第198話突撃

 優は、もう一軒の廃民家に千夏を抱いて走り、時間はかからず辿り着いた。

 廃民家は、優と千夏が小寿郎と真矢を探して観月屋敷や荒清村の周辺を探していた時にも二度訪れていたので、少しは勝手が分かっていた。

 優は、千夏を屋内にある小さな物置部屋の中の入口付近に下ろし座らせた。

 そこにはほとんど何も物が無く、比較的ゆったりできる。

 

 「千夏ちゃん。ごめん。ここで、俺が迎えに来るまで少し待ってて。でも、俺が迎えに来るのがあんまり遅かったら、観月屋敷に行くんだ」


 優は、物置部屋には入らず、入口前の廊下の板に右膝を着き跪き、千夏に優しく、しかし真剣に言った。

 この前優が小寿郎に聞いた所によると、千夏は何度か小寿郎と二人で、あるいは一人で観月屋敷に潜りこんで春陽を見ていたらしく、この廃民家周辺もすでに慣れている。


 「屋敷の人に見つからないよう、定吉さんか、西宮さんに似た春頼さんって男の人がいるから探して見つけるんだ。そして、もし春頼さんならこれを見せて」


 優の袴の帯には、紐付きの小袋がくくられぶら下がっていた。

 優はその中から、つい先日、春頼が優にくれた冷石を包んでいた手拭いを出し千夏に渡した。

 西宮と同じく春頼も感が良いはずだと優は信じた。

 千夏がこの手拭いを春頼に見せれば、春頼は千夏が優の言っていた少女だとすぐ分かるはずだと、必ず春頼は千夏を保護してくれると思った。

 優と春頼の関係は兄弟でも何でもないが、それくらい春頼に対する優の信頼は圧倒的に絶大だった。

 何故今こんなに、前世の定吉と春頼に対し優の信頼が厚いのか?

優としての感情なのか?優の中に残る春陽の感情なのか?…

 そんな事は分からないし、考えてる時間も無い。

 そして、優はふと、観月の前世は今どこにいるのかと思い、最後に前世の朝霧の顔を思い浮かべた。


 (仕方無いとは言え春陽さんが朝霧さんを拒んだのが大元だけど、朝霧さんは、春陽さんを、前世の俺を置いて去って行った…)


 こんな今になって、優は前世の朝霧への不安定な感情を思い出した。

 

 (前世の朝霧さんは、春陽さんを、俺を置いて去って行ったけど、でも、生まれ変わりの朝霧さんはしない……俺を置いてどこかに行くなんて、しない……絶対に、絶対にしない!)


 優は、そう負の感情を振り切ると、目の前の現実に強引に戻り千夏に言った。


 「俺、前、春陽さんの体にいた時に、祭りの日に観月屋敷で千夏ちゃん見たんだ。千夏ちゃん、観月屋敷にこそっと忍び込めるね。もう少ししたら屋敷も落ち着くはずだから、俺の迎えが遅かったら、日が暮れる前に観月屋敷に行くんだ。行って、定吉さんか春頼さんを頼るんだ。定吉さんと春頼さんなら、どんな事があっても絶対に千夏ちゃんを守ってくれるから、絶対に」


 千夏は、膝を崩し座りながら優を真っ直ぐ見詰めて聞いていた。

 こんな小さな子にこんな残酷な事を聞かないといけない罪悪感に押しつぶされかけながら、優は千夏に、保育士さんのように優しく聞いた。


 「千夏ちゃん……出来る?」


 千夏は、優の瞳の奥をまるで優の本心を覗くように見ていたが、即、表情を変えずコクリと頷いた。

 でも、優には分かっていた。

 きっと無表情でも千夏が怖いと思って無い訳が無いのを…

 千夏は、優の窮地を幼いのに理解して我慢しているのだと…

 優は、泣くのを堪え千夏を抱きしめ言った。


 「千夏ちゃん!ごめん!君をこんな事に巻き込んで!本当にごめん!でも俺は、君を本当の妹だと思ってる。だから、千夏ちゃんを、そして佐助さんも必ず俺が守るからね」


 そして、優は体を離すと、千夏の顔を見ながら大切なモノを慈しむように長い黒髮を優しく撫でた。

 と……千夏と離れ難い感情が優に浮かぶ。

 しかしそんな優に、佐助の身体への嫌な予感も浮かぶ。

 何故か、本当に嫌な予感がする。

 優は、潜伏先の民家を脱出した時に手に取り優の袴の腰紐に差していた水入りの小型の竹筒を千夏の前に置いた。


 「水分は小まめに取るんだよ」


 優はそう言った後、千夏との離れ難さを振り切り、微笑んで物置き部屋の引き戸を静かに閉め、この民家を走り出た。

 

 優は走りを止めず、佐助のいる民家に戻った。

 すると、屋内にいたはずの佐助と道尊は庭に出ていて激しく刀同士をぶつけ合っているのが遠目で優に見えた。

 すでに民家の中は、二人の争いで嵐の後のように荒れていた。

 しかし、すでにこれだけ戦っても尚、佐助と道尊の動きはおよそ人間離れして素早い。

 優は、庭の裏手、敷地内にある納屋に入った。

 そして数日前、真矢が研ぎ上げてここの壁に何気に立てかけていた鞘入りの打刀を手にした。

 と同時に優の脳裏に、朝霧のあの言葉が浮かぶ。


 「こう言う迷う事が多い時は、例え困難でも自分にとって最善の道を選び積み重ねてゆけば、前途は必ず開けます」


 (朝霧さん……俺は、春陽さんで無い今の俺が刀を手にするのが正しいか正しくないかなんて分からない。俺が道尊に簡単に勝てるなんて思っても無い。でも…佐助さんを何とか助けて一緒に逃げる!)


 優はそう思うと、さっと鞘から生の刀身を出した。

 静かに鋭く光る刃の輝きと刃文が、これがおもちゃで無く本物である現実を誇示している。

 優は、鞘を投げ捨てると、刀身だけ右手で握り又走り出し、佐助がいる方角に向かう。

 その途中優は、荒い息を繰り返しながら少し前の高校の日本史の授業を思い出した。

 あの時は、確か飛鳥時代の兵士の話をしてる内に、いつしか戦国時代の話になった。

 

 「戦国時代の兵士は、農民も兼ねた身分の低い足軽がほとんどだったんだ」


 日本史の教師が黒板の前でそう言うと、いつもお調子者の男子生徒の一人が席に座ったまま茶化した感じで質問した。


 「えーっ!じゃ、農民の足軽って、どうやって剣術なんて覚えたんですか?スイミングスクールみたいな、夏休みの剣術スクールとかあったんですか?」


 クラスメイトにクスクス笑い出す者もいた。


 「そうだなぁ……大名家が足軽を募った時は、まぁ、それなりに剣術指南役を呼んで教える事はあっただろうが、ほとんどの農民は、自分の村や田畑を盗賊や落ち武者から守る為に、誰に教わる訳でも無く自発的に自己流で剣を覚えていったんだろう。そうでなければ、とにかくできようができまいが刀を取って戦わないと大切な者は守れないし自身も生き残れないからだ。戦国時代で生きると言う事は、そう言う事だろうな」


 あの時、教師はそう答えた。

 しかし、まさかこの授業の時は、優自身がこんな事に巻き込まれるなんて思わなかった。

 戦国時代など、普通の高校生活を送っていた優には一切関係無いものだった。


 「そうでなければ、とにかくできようができまいが刀を取って戦わないと大切な者は守れないし自身も生き残れないからだ。戦国時代で生きると言う事は、そう言う事だろうな」


 教師の言ってたこの部分が、今、異世界の戦国時代で刀を握る優の頭の中で、何度も声が小さくなったり大きくなったりしながらエコーする。

 確かについ最近聞いた言葉なのに、何故か遠い昔に聞いた感覚もする。

 その内、この言葉とさっき思い出した朝霧が優に言っていた言葉が交互にエコーしだす。


 優は、再び佐助と道尊の近くにきた。    

 しかし、佐助は激闘の末に左肩を少し斬られ地面に仰向けで、立っていた道尊の左足で腹を踏まれ抑えられていた。

 そして、道尊は今まさに右腕で、刃を下にした道尊の刀を佐助の体に突き刺そうとしていた。


 「待て!」


 優は、大声で道尊を止めた。


 「…」


 道尊は、幾重もの白布で殆どを覆った顔をゆっくり優に顔を向けると、一部だけ出ていた辺りにある美しい右目を細めた。

 道尊の表情など分かるはずないのに、優には何故か道尊が微笑んだように感じた。


 「優様っ!何故?!逃げろと言ったのに!」


 佐助が倒れこんだまま、引きつる顔だけ上げて優に叫んだ。


 「逃げない!俺は、逃げない!」


 優は、静かに、しかし力を込めて佐助に言った。

 

 「優……様…」


 佐助は呟くと、優と強く見詰め合った。

 道尊は、そんな優と佐助をしばらく見詰めていた。

 しかし、急に道尊の口辺りをも覆っていた白い布同士が誰も何もしないのに勝手に少しズレ道尊の唇が見えたと思うと、道尊は、優と佐助の間柄を憎悪し侮辱するようにぺっと唾を佐助に一回吐いた。

 そして又、勝手に布が重なり合い道尊の唇は隠れてしまうが、道尊の優に向かうあざけるような声がした。

 

 「昔からそうだ。春姫様……貴方の周りには貴方を守ろうと余計な虫がウヨウヨいた。こやつもそんなただの一匹でしょうが……そこで大人しく見ておられるがよろしい。そんな命を懸けて貴方を守ろうとした虫ケラの無惨な最後を…」


 優が自分は春姫では無いと否定する間も無く、道尊は打刀の柄を上に持ち上げ下ろそうとした。

 

 「道尊っ!」


 そこに、優が叫び、刀を右手中段に持ち道尊に突撃し走り出した。

 道尊は、体をさっと佐助から優に向けると、又嗤ったように右目を眇めた。


 「なりませんっ!優様っ!優様ー!」


 佐助の悲痛な絶叫が辺りに響いた。


 



 


 


 

 


 

 



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