第四章~たんぽぽ娘~③

 土曜日の午後。

 待ち合わせの時間通りに、集った秀明と亜莉寿は、西宮北口駅から北側徒歩数分の場所にある喫茶店『珈琲屋ドリーム』に向かった。

 店内に入り、テーブル席を確保し、二人で向かい合って席に着いて、注文を終えると


「有間クンは、良く喫茶店に来るの?」


と亜莉寿がたずねた。


「いや、正直に言うと、あまり多くは来ないかな。どちらかと言うと、コーヒーも苦手やから……ただ、ここのお店のアイスコーヒーのエスプレッソマイルドは、初めて飲んだ時に美味しさに感動して、それから、何回か来さしてもらってる感じ」


「そうなんだ。じゃあ、コーヒーの味も楽しみにしようっと」


 そう言って亜莉寿は笑った。

 注文した品が卓上に届く前に、秀明は切り出す。


「あ、そうそう! 『ショーシャンクの空に』の原作『刑務所のリタ・ヘイワース』読ませてもらいましたよ」


「どうだった?」


「映画も素晴らしかったけど、やっぱり、小説の方が、ストーリーをじっくり楽しめるなぁ、と思った」


「そうね! スティーブン・キングは、情景描写も心理描写も細かいから!」


「それと、原作と映画の相違点で一番驚いたのは、モーガン・フリーマンが演じたレッドが、アフリカ系じゃなくて、アイルランド系の人物だったことで……」


「私も、そこは映画を観てビックリした! 『え? モーガン・フリーマンがレッドなの? レッドって赤毛だったよね!?』って」


「レッドの名前の由来だけ、映画のセリフに残ってるのが、また……」


「あれは、ジョークなのかどうなのか、笑っていい場面なのか迷ったな~(笑)」


「あと、映画では全く語られなかったけど、レッドは、保険金殺人で逮捕されてて、しかも、自分の妻だけじゃなくて、近所の親子も巻き添えにしてるという……アレは、人柄の良さそうなモーガン・フリーマンには似つかわしくない犯罪やから、映画では語らなくて正解やったな、と」


 こんな会話を交わしていると、注文したアイスコーヒーが二人の席に届いた。

 ガムシロップを注いで、コーヒーを一口すすった亜莉寿は、


「あ、イイ香り! 美味しい」


と感想を述べた。


「アリス店長のお口に合った様で、良かったです」


と秀明は安堵して、笑った。


「それで……映画と原作の相違点の話しだったっけ?」


と亜莉寿が、話しを戻そうとする。


「ああ、そうそう」


 秀明が相づちを打つと、


「キャスティングとしては大成功だったと思うけど、ティム・ロビンスも、原作のアンディとは、少しイメージが違うよね?」


「確かに! 原作のアンディは小男で、映画のティム・ロビンスは身長一九〇センチくらいあるしね」


「うん! 原作の小男の銀行員という設定の方が、奥さんに浮気をされて、さらに冤罪で収監される悲劇が際立つかなって……」


「男からすると、真面目な人間なのに、美人な奥さんに浮気されるアンディが可哀想すぎて……あと、物語の根幹に関わるけど、あの脱獄方法は、アンディが小男だから成り立つ部分もあるんじゃないかと思うんやけど」


「そうね」


「身長一九〇センチの男が通れる抜け穴って、『どんだけ大きい穴を掘らなアカンねん!?』って言う……」


「確かに、あの下水管も、ティム・ロビンスが通れるサイズで良かったね!」


二人は声を上げて笑う。


「ところで、アリマ館長は、この作品のテーマって、何だと思う?」


「えっ!? 作品のテーマ……。やっぱり、映画でも原作でも頻繁に出てくる『希望はいいものだ。希望を捨てるな』ってことになるのかな?」


「うん、確かにそうね。アンディが、希望を持てない刑務所の中の生活で、モーツァルトの音楽を掛けたり、図書館を作ったり、コソ泥のトミーに勉強を教えるのも、その象徴かも」


「うんうん」


「でも、私はアンディ自身が希望を捨てずに、脱獄するための穴を掘り続けていたことが、この作品のテーマと関わっているんじゃないかと思うの」


「ん? と言うと?」


「刑務所モノの映画って、『パピヨン』にしても、『アルカトラズからの脱出』にしても、『暴力脱獄』にしても、脱獄することが目的になるじゃない?」


「確かに、そうやね」


「こういう作品が、名作として多くのヒトの心に残るのは、《刑務所=退屈で縛られている人生》の比喩で、『そこから脱け出したい!』と願う気持ちに、強く訴えているからんじゃないかと思うの」


「ほうほう」


「『ショーシャンクの空に』の場合、刑務所生活を送るアンディが、誰にも知られずに抜け穴を掘り続けて脱出に成功するのは、退屈な人生で義務の様にしなければならないことの他に、自分の中で深く掘り下げられるモノを持っておくべきだ、と言うことの象徴なのかも……」


 亜莉寿の言葉に、秀明はうなずき


「『自分の中で深く掘り下げるモノ』か……例えば、どんなことなんやろう?」


「た、た、例えば、人生の義務と言える仕事や学業をしながら、しょ、小説を書いたり、とか……?」


「そうか! 仕事にしなくても、趣味で音楽をしたり、絵を描いたり、とか?」


「そ、そうだね! 創作活動に限らず、たとえ、希望の持てない暮らしをしていたとしても、自分の中で《掘り下げられる穴》を掘り続けることで、『いつか、理想とする場所に抜け出すことが出来る!』この作品は、そんなことを描こうとしてるんじゃないかって思うんだ」


「なるほど……」


 秀明は、亜莉寿の披露した見解に、ただただ、感心していた。


(う~ん、やっぱり、彼女の話しを聞くのは面白いなぁ)


(新作映画の紹介も、自分メインで良いのか自信がなくなるわ)


(でも、二人で話し合えたことは有意義だったし、自分なりに紹介する内容をまとめてみるか)


 などと考えながら、


「アンディは、ショーシャンク刑務所で、不良囚人に《自分の穴》を掘られながらも、諦めずに《自分が掘り下げるべき穴》を掘り続けたことで、明るい未来を手に入れた訳やね」


と口にした。


「もう、真面目に話したんだから、茶化さないでよ」


 熱い語り口で高揚していた感情を沈めつつ、亜莉寿は笑いながら答えた。


「あ、ゴメン! つい、いつものクセで余計なこと言うてしもた」


「有間クンが、そういうヒトだって言うのは、わかってきたから、別にイイけど」


わざとらしく、ふて腐れる。


(でも……自分としたことが、ちょっと熱くなってしまってたから、助かったかも)


 亜莉寿は、自分の感情を確認しながら、


「今回だけは、特別に許してあげます」


と、うかつな相手に自らの寛大さを誇示する。


「はい、アリス店長の心の広さに感謝します」


と平身低頭する秀明。


 この時の吉野亜莉寿が、いつもに比べて冷静さを欠いていた理由を、有間秀明が知るのは、まだ先のことであった。

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