プロローグ~イノセント・ワールド~⑤

 こうして、夏休みも明け、中学三年の後半を迎える頃には、進学先の高校を決める季節になる。

 秀明は、彼の通う中学校の生徒の多くが通う学区内の高校ではなく、今年度に市内に創設され、秀明たちの学年が二期生となる単位制高校を志望校に選んだ。

 一般の学年制高校とは異なり、「習得する単位を一定の中から自由に選択でき、自分の進路に合った授業を学べる」という謳い文句が気に入ったからだ。


(自分の興味のある分野や教科を優先的に学べるのは大学や海外の学校の様で面白そう)


と感じたからでもある。

 幸いなことに、定期試験中でもほとんど学習机に向かわない、という怠惰を極めた勉学スタイルであろうと、中学校までの学習内容なら、秀明は学年でも上位の成績をキープできており、内申点なども問題にならなかった。

 彼の志望校である県立稲野高校単位制過程のクラスは、筆記試験とともに、小論文および面接試験が課せられたが、秀明の通う大荘北中学でも小論文対策や模擬面接が行われ、入試対策にも大きな問題はなかった。

 高校受験前の年末年始も滞りなく過ぎ去り、いざ試験本番まで、残りわずか、となった時期に、《あの日》を迎えることになる。



 ――――――一九九五年一月十七日午前五時四十六分。


 明石海峡を震源とするマグニチュード七.三の大地震が、兵庫県南部を中心とする近畿地方を襲った。

 都市直下型の地震ということもあり、神戸市をはじめとする阪神地区は、特に甚大な被害に見舞われた。

 幸運なことに、秀明の住む市域は、活断層から少し逸れた場所にあったため、家屋の倒壊は免れ、ライフラインの復旧も迅速に行われるなど、生活基盤を比較的早く取り戻すことができた。

 それでも、秀明には気になることが二つあった。

 一つは、震災の影響で、約一ヶ月の延期となった高校入試。

 そして、もう一つは、あの夏の日に会話を交わした職務放棄気味だった女子店員とビデオショップ『ビデオ・アーカイブス仁川店』の現状だった。

 実際、件のビデオ店から数百メートルほどの場所にある競馬場は、アーチ状の大屋根が大きく破損するなど、近隣の被害規模は、秀明の自宅周辺よりも大きなことが予想された。


(入試が終わったら、また、『ビデオ・アーカイブス』に行ってみるか)


 そんなことを考えつつ、中学生活最後の関門となる高校入試当日を迎え、筆記試験、小論文、面接試験を何とか無事にやり過ごし、あとは、合格発表を待つ身となった。

 入試本番が金曜日だったので、翌日の土曜日、秀明は愛車に跨がり、ビデオショップを目指した。

 途中、ひび割れたアスファルトの道路や補修中の橋脚など、地震の爪跡を感じさせる箇所を迂回しながら、目的の場所に到着する。

 震災から一ヶ月が経過し、周辺でも営業を再開している店舗があり、秀明の心配の種であるビデオショップも、その例に漏れていなかった。


(良かった! このショップも無事だった)


 安堵して、店内に入る。

 しかし、カウンターで作業をしているのは、夏にビデオ・テープを返却した時の中年男性だった。

 少し気落ちしたものの、今度は、意を決して、作業中の男性にたずねてみた。


「あの、すいません。去年の夏にこちらのショップで、ビデオをレンタルさせてもらったんですけど」


「はい?」


と怪訝な表情で返事をする男性店員。

 秀明は、構わず続ける。


「その時、夕立の雨宿りを兼ねて、ここのベンチで、映画の女性の店員さんとお話しをさせてもらったんですけど、そのお姉さんは、まだ、こちらのショップで働いていますか?」


 一気に喋りきったあと、


(ああ~!「ですけど」とか「こちらのショップで」とか何回言うてんねん! それより、ちゃんと伝わってるかな?)


などと、思いきって問い掛けた後の緊張が途切れ、秀明は一気に気恥ずかしさを感じていた。

 そんな秀明の感情をよそに、


「あぁ、あーチャンが言うてたジョン・ヒューズの話をしたのは君か?」


と、気の抜けた様な声で一人納得する中年男性。さらに、気安く話しかけるように、


「ごめんな。彼女は、夏休み限定で店を手伝ってもらう約束やったから、今は働いてないねん」


「……そうですか」


店内に入った時よりも一層、気落ちしたものの、秀明は質問を続けた。


「あの……お姉さん、あーチャンさんは、地震で被害に遭ったりは、しなかったでしょうか?」


「ん? 心配してくれてありがとう。今は店には来てないけど、彼女も家族も無事やから、安心して」


「そうですか! 良かったです」


と安堵して秀明が答えると、


「まあ、ウチの店の方は大変やったけどな~」


と冗談めかして苦笑する。

 一月の震災では、地震発生時のコンビニエンスストアの防犯カメラなどに、店内陳列物が崩れ落ちる映像が数多く残されており、日本中が衝撃を受けていた。当然、店内にところ狭しとビデオソフトが並んでいるショップなら、その様子も想像できた。


「あっ、すいません。そうですよね。お店の方も心配だったんです。店内とか大変だったと思うんですけど……何て言うか、お店が再開されていて良かったです」


 焦って答える秀明に、男性店員は、ハハハと笑い、続ける。


「ありがとう。君、面白い子やな。あーチャンにも、君が店に来てくれたことと、あーチャンを心配してくれていたことは、伝えとくわ」


「ありがとうございます! よろしくお願いします」

 

 弾かれた様にお辞儀する秀明。


「はい、頼まれときます。ところで、今日は何か借りて行ってくれるの?」


「そうですね、何かオススメ作品は、ありますか?」


「『ブレックファストクラブ』の話をしたなら、エミリオ・エステベスつながりで、『セント・エルモス・ファイヤー』は、どうかな? 他にも、共演者が被ってるし。まあ、《ブラッド・パック》って言っても君らには通じないな(笑)まだ、観てなければ、やけど・・・・・」


「まだ、観てないので、お願いします! 一泊二日のレンタルで!」


 語りたがりの少女との再会は叶わなかったものの、彼女とショップの無事を確認できたことは、秀明にとって大きな収穫だった。

 晴れやかな気分でこの週末を過ごすことが出来た彼の映画ノートには、543本目となる作品の感想が加わる。


(この映画、鈴木保奈美主演のドラマ『愛と言う名のもとに』の元ネタ?)


 さらに、数日後、志望校の合格発表があり、秀明は、同じ中学のメンバー4人全員とともに、無事に自分受験番号が掲示板にあることを確認することが出来た。

 この年の春は、秀明自身の関心事の他にも、


・日本人投手の米メジャーリーグ移籍

・東京での地下鉄テロ事件


など、激動の年に相応しい、大きなニュースが起きている。

 そんな中でも、秀明は残り少ない中学校生活と春休みの間も映画漬けの日々を満喫し、その中には、映画館で観賞した『レオン』と『フォレストガンプ』が含まれていた。

 こうして、有間秀明は、一九九五年の四月を迎えることになる。

 観賞した映画の本数は、五五〇本になっていた。

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