第2話 僕は

 僕は夕方の公園のベンチに座っている。

大声でカラスを威嚇しようと辺りを見渡すが、いないようだ。


 とにかく暇なので、小雨に打たれながら、恐ろしき隣人について熟考していた。


 雨の香りが僕の鼻を濡らし、注意をそらす。仕方ないので、駄菓子屋で買っておいたラムネを一口飲んだ。


 ――隣の部屋に住んでいるのは狂人だ。

 

 急に慣れ親しんだ口調で近くの大学のことを話してくるのである

――僕は子供なのに。きっと僕を騙して誘拐でもしようとしてるに違いない。


 しばらく無視していると今度はなんとギターの話題を急にし始めたのである。


 ギター! 

僕は一度も弾いたこともないし、触ったこともない。おそらく今後も関わりがないだろう。

 

 だが、こいつはまるで僕が経験者であるかのように語ってくる。こいつは、会ったばかりの僕の何を知っているのだろう?


 一番恐ろしかったのは、隣人が僕の私生活を概ね把握していたことだ。

この時点で、「あいつは狂人ではなくストーカー」と認識するようになった。


 奴は、僕の記憶が度々飛ぶことを知っている上、部屋の様子も知っているみたいだ。「部屋の掃除もやれよ」と言われた時には度肝を抜かされた。


 恐怖心を煽られた僕は、何度も部屋を引っ掻き回して盗聴器たるものを探した。


 だが、前の住人が忘れたのだろうか――変な長方形の黒い箱しか見つからなかった。盗聴器にしては大き過ぎるので、元に戻しておいた。


 ――ラムネ瓶は空になり、雨模様を反射しだした。気づかないうちに雨が強くなってきたようだ。


 「狂っているのは僕ではないか」不意にそんな考えが頭に浮かぶ。


 ……あり得ない。


 僕は恐ろしくて、どうしても認められなかった。それを認めた途端、僕の世界が壊れてしまいそうだから。


 では狂っているのは誰か。――やはり隣人なのだ。


 そうだ。それに違いない。

納得がいく結論に達した僕は、一抹の安堵感を顔に浮かべる。


 ならばどうする。――始末するしかない。

 

 常に誰かに見られているような恐怖感。そして、なにもできない僕。孤独な僕。突然夜に叫び出す僕。


 ……全て隣人のせいだ。

そうでもしないと、もう僕が狂いそうだ。


 始末する人間は正直、誰でもよかった。

狂人のベールを誰かが被ることで、僕は普通に生きたいだけなのだ。


 おもむろにラムネ瓶をゴミ箱に投げた。

大きく逸れて地面に転がる。


 水溜りと一体化したそれに恍惚としながら、僕は立ち上がって大きく背伸びをした。


 太陽はとっくに地平線に沈んで、辺りは暗くなっている。


 僕は靴紐を結び直す。靴先を地面に二回打ち付けて、気持ちを整える。


 そうして、一匹の狂人を始末しに笑顔でマンションへと向かう。

――慣れないスキップをしながら。

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