<Das erste Kapitel>
「はぁ……リアルじゃねぇ……」
こんな事件ありえるわけが無い。
毎晩一人ずつ忽然と姿を消し、翌朝死体となって発見される。
……いや、これだけならよくある殺人事件と読み解ける。ありえないのはマスコミの報道だ。
“まるで神が突然舞い降りて人をさらった”
“まるで神隠しのように”
何が神だ。そんなものが存在するわけがない。
この世界は人の世だ。この世の犯罪、事件、思惑は全て人間の犯行で説明出来る。
神だの幽霊だの妖怪だの、そんなものは全てお伽噺さ。
古来から人は空想することを好む。数多の物語は、ある意味、作者の頭の中の世界と言える。
それは形の無い空想世界。背筋の凍りそうな怖い話。心が温まる愛のお話。
勇敢な猛者たちの武勇伝。思考と推理の迷宮へ誘うミステリ。
そういったものは全て作者の想像世界なわけさ。
その類の報道、俺は好まない。
どんな事件だって、どんな犯行だって、人間が起こしているに違いないんだ。
それを、ありもしない空想で、あたかも存在するかのように吹聴し畏怖の象徴として祭り上げる。
それが、この世界の虚構だ。
あぁ、俺はすべからくリアリストであるべしと自分を戒めている。
「全て人が起こしている」その一点を信じて疑わない。そんな俺が、望み、調べ、至ろうと思った先が……犯罪心理学者。
いや、心理学者とは広義過ぎるか。もっともっと端的に、俺は犯罪心理学のみに没頭し、勉強した。
何故か……?
俺は知りたい。7年前、あの村で何があったのかを。あの村で7日間の間に毎晩殺人事件が起こった。
そして7日目の朝を最後に、パタリと終焉を迎えたのだ。
しかし、未だ犯人は捕まっていない。狂信者の犯行か、快楽殺人か。本当に神の仕業なのか……。
神なんて認めない。
もしも居たとして、そいつが全ての元凶だったなら、俺が引導をくれてやる。
俺は一度、調べ上げた研究ファイルをパタンと閉じる。
「……7年振り、か」
全ての始まったあの村へ向かうため、俺は今電車の中で揺られていた。
俺の名前は吉田翔平。今年で23歳だ。大学では前述したとおり、犯罪心理学を専攻している。
季節は2月。車窓から眺める景色は、季節に違わず少し雪が降っていた。
都会からここまで、新幹線で一本だなんて便利な世の中になったものだ。世間の流行に疎い俺は、そんなことにすら関心を示さずに今日まで生きている。
どんなに早い速度で走っていても、景色は緩やかに変化している。
それは四季のように美しい土地の風光明媚であり、世間の流行のように理路整然とした顔立ちも見せる。
都会の中にいては、このようなことにも気づけずに生活しているのだろう。
長いこと忘れていた旅行という感慨が、幼い頃の記憶と共に蘇ってくる。
これから向かう村は、街外れの山間部にある。静かな寒村ではあるけれど、展望台からの景色が有名で観光名所のひとつでもあった。
冬景色や夏景色、春景色や秋景色というものは、展望台というステージを介して四季のオーケストラを奏でる。
それは美しいコントラストを飾り、観光客を魅了してやまない。……あんな事件さえなければ、もっと拓けていただろうに。
悪評、風の如く。
村のマイナスイメージは報道よりはるか早く、噂という風に弄ばれていた。
観光名所として名高いこの地だが、支援が無ければ発展は難しい。地域団体だけでは、この環境を守るだけで精一杯なのだ。
村の名前は、
そう、足湯発祥の地とも言われている。
遠方からの観光客はもちろん、足湯目当てに近隣の街から来る人も結構いるらしい。
季節を問わず満喫できるので、旅行先として必ず候補に挙がる。
あともう一つ、この村の風物詩があるが、それは後述することにする。
”~まもなく、織水駅に到着します~”
おっと、下車駅だ。
俺は置き忘れが無いことを確認してから、扉の前に行く。
ホームへ降りた時、誰かが声を荒げているのが聞こえ、そちらへ振り返った。
「げ……」
この季節だというのに、半袖短パンの男性が居た。オマケにアフロにサングラスときた。どこの旅行帰りだっての。日系人……には見えないな。
30過ぎだと思われる男性は、駅係員に何かを訴えているようだ。足湯観光の客だろうか?
「Welcher ist die Prufung der Karten?」
わ、分からない。何語だ? というか、まず服を着てくれ。
「リアルじゃねぇな……」
「Gibt es wirklich”オニガミ?”」
「え……?」
今、オニガミって言わなかったか? ……気のせいだろうか。しかし、ホームの混雑の中立ち止まることは往来の迷惑だった。
後ろから流されるように、波に飲まれてしまう。彼を尻目に、俺はホームを後にした。
駅を出てバス停を探す。大体、出口付近にタクシー乗り場とバス停は付きものだ。
タクシーは落ち着かないので却下。となると、足はバスしかない。
徒歩という手もあったが、織水駅から湯ノ足村まではしばらく掛かる。それに、土地勘の無い俺にとっては道に迷う可能性大だった。
湯ノ足村行きのバスを待つ間、俺は再び研究ファイルを開く。
“神の仕業か、連続失踪殺人事件”
コラムの記事が目に入る。
記事の見出しは殆どこんなような感じだ。神の仕業に違いない。人には出来ない犯行だ。
そういう決まり文句で塗り固められた報道は、事件の全容を神という存在で肯定しようとしている。
神、か……。神とは何なのか? 人間で説明できないものの象徴として神という単語を用いている。
神とは一体何者なのか? それは人間と似て非なる存在なのか。
そもそも神という言葉が用いられた理由の一つは、村の信仰心ゆえである。
湯ノ足村は古くから、「オニガミ」を崇め負の象徴としている。
何か災いが起これば、オニガミ様がお怒りだと。何か良くないことが起これば、オニガミ様の機嫌を損ねたと。
そういうことになってしまうのだ。
では、オニガミとは何者なのか。
鬼なのか、神なのか、それともまったく別のオニガミという未知の生き物なのか……。
……馬鹿馬鹿しい、未知の生物なんているものか。自分の妄想に呆れる。
しかし、事件のトリックがどうにも解明出来ない。
事件の発端はこうだ。これは、近くに居た人間からの証言によって構築された説明だ。
つまり、事実である―――。
日が沈み、辺りは夜の帳が下りた頃。
様々な効能が得られる足湯を楽しもうと、二人は談笑しながら夜道を歩いていた。
そして、その帰り道での出来事―――。
今の今まで隣で話していた相手が、忽然と、何の声も何の音もなく消えてしまったという。
瞬き一つ、空を見上げた束の間。ほんのわずかな時間で。もちろんのことながら、相方は探す。
初めは何かの冗談かとも思っただろう。まず相手の行動を疑い、次は自分の目を疑う。
さらに、音も無かったとして耳も疑ったなら、最後は頭……。
そんなはずはないと駆け出すが、どこを探しても見当たらない。交番へ行き捜索を乞うも、ついに居なくなった相手を見つけることは叶わなかった。
本当に、忽然と、消えてしまったかのようだった。
そして翌朝、朝日が昇る頃―――。
忽然と消えたあの場所に、まるで初めからそこにあったかのように、血まみれの死体が横たわっていた……。
事件発覚となる。これは、7日間別々の人間に一致する証言だ。
同時に、死体は全て足首から下が切断されていて、両足首から下が無くなっていたという。
そう、まるで神隠しにし、両足を切断し、同じ場所に置いたかのように。
……神の気まぐれとでもいうかのように。
神隠しだって? 神が足を切断して元に戻したって? ありえないな。気まぐれで人をさらって殺すなんて正気の沙汰じゃない。
「リアルじゃねぇ……」
だが、現に犯行は行われている。ありえないと否定しても、7日間の証言が全て酷似してしまっている。
ありえないと否定することは、思考停止を意味する。
犯罪心理学において、タブーだ。犯人の心情の理解は困難を極める。ゆえに、私情を挟んではいけない。
分かってはいても、理解なんて出来ようはずもない。どうして人をさらったり、殺したり出来るんだ。
同じ人間なのに、おかしくなっちまったら、そんなことまでするのかよ……。それにどんな意味が、あるんだよ……。
俺は、頭を抱えるしかなかった。
【事実というものは存在しない。】
【存在するのは、ただ解釈だけである。】
――― フリードリヒ・W・ニーチェ ―――
……なんてな。分かってるぜ、おっさん。
俺も当初は「しろうと理論」に踊らされていたんだ。いや、俺自身もかつてはそう思っていた。
「犯罪心理学とは、犯罪者の心理を理解する学問ではない」
そう教えてくれた教授は、俺の恩師だ。犯罪心理学とは……ま、それは後述する。
本来、「事実」なんてあやふやでそもそも存在しないとこのおっさんは言っている。
それは単に、人には様々な価値観があり多種多様な解釈があるということ”だけ”を指して言ったんじゃない。
事実そのもの、その存在自体が意味を成さない。つまり、「起こったこと」「起こらなかったこと」それ自体を論じてもそれは”主観の押し付け”に過ぎないからだ。
俺たち人間は、自分のフィルタを通してしか物事を認識出来ない。
自分の目で見た出来事が事実であると主張するならば、見ていない人が主張する「起こっていない」という事実も、平行線上に存在することになる。
それは、ひとえに水掛け論に過ぎない。お互いが、お互いの主観を相手に強要しているに過ぎないと思い至るだろう。
では、「客観」という言葉はなぜあるのだろう?
それは、自己を保つ為だと俺は思っている。しかし突き詰めていけば「客観」すらも存在しないのかもしれない。
前述したとおり、俺たちは主観的な生き物だからだ。他者の見た世界は、他者の言葉や思想から語られるだろう。
それを俺たち(自分)は、自分の内にある言葉や概念から、出来る限り同じものを引き出して結びつける。
それを、自らの主観として認識させる。その作業を「客観」と仮定するならば、その最たるものは”言葉”であることは間違いない。
俺たちは言葉を交わすことで、相手の世界と自分の世界の共通言語を探り、認識の差異を限りなく減らす努力を覚えた。
これを一つの、コミュニケーションと呼ぶ。
コミュニケーションによって、俺たちは多くの言葉を交わし相手を理解し、時には食い違い、関係を築いていく。
解釈によって物事が決まっていくのならば、主観だけでは個々の世界が独立していくだけで世界は交わることなく、暗く不安な闇の中で崩壊するだろう。
それはまるで、日光を浴びなければ成長を著しく阻害されるまさに人間の身体のようではないだろうか。
人はまっすぐ立っているつもりで、その実、軸なんて無い。方向を定めなければフラフラしてしまうし、支えが無ければ途中で折れてしまう。
故に俺たちは、他者が居ないと自己を保てない。それが即ち「客観」という、”光”や”導き手”といった他者の世界だと俺は思う。
なぁ、ニーチェのおっさん。
”オニガミの神隠し”なんて「事実」は、無かったんだよな?
この村を取り巻く因習や、訳も分からず騒ぎ立てるマスコミ、居もしない”何か”に怯える大衆の「解釈」だけ、だったんだ。
人が突然、神隠しに遭うなんてことも。人が殺されて、足首が無くなってるなんてことも。
それを俺が、頑なに拒んでるだけ…なんだよな……?
事件もトリックも何も無い。
ただただ、悲しいだけの偶然で―――。じゃあどうして―――。
どうして俺は、独りなんだ……。
どうして隣に、広海が居ないんだよ……っ。
「オッス! 迎えに来てやったぞっ」
突然、懐かしい声が耳に届いた。それはまるで、7年前に戻ってきたかのようで―――。
振り返れば笑顔。懐かしい声を響かせて、短い髪がふわふわと風に踊る。
逆光で表情はよく見えないが、それでも、彼女はあの時と同じように笑顔だと分かる。
何よりも、この懐かしい香りは―――。
彼女は今も、綺麗な笑顔で俺に手を差し伸べてくれていた。
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