才媛ふたり

エアフルト会食(1)

 二つの足裏で大地を踏みしめ、頭頂部以外の体毛にとんと恵まれぬ人種、すなわち猿人だけが、帝国の定義する人間である。


 帝国建国から五百年あまり、この人間観は半ば不文律として、今なお帝国民の常識に根付いている。現に足が二本より多かったり、または少なかったり、もしくは肩甲骨より羽毛の生えた第二肢を有しているような人々は、不具者も同様の二等国民として扱われてきた。


 かつて彼らは【魔物】と称され、升天教を国教とする諸国家群から常に弾圧されてきた歴史がある。大陸最大の宗教戦争である大ダルマチア戦争での勝利を経てから、帝国は一層の自国中心主義を推し進めた。大陸全土の帝国化を掲げ、貴族たちは将来的な『魔物問題』の解決を念頭に、国政を謀るようになった。魔物とされた人々への財産権は認められず、信教の自由はもってのほかである。人間を名乗る欠陥品が、人並みの人格と権利を有することなど、自分たちを勇者の末裔と信じて疑わない貴族たちには、荒唐無稽も甚だしかった。航海術の発達による新植民地主義の勃興も、こうした思想傾向の一助となっていたことは言うまでもない。


 時の教皇の意向もあり、彼らへの弾圧の程度には、地域によって差が設けられてはいた。しかし全国的に人権を制限され、居住地を隔離され、持たざる者としての隷属を強いられていたことに変わりはない。


 神の遣わしたる救世主【勇者】は、長き旅路の果てに【魔王】エレシュキガルを討ち果たし、彼とその臣下に【叡智の教義】を授けることで、魔物たちの心に理性を芽生えさせたという。


 帝国では、この升天教の教義に基づいた宗教解釈がアイデンティティの根底に据えられている。救世主の似姿からかけ離れた形質を持つものは人間ではなく、それ以外の人間もどきであるという思想は、国民皆兵と重税に喘ぐ平民たちには容易く膾炙していった。弱者は弱者を求めるのである。たとえ元来の勇者信仰の教義からかけ離れた内容のものであっても、少しでも心的な均衡をもたらしてくれるのであれば、その真贋はさほど重要なことではない。働けども楽にならざる生活、果たしてこれはどこの誰に責を求めればよいか。貴族たちはこれを民の怠慢と断じたが、同時に国家の脅威として魔物の存在を挙げていた。国民の財と平和を侵食し、唯一神と勇者に帰依せず、禁忌を禁忌とも思わぬ人非人。あの陽の当たらぬ薄汚れたゲットーから疫病をまき散らし、神より賜った言語を捨て、異教のまじないで帝国を呪う寄生虫。


 ここまでの内容を宗教者を介して風聞として流してやれば、あとは簡単なものである。民は魔物を憎み、国内で大ダルマチア戦争の続きをやってくれる。憎悪に教養や思考力など必要ない。ただ衝動のまま大勢で魔物どもをなじり、石を投げさえしてくれればよい。


 要は貴族に矛先が向かなければいいのだ。むしろそれこそ魔物がこの地上に生を受けた最大の理由であり、天命である。魔物もまた神より人間に与えられし一つ、これを活用しなければ、それこそ神に対する冒涜というものであろう。そのような涜神を促しかねない教義など、もはや邪教の教えにほかなるまい。理性を育みし【叡智の教義】とやらの意義は、必要悪の管理と維持にある。多くの皇族や貴族は、それを今なお本気で信じ込んでいた。

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