第55話 生存・戦略・同盟



――もしもし?

――マックスくん? この度は大変だったね。

――なんです? 校長先生?

――とても残念だよ。

――すんません、ちょっと立て込んでて。

――お父さんの件……

――は?

――ジミーさんには【情】について学ばせてもらった。彼にお礼ができなくなって残念だ。せめてキミに【情】を返せたら良いのだけどねえ。

――はあ?!

――このたびはご愁傷様でした。

――詳しく説明しろよ。


△△△


「みんな。とりあえず道場を使ってね。冷えるかもしれないけど壁のところに座布団があるし――ああ。そうだ、灯りをつけないと、私は、それでお爺ちゃんのところに連絡して、それから私――ごはん。そう、ご飯の用意もするね、その前にお茶か……それで私、私――」


 怪我人達を運んで一番近いバッファリン家へ避難した。ミートバーグの習わしでサメに襲われた場合の遺体は回収しないことになっている。

 マツリは気丈というより呆然としていた。


「休むんだ。今は何もしなくて良い」

「でも。今日からは私が全部一人でしないと……」

「キミが一人きりでやらなくちゃならない仕事なんてどこにもない。今は私たちに任せることがキミの仕事だ――アリシア、頼む」


 アリシアに付き添われ、マツリは屋敷の奥へ消えていった。

 道場ではまず手当てを開始した。

 法事で何度も来ているらしい。スターライトは無駄なく立ち回って薬や湯を調達してきた。医者へ行きたいという者は一人もいなかった。

 全員、骨や臓器に深刻なダメージはないようだった。S.H.B.Bの二人は入院する程度には重傷だったが「慣れている」で通した。


 治療の間にお互いの状況を報告し合った。

 次はこれからのことを話し合わなくてはならなかった。



「シャクティ博士は市長という資金源を失った。これから新しいパトロンを探すつもりだろう。彼女が手を引くという可能性は――」

「ないだろうな」とスターライトが言った。

「つまり、これからはあの『学会員』に追われることとなる。あの超常的な身体能力で二四時間つけ狙われたら勝ち目はない」

「なら俺が――」


 ハンサムが割こんで何か言おうとした。オウルは先回りして、


「キミを単独で逃がしても同じ事だ。彼らはキミと関わった人間全員を訪ねて回るだろうし、あの老人に交渉は通じない。どうにかして逃げ切るか――ヤツらを倒すかだ」

「アンタらはなんでやるんだ」トミカが言った。「警察の仕事ってわけじゃねえよな」

「S.H.B.Bは市長の援助でなりたっていた。もう、終わりだろう。私が動くのは仲間の仇討ちもあるが、なによりフカマサを危険と判断してのことだ。ヤツはサメに偏りすぎている。サメと人間の境界を守るのがS.H.B.Bの仕事だ。つまり最後の仕事をやり遂げたいってのが動機だな」

「付き合いますよ」マイクルも言った。

「……そうかい」


 その時アリシアが入ってきた。


「マツリくんの様子は」

「少し、落ち着いたみたいです」


 彼女の後ろに子供がいるのにトミカは気づいた。


「どうしたんだそれ」

「なんか、庭でずっと座ってて、わかんないけど、話してくれた限りではシャイニングさんにここを頼るよう言われてきたって」


 子供の体には虐待を受けたと思われる痣がある。


「師匠ならそうだろうな」トミカはそう言って首を振った。「いさせてやったら良いんじゃねえのか、とりあえずは」

「……うん。わかった……わかんないけど」


 アリシアもどこかネジの外れたような様子だった。

 彼女は膳の上に黒い兵糧丸を山盛りにして持ってきていた。


「カジノのメダルみたいに持ってくるんじゃないよ」

「ごめん……ごめん」


 アリシアは繰り返した。

 トミカは兵糧丸を手に取って眺めている。目は疲れに濁って暗い穴のようだった。彼は呆然と言った。


「……今、俺お前に取ってもらったか、これ。いつ手渡してくれた?」

「自分で取ってたよ」

「……そうか」

「ごめん、やっぱりわかんない」

「そうか」


 彼は、バッファリン家特製の兵糧丸を口へ押しこんだ。一つ、また一つと次々に食べた。


「何も味がしねえ」と彼は言った。なんも感じねえ。哀しいかどうかも分かんねえ。お袋んときはどうだっけ? それも思い出せねえや」


 アリシアは道場のすみへ行って座りこんでしまった。

 トミカは続けて、


「きっと俺の心は師匠と一緒に死んじまったんだな」

「みな、そうなる。哀しみが哀しみの顔してやってくるのは、もっと後になってからだ」


 ややあってオウルが応えた。


「……アンタはそれまでどうしたんだ? 哀しみがちゃんとやってくるまで」

「まず復讐を断念した。それから俺は仕事をした」

「そしたらどうなった?」

「ミスを繰り返した。それで自分が哀しんでることに気づいた。情けなさでやっと泣けたよ」

「きっかけが無きゃダメか」

「人と場合によるが」

「待ってちゃダメってことだよな」


 トミカは指先で兵糧丸を潰している。

 オウルは用心深く話した。


「……今は予断を許さない状況だ。今、君たちになにかを決めろというのは酷な事だし、きっと判断ミスが起こる。そこで提案だが、今後のことは我々が決めていいか」

「待ってちゃダメなんだ。そうだろ?」トミカは繰り返した。

「フカマサのことは我々に任せておけばいい」

「待ってちゃダメなんだ」

「足手まといだ」

「試せよ」

「――隊長、私が。半殺しにしとけばいいですか?」

「フカマサに殺されるよりはいいだろう」


 マイクルが進み出て構える。

 トミカも無言で応じた。

 深夜の道場で組み手が始まった。

 拳を交わす二人へオウルが言う。


「俺が復讐を断念したのは、そこに自虐性を感じたからだ。復讐者は未来を見ていない。そういう動機で戦うヤツは、ギリギリのところで自滅を選ぶ。だから俺は己に復讐を禁じたし、復讐者を信用もしない」

「もう復讐かどうかも分かんねえよ!」


 トミカが渾身の一撃を放とうとしたときだった。

 ニンジャシャウトとともに飛びこんでくる者があった。

 空中を車輪のように回転し、二人の間を切りさくと、キックで壁へハート型のへこみをつけてから、音もなく着地した。

 マツリである。

 すばらしい体術だったが、全員が息をのんだのはそのためではなかった。

 彼女は得体の知れないボディースーツのごときもので身を包んでいた。

 一体どういう職種の人間が身につけるものなのか見当もつかないが、きっと必要があってそのような作りになっているのだろう。男たちは思った。

 可能な限りアーマーを廃したつくりなのも、体にぴったりと張り付く素材を使っているのも、尻が強調されているのも、すべて必要なことなのだ。

 スポーツ用のタイツと同じである。

 こんなボディースーツを着るスポーツはあり得ないけれども。なお、犬のクイントもおそろいのスーツ姿である。

 周囲の反応を待たず、マツリは宣言した。


「私を学会員のところへ連れて行って下さい。必ずお役に立って見せます」

「キミ……ええ……」


 マツリはオウルからトミカの方へ顔を向ける。


「シャイニング・バッファリンがいなくなったという実感が湧かない。ただ、お父さんの声が聞こえなくなったというだけだから。私が見えていないだけで、今にも帰ってきそうな気がする。でも理屈ではいないって分かってる。私、こんな気持ちのまま明日も、明後日もずっと朝を迎えるのかな? それがずっと続くのかと思ったら、すごく怖い」


 クイントが哀しく鼻を鳴らした。

 マツリは彼を撫でてやりながら続ける。


「だから、我が儘だけれど父が最後に関わったその人に会いたい。お願いします。足手まといになったら見捨ててくれて構いません、本望です」

「しかし……」


 ミシリと音がした。

 マツリの作ったハート型のくぼみの隣に、二つ、あらたに手形が刻まれていた。

 トミカとハンサムである。


「師匠に頼まれたからよ。お前らとは離れんなって。それに俺もマツリと同じだぜ。今みたいな気持ちで夜明けを待つような未来は絶対にごめんだ」

「同盟はまだ生きてるんだよな? 俺もシャイニングさんから教わったことがある。皆とご飯を食べて、ただ生きてるだけで楽しいってことだ。生存戦略同盟はきっと幸福になるためにあるんだ」


 さらにカリカリと音がした。クイントが壁を引っ掻いているのだ。


「そう。キミも生存戦略同盟だったね」


 ハンサムがクイントを抱き上げて肉球のはんこを押させてやった。

 そして三人と一匹は、改めてオウルに頭を下げた。


「行きます」


 大人達は神妙に頷いた。

 オウルもついに認めて、未来、幸福か、と言った。


「分かった。お前たちのなかにある前向きな力を信じよう。ただし最小限、受け身だけは習得してもらうぞ。マイクルに習え」

「はい!」

「分かりました」

「頼むぜマイクル」

「『マイクルさん』だ悪ガキ」

「トミカは口が悪いんだよ」

「まったく……」


 なごやかなやり取りをしながら、彼らは、いったいマツリの格好についてなにか言った方が良いのではないか? 他人に見られたなどう説明したらいいのだろうか? この子は一体どんな何のつもりなのだろう? 怖い。なとど考えていたが、誰も自分から切り出す勇気は出せずにいた。

 穏やかでないのはアリシアだった。


「は? 何言ってるの? はあ?」

「やべえ、マジギレだ」

「うるさい!」


 タオルをトミカへ投げつけると、彼女はオウルへ詰め寄った。


「学会員はキケンって散々言っておいて、そこへマツリまで行かせるってどういう考えよ!」

 

「お嬢さん、言い分はもっともだが、じっとしていても向こうからやって来ることを忘れてはいけない」マイクルが取りなそうとした。

「ビキニは黙ってろ!」

「……ビキニだけれども」

「止めるのが大人でしょう?!」


 アリシアの前にマツリが進み出た。彼女は膝をつくと、床へ額を押しつけた。尻のラインも完璧。三つ指もそえて全体のバランスもいい。

 土下座である。

 古来より日本に伝わる最大の交渉術。その圧倒的交渉力は、国の行く末を左右することさえあり、上級者ともなれば焼けた鉄板の上で土下座ゲザる管理職もいるほどである。


「心配させてごめんなさい。でも私、今回だけはSHARK神流の跡継ぎとして振る舞いたい。私は武道家シャイニング・バッファリンの子供だから」

「マツリ、やめて」


 アリシアはマツリを立たせた。アリシアは泣いていた。


「わかってるけど……でも、私悔しくて……」

「ごめんね、アリシア。泣いてくれて、怒ってくれてありがとう……行ってくるね」


 アリシアはようやく頷いた。

 そこへマイクルが入って言った。


「哀しみには各々のやり方で立ち向かうしかないんだ。この子は武道家の娘としての立ち向かいかたを選んだんだろう。これをブシドゥーと言わずになんと言おうか。彼女は――」

「ビキニは黙ってて!」


 アリシアは激怒した。


「空気読もうぜマイクル」とトミカも言い、

「今のはマイクルが悪い」とオウルも言った。

「ええ……私ですか」


 今度こそ雰囲気が和み、アリシアも笑った。

 笑うとお腹が鳴った。


「ごはんにしましょうか」


 マツリが言った。

 こんな夜はラーメンを食べよう。



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