第13話 マティーファと英雄「ガレス」と破滅の足音


 》


 夜空の向こうから、遠雷のような音が響いてくる。

 そちらの方向へと目を向ければ、それは実際に光を放ち、しかしその発生源は、空ではなく地上にあった。


 時にリズムよくテンポを踏んで。

 時に初心者が奏でたギターのように。


 光と遠雷は必ずセットになり、「無言の底沼」へと至る街道沿い、地元民からは「妖狐の森」と呼ばれる森林地帯の空を、定期的に揺らしていた。


「やってンなァ」


 私たち「暮れずの黄昏」の主力が囲むのは、すでに設置から一週間が過ぎようとしている、「開拓者」たちの野営の中、そこに焚かれた焚き火のひとつだ。

 すでに、此度の任務が長期にわたるものになることは決定したようなものなので、資源も糧食も、できる限り節約しなくてはならない。


 しかし今、この時に限っては、私たちが手にする椀の中のシチューには、見るだけで唾液が分泌されて止まらなくなるような、高級そうな肉の塊が、ゴロリと入っていた。


「やっぱ『虹』の所有者ともなると体力が違ェな。今のローテになってどンくらいだ?」


「ちょうど三日ですね。予定より伸びてますが、向こうのまとめ役が『もうちょいイケるべ!』と乗り気でして」


「それ言ったの絶対ェ『天球組合』のマルスだろ……」


「よくわかりましたね。私、幽霊なのであの筋肉は結構うらやましいです」


 上半身しかない体が焚き火に照らされるキャスリンが、ドゥーンの言葉に丁寧に答えていく。

 ず、と椀に直接口をつけるキャスリンだが、半透明の口に入っていったシチューが、その瞬間に忽然と消えてしまうのは、何回見ても不思議な光景だ。


 というか、


「──どうして当然のようにメシをタカってんのよぉ、あんたは」


 》


 巨大魔獣の出現から一週間がすぎた。


 魔獣の規模にしろサイズにしろ予想外なことは予想外だが、開拓者とはそもそも、魔獣を狩って生計を立てているプロである。

 立案された討伐プランは全参加ギルド承認の上ですぐさま実行され、現在、討伐隊は三つのチームにわかれていた。


 すなわち、巨大魔獣を「削る」Aチームと、周辺を警戒の上で準援護態勢を維持するBチーム。休息をとるCチームである。


 この三チーム制の戦闘態勢は、定期的にローテーションを行い、長期にわたって魔獣を削り続けることを主目的としていた。

 ゆえにそれぞれのチーム分けは、所有する「虹」等級の獣王武装の数を参考に行われた。

 具体的には、ちょうど七本ずつの「虹」武装が、ABCチームに均等に配されているわけである。


 私たち「黄昏」はAチームとして討伐作戦に参加。そして今は、ローテーションが回った結果、森林地帯に築かれた野営の中で、休息をとっている、というわけだ。


 私が放った疑問に、ドゥーンが、膝の上に満腹状態のノエルを乗せたまま答えた。


「どうして、ってそりゃ、『削り』を含んだ長期任務になりそうだかンな。メシを食うのは大事だろう」


「メシメシー。『虹』武装、合計で二十一本もあるんだがら、一気に攻めてドカンしちゃえば楽なのにねー?」


「ノエル、それをして全滅したら目も当てらンねェだろ? それにこれは、『王都』からのお達しだ。無視もできねェよ」


 前代未聞の大魔獣の出現は、すぐさま情報として人間の暮らす領域全てに伝えられた。


 無論、各地では混乱が起きているというが、それはもう仕方がない。

 しかし討伐・開拓状況の管理を一手に担う「王都」関連省庁は、この事態を受けて、次のような指令を合同部隊に送ってきたのだ。


『大魔獣を討伐の上、その出現原因を持ち帰れ』


 出現原因を調査せよ、ではなく、持ち帰れ、である。


 要は、なんとしてもこれが「イレギュラー」であるのだと証明せよ、というのだ。

 魔獣から奪還した「照覧領域」は、魔獣に脅かされるわけにはいかない。

 だから、王都としてこの一件は、どうあろうとも「解決可能」な案件でなくてはならない。そういう意図が透けて見える指令だった。


 私は言う。


「いや、そうじゃなくてねぇ? あんた、自分のギルドがあるでしょう。どうしてわざわざうちのギルドの焚き火囲んで、うちのシチューすすってんのよ、って聞いてんのぉ」


 この討伐作戦は、各ギルド協同のもとで行うものではあるが、物資や戦闘員の管理はそれぞれのギルドで行うものである。


 つまり、食事の用意も、寝床の設置も、本来は各ギルドがそれぞれの責任で行うのだ。


 そこのところ、超少人数ギルドである「明けずの暁」はどうするのか、と思っていたのだが──蓋を開けてみればなんてことはなく、彼らはこの一週間、他のギルドにタカりを行って過ごしていたのだ。


「食費だってバカにならないしぃ、物資は限られてるんだから、穀潰しはいらないのよぉ。さっさと出ていってちょうだぁい」


「なーにを天下の『暮れずの黄昏』がケチなことを。お前が偉そうにご高説たれてた、『輸送員との契約』とやらはどうしたァ?」


「それは……仕方ないでしょう? これだけのギルドが一斉に長期任務に出てるんだから、ある程度の量を確保してくれるだけでも、感謝しなくちゃぁ」


 実際、その通りだった。


 うちのギルドが昔から糧食を購入していた「万来商店」は、今回、他のギルドに先を越されて契約を結ぶことができなかった。


 ゆえに今回は、規模で言えば「ブルーフレア」で二番目を誇る「雲母商店」に、物資の確保から輸送までの一切を依頼したのだ。


 慣れ親しんだ商店との契約が取れなかったのは痛いが、「万来」の方にはドゥーンの息がかかっている可能性もあったため、総じてメリットが高い、と判断し、「雲母」を選ぶに至った。


 だが今回、実際に長期任務が発生するに至ると、十分な量の糧食が用意できない、という旨の連絡が、「雲母」から入ったのだ。


 担当者にはどえらい勢いで頭を下げられたが、あまりにも突然の大量発注だっただったことも事実。

 こちらにも非があるとして、特にクレームなどはつけなかったのだが──。


「当ててやろうかァ? 雲母商会だろ、今回依頼したの」


「……それがどうしたのよぉ」


「あいつら、抜いてンぞ」


「……え!?」


 ……抜いてる、って、物資を? それとも資金を?


 確かによくよく考えれば、怪しいところはあった。


 私が赴いた商店の事務所。今考えてみると妙に表通りから奥まった場所にあったし、その周辺には、非公式に様々な「仕事」を行う闇ギルドが集まっているとされる一角もあった。


 もっと言えば担当者の男はなぜか東洋の民族衣装じみた格好で、目は線だったし、ナマズにも似たちょろっとしたヒゲが生えていた上に、語尾に「ある」をつけてしゃべっていた。

 事務所の至るところに金のシャチホコが飾ってあったのも、今考えれば、あまりにも常人離れしたセンスではなかろうか。


「身辺調査を怠ったなァ? 調べれば、あの商店から定期的に、まとまった金が『アビス』とか呼ばれている組織に流れていることも察知できたはず」


 調査をしたのかしなかったのかで言えば、していない。

 だって「ブルーフレア」で二番目に大きい商店なのは確かだったし、あの時の私はシャチホコのことをそこそこオシャレだと感じていたのだ。


 私は苦し紛れに言う。


「……ふ。なぁにを言っているの。そんなこと、私が気づいていないとでも思っていたの? 泳がせていたのよぉ。あの商店は真っ黒だし、あのシャチホコだって全くオシャレではないわぁ。ねえ、ウルティマ?」


 するとウルティマが、お猪口に乗せられた肉の塊からフォークを離し、


「いえ、その……マティーファさん、私、あの担当者があまりにも怪しかったんで調べたんです、が……白です、『雲母商店』。真っ白です。お金の流れには何も怪しいところありませんでしたし、今回の物資不足は、単に突発依頼だったから、です……。あ、ドゥーンさんの言っていた『アビス』は、魔獣災害孤児のための支援基金の名前、で……ついでに言えば、あのシャチホコは人間国宝に指定された獣人、『バベル・バベッジ』の作品、です……」


「あ、知ってますよその人。インタビューとかでいつも『どうも、人間国宝です。獣人ですが』って挨拶する人ですよね」


 私は叫んだ。


「ドゥううううううううん!!!!」


 ドゥーンが、小脇にノエルを抱えて走って逃げていった。


 》


 逃げて言ったドゥーンを見送り、息をついた私に、声をかけてきたものがいた。


 火の炊かれた鍋の側で、これまで黙々とギルドメンバーにシチューを取り分けていた大男、ガレスである。


「はっはっは、翻弄されてんなあ、マティーファ」


「が、ガレスさん……いえ、翻弄などされていませんわぁ。ただ単にあの男の頭のおかしさが私の想定を上回ってきただけでぇ」


「だったら何も言わねえがなあ」


 そう言ってガレスは、焚き火を囲んでいた「黄昏」メンバーの輪に加わり、自身もシチューを食べ始めた。


 左手で椀を持つ一方、ガレスのもう片方の腕は、鎧を覆うポンチョにも似た外套によって隠されている。

 片手で器用に椀を傾け、中身をすするその様子は、恵まれた体格と威風堂々とした佇まいとは裏腹に、どうしたことか哀愁に満ちたものだった。


 ガレスが言う。


「あんまさ、怒ってやんなよ。ドゥーンは戦闘できなくて軽薄でフィギュア事件とかの奇行が目立つし妹の奇行はもっと目立つが、セクハラはほんとどうしようもねえ。自覚が全くねえのもアレだし、あれはヒルドが全然気にしてねえのも拍車かけてるよな。最近どっかから拾ってきたっていうあの青髪の翼人も、俺ちょっと話したんだが、一人称が『わらわ』だったぞ。奇人の下には奇人が集まるんかな。ああ、それにこの前も」


「ガレスさんガレスさん、フォローにきたのでは?」


 キャスリンがツッコむと、ガレスは、おっとそうだった、と言ってまたシチューを口にした。


「まあ何が言いたいのかっていうとな、あいつは結構最低だが、義理は欠かさねえ、ってことだよ」


 ほら、と言ってガレスが、手にした椀を目線の高さに掲げる。


「この肉だって、あいつが持ってきたものだぞ。こいつがなけりゃあ、今夜のシチューの具は草とキノコだけだったな。別にそれも悪かねえが、力付けたいこの場では、やっぱ助かったよ」


「ガレスさん、野菜を草って言うのやめませんこと?」


 同じだろ? と不思議そうな顔で言うガレス。

 ちょっと言いたいことは複数あるが、「虹」の獣王武装使いにして、料理人としても腕を振るってくれているガレスに言われては、こちらとしてはぐうの音も出ない。


 だが、これだけは言っておかなくてはならない。


「ガレスさん、あなたがどう言おうとも、あの男はこのギルドには必要ない存在でしたわぁ」


 だって、そうでしょう?


「あなたがいて、ヒルドさんがいて、トワイライトがいる。『虹』の獣王武装を三本所有し、この先も更なる『英雄』を輩出し続けることになるのが、この『暮れずの黄昏』。そこに、あのようなセクハラ野郎が混ざってしまっては、『黄昏』の──ひいてはトワイライトのこれからの覇道に、影を差しますわぁ。それを差し置いてドゥーンを庇うようなことを言うのであれば──あなたと言えど、どうなるか、わかりませんわよぉ?」


 我ながら剣呑な言葉だとは思うが、それは紛れもない事実だった。


 ドゥーンの存在は、トワイライトにとってのノイズとなる。

 それは許されないことだし、つまりイコール、ドゥーンは私にとっての邪魔者でもあるということだ。


 周囲、焚き火を囲むメンバーを見渡せば、キャスリンを始めとした女性陣たちも、うんうんと神妙そうに頷いている。

 ウルティマだけなぜかこちらに目線を合わせてくれないのは、ちょっと後でお話ししましょうかぁ。


 しかし、変わらず器用にシチューを食べ続けるガレスは、こちらの言葉を気にもとめていない様子だ。


「ま、俺もなあ。あいつがギルドにどんな貢献をしていたか、って聞かれると、ちょっと困っちまうんだがよ。でも」


 ガレスは、目線を椀の中の肉塊に落としたまま、しんみりとした様子で言った。


「でも、あいつがこのギルドにいたまんまだったら。あいつが補給やら何やらの担当のままだったら」


 だったら、


「この椀の中にはきっと──AAAランクの高級ブランド牛が、ひしめき合うように入っていたんだろうなあ、って」


「いえ、ガレスさん、それはさすがにないかと」


 キャスリンの容赦ないツッコミに、周囲の誰もが、それはそうである、と頷いた。


 》


 と、その時だった。


「──ガレスさん!」


 森の北側、つまりは大型魔獣と戦闘チームが戦っているであろう方向から、ひとりの男性開拓者が、息せききって野営地へと駆け込んできた。


 その服装は、ノエルが着ているものを男性向けにアレンジしたような軽装だ。

 見るに、主に戦闘ではなく、戦場を駆け回って情報や臨時の物資運搬を担う役割のものである。


 相当急いでいたのか、男性開拓者は荷物らしい荷物を何も持っていない。

 それは、最低限の護身武器すら放棄してまで、この場へと急ぎ駆けてきた、そのことの証左であった。


 男性開拓者が言う。


「『虹』武装の使い手へ、緊急出撃の伝令です!」


 何、とガレスさんが腰を上げ、しかし怪訝そうな感情で顔を染める。

 まだ「削り」を行っているであろうこの段階で、休息中のチームに出撃要請が出されるなど、あまり尋常な事態ではないからだ。


「どういうことだ?」


 ガレスの言葉を受け、伝令が続ける。


「森林地帯と大湿原の間、大魔獣を討伐せんとする最前線で、戦闘中のCチームが魔獣の足を破壊することに成功! それを受けて、待機中のBチームも、全『虹』武装をもって、総攻撃へと移りました!」


 おお、と周囲から声が漏れる。

 まだわからないが、これは一週間目の戦果としては相当なものであった。

 ともすれば、夜明け前にはこの戦い自体が終わってしまうのでは、と、そういう気の緩みが生じても仕方がないほどの。


 だが、そんな私たちの楽観を、伝令が放った次の言葉が打ち崩した。


「しかし……総攻撃へと移ったB・C合同討伐隊、いずれも……程なくして敗走」


 ……は?


 状況はまだわからないが、総攻撃へと移ったその合同討伐隊には、多ければ十四本の「虹」等級獣王武装が揃っていたはずだ。


 それをもって、手負いの魔獣を一気に仕留める。これは魔獣討伐のセオリーとしても、何も間違ってはいない。


 だが、敗走した。


 十四本もの「虹」武装と、その使い手たちが、揃って負けてしまったのだと、そう、この伝令は伝えてきたのだ。


「ゆえに、今この戦場にある『虹』武装は、Aチームが保有する七本が最後となります。……出撃のご準備を!」

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