ふがいない僕が捧げるメリークリスマス
森山 満穂
ふがいない僕が捧げるメリークリスマス
※。.:*:・'°☆
書きかけの小説が、腕のなかで暗がりに横たえている。渡せなかった一節は、時間に託つけて踏み出さなかった罰なのだと云わんばかりに素知らぬ顔してクリスマスイブの聖歌を歌っていた。完璧なきみには似合わないほど不恰好で、不器用すぎる僕の物語を、きみは知るよしもない。
※。.:*:・'°☆
『しゃんしゃんという音は、トナカイの足音だと思っていた。』
デスクライトのオレンジ色が一節だけ書かれた原稿用紙を照らしていた。右手に握られたペンは長時間そのままでいたせいで生ぬるくなっている。逆に僕の手は、温かさが吸い取られて冷ややかになってしまっていた。
どうしてこの手は動かないのだろう。頭の中でまとまらない文字の羅列に焦燥しながら、僕はまだ動けないままでいた。気晴らしに手に取った文庫本も、ミュージックプレイヤーの中の音楽も、才能に嫉妬するばかりでいっこうに気持ちは休まらない。
自宅の自分の部屋で机に向かいながら、僕ははぁ、とため息をついて、椅子の背もたれにもたれ掛かる。ほんとうに僕は、ダメなやつだ。もう一度深くため息をついてから体を起こし、机の本立てにある辞書のケースを取り出した。中にはエアメールの封筒がぎっしりと詰まっている。僕は一番右端にある封筒を取り出す。その中にある少しだけ端の合わない、四つ折りの便箋を開いた。
『Dear my prince
お元気ですか?私は元気です。そちらの様子はどうですか?こっちはもうずっととても賑やかです。どこのマーケットもクリスマスムードで溢れているし、ママはディナーの買い出しでロンドンの郊外まで足を運ぶほど気合いをいれているの。まだ一ヶ月前なのにね:-)でもその分、当日が楽しみ!』
すみれの花が描かれた便箋には、彼女そのものを表しているかのような明るく快活な文字が踊っていた。外国育ちのわりに奥ゆかしい絵柄のその便箋は、彼女の誕生日に僕が贈ったものだ。オーガニックかエキゾチックな柄しか手に入らないと手紙でぼやていたのを覚えていて、思い切って贈ってみたのだ。それを彼女はえらく気に入ってくれたらしく、それから毎回、この便箋で手紙を書いてくれている。
ふっと、思わず口元が緩む。幼い頃に見たきらめくような笑顔を今でも鮮明に思い出せる。そんな、こちらまで気分が明るくなってしまうような雰囲気を彼女の手紙からはいつも感じた。さらにうきうきとした文字で『それと、うれしいお知らせがあるのです。』と書かれていた。
『今年の12月25日についにパパのフィルが日本でコンサートをすることになったの!私も付いていって良いって!コンサートが終わってからだから夜になってしまうのだけれど、その日二人で会いましょう!マナトの書いたお話、とっても楽しみにしているね;-)♥』
無邪気に跳ねるような字に、耳の奥で彼女の明るい声が再生される。それを読む僕は、まったく真逆の感情を抱いていた。もう一度、目の前の原稿用紙を見る。たった一行。それがどんなに残酷な現実か。その意味を知ってもらうには、彼女との出逢いから話さなければならない。
*
僕がサンタがいないと知ったのは、10歳のクリスマスイブの夜だった。父親からなんとなしに手渡されたプレゼントを見て絶望し、僕は家を飛び出して夜の街に繰り出した。
だって僕は、その数日前まで教室で討論されていた"サンタクロースはいるか問題"で、誰の追及も意に介さず、圧倒的スピーチで論破してサンタクロースはいるとみんなに納得させたばかりだったのだ。それを、ほら、と軽くぽんと手渡されたプレゼントによって一瞬で崩されるなんて。神様はいじわるすぎる。信じきっていたものが突然、現実味を帯びた形で崩れ去る光景は絶望以外のなにものでもなかった。
ずかずかと早足で賑やかな街並みを歩いていく。見上げた暗い空にはトナカイはいなくて、軽快な音楽だけが音の道をつくっていた。街並みは調子に乗ってイルミネーションをきらびやかに纏っているし、そこに行き交う人々も大きな声で笑っている。人の気も知らないで。どこへ行っても逃れられない楽しげな光景は、僕の神経を逆撫するばかりだった。おまけに雪までちらついてきて、コートを羽織り忘れた僕は余計に惨めな気持ちになった。赤、白、緑の光景を振り切るように横切って、ライトアップされた噴水が中央にある広場に出た。その時、どんな輝く景色よりも、僕の目を奪うものがあった。
噴水を囲むようにある花壇の端に、女の子が一人で座っていた。ふわふわとゆるくウェーブのかかった長いブロンドの髪をネイビーのカチューシャで留めて、それと同じ色の丸襟のついたワンピースの上に黒のチェスターコート。その子は人形のように小さく可愛らしくて、とてもお上品な出で立ちをしていた。だけど重要なのはそこじゃなくて、伏せられた両目からぽろぽろと涙を流していたのだ。こぼれ落ちる涙は彼女の膝や地面に落ちる前に噴水から放たれた光を受けて、クリスタルのようにきらきらと輝きながら消えていく。周りの人々は家族や恋人、大切な人との時間に夢中で、それに気づいていないようだった。人々に囲まれていながらも彼女は孤独に、ひたすら涙を流し続けていた。こんな浮き足だった、みんなが幸せに浸っているなかで、同じ悲しみを抱えた人がいる。それを運命のように思って、僕は泣いている彼女に近寄って、できるだけやさしく声をかけた。
「大丈夫?」
ずっと下を向いていた視線が上がって、瞳が僕を捉える。それは澄んだ青い色をしていた。ちらちらと赤い光が当たって、それは時折鮮やかに紫色に染まる。はっとしたような、でも、とても安心しきったような表情で彼女はほほえんだ。その時僕は、外国人だ、と内心どぎまぎしていたのだけれど、彼女はそんな様子を知るよしもなくいきなり、僕の首に腕を回して抱きついてきた。ふわりと甘い香りがして、温かさに包まれる。僕は必死にしがみついてくる小さな女の子の、背中をそっと抱きしめ返した。あとから聞いた話だが、その瞬間から僕は彼女の王子様になってしまったらしい。
彼女は片言だが日本語が少しだけ話せるようで、落ち着くの待ってから英語と日本語を交えてなんとか事情を聞き出すと、どうやら迷子になってしまったようだった。僕は一緒に近くの交番に行ってあげることにして、手を繋いであげようと差しのべる。すると、ぎゅっと腕を組まれてしまって、誰かと腕を組むなんて生まれてはじめてのことだったから、かなりぎこちない歩き方になりながら交番へ向かった。
交番に着くとお巡りさんに彼女を受け渡そうとしたのだが、彼女は僕の腕にしがみついて離れてくれなかった。なので結局、彼女のお父さんがくるまでそばにいてあげることになった。そして、夜中に子ども一人で街をうろついていた僕も、両親に迎えに来てもらう羽目になってしまったのは言うまでもない。
30分後、やっと来た彼女のお父さんを見て、僕はびっくりすることになった。なぜなら、そのお父さんはまるっきり日本人の顔をしていたのだから。面食らっている僕をおいてけぼりにして、親子が感動の再会を果たしているところに、僕の両親がやってきた。
そしてあっちはホテルに、こっちは家に帰ろうとした時、彼女は英語で「このままお別れなんていやぁっ!」と言って、僕の腕にしがみついて離れようとしなかった。みんな必死に説得を試みたが、その小さな手の力は強くなるばかりで、むしろ決意は固くなっているように感じた。だが、僕が一言「for Letter……?(つまり、手紙を書くよという意味)」と手振りを交えて言うと、彼女はあっさり手を離して、弾けるような笑顔を見せた。大人はみんなそれを見て唖然としていたのを今でも覚えている。それから僕らはお互いに住所を教え合った。帰国したらすぐに手紙を送ると言い残して、彼女は粉雪がちらつく夜の中を父親と一緒に手を繋いで去っていった。
それから一週間と経たずに彼女からの手紙は送られてきた。その手紙は日本語で書かれているものの、幼稚園児みたいなつたない字で、最初の行に書かれたDear My Princeという流暢な筆記体とのギャップがすごくて、思わず僕は目をしばたたかせた。どうやらお父さんに教えてもらって書いたらしい。ときおり反転する『と』や『さ』の字がなんだかいとおしくて、読みながらついほほえんでしまったくらいだ。
手紙には、彼女の名前はエマで、歳は8才。イギリス人と日本人のハーフで、あの日はお父さんが所属するフィルハーモニーのコンサートのために日本に来ていたということだった。それから簡単な自己紹介と、学校のこと、暮らす街のこと、僕の身の回りでは起こり得ないたくさんの新しいことを彼女の手紙は教えてくれた。はじめて耳にする真新しいことが嬉しくて、僕もわくわくとした気持ちで返事を書いた。もちろん日本語でしか書けなかったけれど。
それから僕たちの手紙交換は途切れずに続いた。僕は日常で起きた面白い出来事や、本で読んだ物語のことなど、とにかく彼女からもらったそのわくわくとした気持ちを自分も返したくて、できるだけ楽しいことを書くように心掛けて返事を認めた。
そんなやりとりを続けて二年が経った頃、彼女からの手紙が僕の運命を変えることになった。
いつもの通り僕が封筒を開くと、そこには便箋と、一枚の写真が同封されていた。立派な建物の前に立って、フルートを抱えながら満面の笑みを浮かべている彼女の姿が映っていた。あの日会った時と同じように紺色のワンピースに同じ色のカチューシャしていて、でもその姿は心なしか少し大人になったように見えた。思わず可愛いなと頬を赤らめる。これまでも何度か写真を同封されていることはあったが、彼女はいつだって可愛いらしい。送られてくる手紙のひとつひとつの字の躍り具合を見ていても、その雰囲気は感じられた。
この頃にはもう彼女は日本語をマスターしていて、あの幼くつたなかった字は教科書に載っていてもいいくらい流麗で美しいものなっていた。『もうお父さんに教えてもらわなくても書けるようになったのよ!』とえっへんという顔文字と共に自慢げに書かれていたのを今でも覚えている。
次に手紙の方を読んでいく。そこにはコンクールで入賞したというグッドニュースが書かれていた。彼女はお父さんの影響で音楽に造形が深く、彼女自身はフルートを吹いているという。ちなみにお父さんはトランペット奏者だ。
そんな彼女がコンクールで入賞したなんて話を聞かされたら、両手をあげて喜ぶ他ないだろう。すると、次に彼女は『夢に一歩近づいたわ!もっと頑張らなくちゃ!』と意気込みを新たにしていた。弾むようなその一文になんだかこちらまで嬉しくなる。彼女の夢はフルート奏者としてお父さんのフィルハーモニーで演奏することだった。
『そういえばきいたことがなかったけれど、あなたの夢はなに?』
夢。字面だけを心のなかで読み上げて、徐々に言葉の意味が染み渡っていくうちに、言いようもない感情が胸に広がる。将来サッカー選手になるとか、You Tuberになるとか周りの子たちが未来に想いを馳せる中で、僕は将来何になりたいか、何も思い浮かべることができなかった。特別好きなことも、大人になってからやりたいこともない。しいて言うなら彼女との手紙のやり取りは大人になっても続けたいと思っているけれど。そう正直に打ち明けると、彼女は次の手紙で思いもよらぬ言葉を返してきた。
『そうなんだ。なら、小説家になればいいわよ!』
その一文を読んで、僕は飲んでいたコーラを噴き出しそうになった。なんでそんな突拍子もないことを? と思いつつ、続きを読み進めていく。
『いつもあなたの手紙を読んでいるときね、頭のなかに景色が浮かんでくるの!日本の学校や、季節の花々、まるで物語を読んでいるみたいに楽しくて、うれしい気持ちになるわ!あなたが物語を書いたらきっといいものになると思う!』
そんなふうに思って読んでいてくれたなんて、想像もしていなかった。胸の奥が温かくなって、少しこそばゆさまで感じる。小説家かぁ……。確かに手紙は彼女を喜ばせたい一心で工夫して書いているし、本を読むのだって特別というほどじゃないけれど好きだ。手紙の文面をもう一度読み上げて、僕のなかでとてもわくわくした何かが沸き上がってくるように感じた。書いてみようか。それから彼女に、やってみようと思う、と手紙を書いて、急いでポストに投函しに行った。その時にはもう、頭の中では書いてみたい物語のアイデアが溢れていた。
だが、現実は甘くなかった。僕はつまるところ物語を書くという行為を舐めていたのだ。手紙のように脈絡もなく、いろんなことを好きに書いていていいわけではない。ちゃんと物語がどう進んでいくか構成を考えて、設定を細かく作り上げて、題材となるものを取材して、それから文章にしていくのだ。文章にしていく段階でも、ただ起きることを淡々と文にしていくだけではつまらない。経験に基づく整合性やその人にしか生み出せない独創性が必要だ。そんなことを十年そこらしか生きていない、ましてや最初から自分で決めたわけでもない夢を持つ僕に容易にできるわけがなかった。頭の中では物語が組み上がっていても、いざ原稿用紙に向かうと、とんでもなくつまらなくて稚拙な言葉しか出てこない。僕には才能がないんだ。もう諦めてしまおうか。
僕がそんなことを考えていることは知らず、彼女は毎回手紙のなかに『執筆は順調?』とか、『あなたの書いたお話がはやく読んでみたいなぁ』とか、無邪気に様子を窺ってきた。僕は彼女を悲しませたり、失望させたくなくて、つい『順調だよ』とか、書き始めてもいない物語のアイデアを書いてみたりだとか、調子のいい嘘を吐き続けた。彼女はついに僕の書いた物語を読ませてほしいと懇願してきた。僕はその時、なんとか最悪の事態を避けるため『今度会った時に直接きみに物語を贈るよ。その時まで待っていて』と約束した。それからありとあらゆる方法で僕は書けていないことをごまかし続けた。まだ時間はある、まだ大丈夫。そう自分を安心させて一節しか書けていない原稿用紙が溜まっていくばかりの日々。結局五年の月日が経ち、ついに彼女は明日、僕に会いに来てしまう。
*
大きくため息をつくと、指先に冷たい風が触れる。時計を見ると、時刻は23時を回るところだった。感傷に浸っている場合ではない。手紙を元の場所にしまうと、もう一度ペンを握った。
目を閉じて、頭の中に浮かぶ映像がうまく文章に変換されるのをじっと待つ。集中してきたと思った矢先、静寂を打ち破る音がゆっくりと忍び寄ってきた。赤鼻のトナカイのメロディが次第に大きくなって、抗いようもないほど聴覚を支配する。そのせいで集中が切れてしまって、仕方なく目を開けた。
窓の外を見ると、ラッピングカーが自身を光らせながら、僕の家の目の前を通りすぎていった。楽しげな音楽が軽快に去っていくのを聴きながら、舌打ちをする。あの音楽が流れるラッピングカーが向かう先には、きっとイルミネーションがきらびやかに街を彩っていて、ひっきりなしに陽気なクリスマスソングが流れているのだろう。いい気なもんだよな、人の気も知らないで。窓の外を睨みながら思う。七年経っても変わらない、気分最悪のクリスマスイブだ。そしてなによりも、成長しない自分が一番最悪だ。がっかりさせたくない、悲しませたくないと思いつつ、ごまかすことばかりに必死で何もしてこなかったのだから。ペンを持つ手に力が入る。
もう一度。そう思って目を閉じようとした時、視界の端にきらりと光るものがあった。はっとして見ると、手紙の入った辞書ケースの隣にラベルのないCDケースがひっそり佇んでいた。このCDに何が入っているのかはもちろん知っている。少しばかり躊躇う気持ちを持ちながらも、自然と手はそれを引き抜いていた。CDとケースの間に挟まっている小さなメモには筆記体で『EMMA's Valse des fleurs』《エマの花のワルツ》と記されている。
三年前の僕の誕生日に彼女から送られてきたものだ。ごまかすために『きみの演奏を聴いてみたいな』と手紙に書いたところ、僕の誕生日がちょうど近かったからか、プレゼントとして送られてきたのだ。だが、嘘をついている後ろめたさや、夢に向かってまっすぐに進んでいく彼女を羨ましく思う気持ちで純粋に耳を傾けることができず、結局一度聴いたきりでしまってあった。
今さら聴いたところで変わりはしないんだろう。でもなぜだかさっき見た瞬きに、光にすがりたくなってしまったのだ。プレイヤーにCDをセットし、イヤホンをつける。再生ボタンを、押す。
ハミングのような音色が、次第に暖かな空気を孕んで飽和する。音の粒に色がついて、花びらに変わる。ひらひらと軽やかに舞う。それは優しい、紫色だ。小さな星の欠片が花びらの軌道に瞬きの余韻を残す。光と花びらが手を取り合って、宙を踊るように駆け回る。
彼女が紡ぎ出す音楽が脳裏にひとつの世界を作っていく。これが、表現するということなのだ。自分のなかの内なるものを解放して、さらけ出して、そうして人の心を震わす。なんて、素晴らしいことだろう。こんな世界を、僕も描きたい。
耳の奥で彼女の旋律を聴きながら、ペンを取る。原稿用紙の罫線なんか無視して、自分のなかに溢れてくる言葉を書き付けていく。
物語はクリスマスイブの夜、他国の王子と姫が運命的に巡り合うところから始まる。王子は姫に才能を見出だされ、文筆家の道を志すが、姫の期待に応えようとするあまり、やがて自分の限界を知る。ついには筆を折ってしまったが、姫に失望されたくなくて書き続けていると嘘をつき続ける。そんな折、姫が王子の国にやって来るという。それを機に王子はまた筆を執る。姫に本当のことを伝えるために。もう逃げないで、現実と向き合う。失望されても本当のことを話そう。これはどうしようもなくふがいない、僕の物語。
とめどなく溢れ出す流れのまま、思いついた言葉を書き付けていく。途中で止まってしまったら、もう二度と書けなくなる。下手でもいい。書き始めなければ何も生み出すことはできないのだから。
それから原稿用紙が陽の光にあてられて白からオレンジ、陰の色を濃くするまで、時間を忘れて僕はひたすら文字を書き連ねた。なんとかまとめあげた時には、もう辺りは真っ暗になっていて、約束の時間まであと10分ほどしかなかった。待ち合わせは僕たちが出会った噴水広場に21時。急いで身仕度を整え、夜の住宅街を駆け出した。
ふと、肩に掛けられた鞄に視線を移す。つかの間、中にある原稿用紙の束に想いを巡らせた。これを読んで本当のことを知ったら、きっと幻滅するだろうな。彼女ともう会うことも、手紙をやり取りすることもできなくなるかもしれない。だけど、見せないなんて選択肢はないのだ。正直に全てを打ち明ける。だって、僕はきみの王子様なのだから。
イルミネーションで金色に彩られた街路樹の並木を通り、赤、白、緑で統一された様々な商店のオーナメントを横目に人波をすり抜けていく。あんなに鬱陶しいと思っていたクリスマスソングは、今では足取りを軽やかにしてくれる魔法のようだ。音楽に身を任せるまま走っていくと、やがて噴水広場にたどり着いた。ライトアップされた噴水の周りにはカップルがちらほらといて、笑い合い寄り添う姿がめくるめく光の色で染まる。
ふいにライトアップの光が止んで、水柱に透かされた向こうにブロンドの髪が見えた。そこに視点を固定させたまま、逸る気持ちを押さえつつ、ゆっくりと回り込む。徐々に水の幕が下りて、その姿が鮮明になる。ふわふわとゆるくウェーブのかかったブロンドの長い髪、黒いロングコート、すらりとした立ち姿。それだけで彼女だと直感的にわかった。だが、あと数メートルというところで、思わず僕は立ち止まってしまった。いつも写真では見ていたけれど、目の前にいる彼女は想像していたよりも大人びていて、女性らしい雰囲気を漂わせていたから。横顔が顕になった時に見えたコートの中には、首もとに黒いレースがあしらわれた落ち着いたピンク色のワンピース、ボルドーのピンヒール。遠くに煌めくイルミネーションの輝きに浮かび上がるようにその姿は艶やかで、いっそう美しく見える。どきり、と鼓動が速くなる。なんだか僕の知っている彼女ではないような気がした。確かめたくてつい、ぽつりと彼女の名前を口にする。
「エマ」
その瞬間、彼女の髪がワルツを踊るようにふわりと広がって流れ、こちらに振り向いた。噴水が点滅しながらピンクから赤にゆるやかに染まる。彼女の青い瞳が、僕を捉える。青い色がちらちらと、紫色に変わる。軽やかで優しい、紫色だ。そのなかに僕が映った瞬間、星が輝くように光が溢れた。はっとしたような、とても安心しきったような表情で彼女はほほえむ。その笑顔に、幼かったあの頃の面影が見えた気がした。
途端、首に腕を回されて、勢いよく抱きつかれた。ふわりと甘い香りが広がって、彼女の体温が僕に注がれる。なにも、変わってないんだな。エマはずっと可憐でまっすぐで、可愛いままだ。僕は優しく、その華奢な体を抱きしめ返す。ああ、嫌われたくないなぁ。心のなかで泣いてしまいそうになりながら、未練を追い払って静かに決意を固め直した。
数分抱きしめ合った後、彼女は体を離してすとんと地面に降り立つと、フレンチキスをするみたいに小さく、Merry Christmas、と囁いた。頬をほのかに赤く染めて、きゅっと、口角を上げる。これから起こそうとすることを想うと、この幸せな瞬間がとたんに名残惜しく感じる。でもこの気持ちを、一生忘れないでいようと心に誓った。僕はほほえみながら、わずかな希望の祈りを込めてつぶやく。
「メリークリスマス」
ふがいない僕が捧げるメリークリスマス 森山 満穂 @htm753
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