一言を付け加えていた。
それはともかく、だから何だと言いたい。
平民のロシェルダには関係の無い事だ。
だが、ソアルジュが自分を連れ帰ったせいで、公爵令嬢を蔑ろにしているから責任を取れとか、目障りだから去れとか散々文句を言われている。
言われなくてもひと月経てば帰るのだ。だが貴族への発言には許可がいる。貴族たちが自分より高位の貴族に気安く話し掛けてはいけないのと同じように。
しかし、この令嬢たちにいちいち許可を得て話しかけたところで、話が通じるとも思えない。仕方が無いので今までやり過ごしてきた。暴言は聞き流し、暴力も酷いもの以外は受け入れた。
見つかったが最後、彼女たちの気が済むまでこれを繰り返す事は、既に身に染みている。
顔には出さずロシェルダは内心で盛大に嘆息する。
(早く帰りたい)
黙っているのも彼女たちはイラつくようで、今日もロシェルダは、容赦なく突き飛ばされた。
◇
「何をしてるんだ!」
聞いた事のある声にはっと息を飲む。
周りの令嬢たちからもまた、動揺に身を竦めるような気配を感じた。
「君たちは何をしているんだ! 大勢で寄って集って! 恥ずかしく無いのか!」
怒鳴る声に令嬢たちが震え出した。
正直彼女たちは言い訳のしようもないほどやりすぎていた。
ロシェルダは今うつ伏せにされ、踏んづけられていた。
上に乗っていた足がサッと取り払われるも、このタイミングでは流石に遅いだろうと思う。
「君! 大丈夫か!」
「大丈夫です」
ロシェルダは即答し、直ぐに身を起こした。
泥まみれの顔と服を見られたくなくて、声を掛けてきた人物から目を背ける。
「いいからこちらを向きなさい」
有無を言わせず顎を取られれば、あの人の顔が目の前にあった。
眉間の皺が気になるけれど、二年経った今も優しげで温かい雰囲気の、陽だまりのような人。……なのに自分はこんな惨めな姿で、今でも変わらず……
ロシェルダは恥ずかしさに唇を噛み締めた。
「やめなさい、唇が切れている。悪化してしまうよ」
咎める声は固く、それでも労るような視線がロシェルダに向けられていた。
「へ、平民の女が不敬を働いていたのです! だから、躾を……躾をしただけです!」
裏返る寸前の声はやっと絞り出されたもののようで、ただの子どもの言い訳のようだった。
「躾が必要なのは君たちのようだが? 僕も貴族の端くれだ。君たちの家名くらい覚えている。今後実家の沙汰があるまで謹慎でもしている事だな。処分が寛大になるかもしれない」
ひっと息を飲む声が聞こえたかと思えば、令嬢たちはバタバタと立ち去って行った。
「立てるか?」
頷き、差し伸べられた手は取らずに自力で立つ。
何と答えるべきか逡巡していると、思わぬ声が割って入った。
「あら? あなたロシェルダじゃない?」
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