第197話記憶の断片
「地獄の底よりお迎えに参りました。我が愛しき花嫁よ…」
そう道尊が優に向け言い終わると、道尊の肩にいたカラスが見計らったように飛び立った。
そして、道尊はほぼ同時に腰帯に差していた鞘から打刀を抜き、千夏を抱き上げている優と、優をかばい優の前に立つ佐助のいる居間の入り口に向かった。
道尊の片目は血走り、動きは人間離れしてまるで蜘蛛のように素早く不気味だ。
「逃げて下さい!」
佐助は優の肩に触れた。
「えっ!」
優は、右側へ押し出され驚く。
「千夏殿と、早く!早く行って!」
すでに佐助は、道尊の激しく振り下ろした刃を佐助の持つ刀で受け止めていて優に向かい力一杯叫んだ。
「勘助!春姫を追え」
道尊も、佐助と刀を交差させたままカラスに叫んだ。
「ですからぁ、あの御方は春姫様では無いと申しておりますに、大師様…」
カラスの勘助は、道尊の背後の居間の端の畳に立ち、落ち着いているが呆れた口調で返し、何か行動する素振りが無い。
優は、カラスの方が理性的態度なのに驚くが、千夏を抱き締め直すと、民家の廊下を駆け出した。
しかし、途中でどうしても佐助が気になり振り向きたくなる。
だが、偶然の佐助の優への叫びが家屋に響きそれを阻止した。
「振り返るな!前に行け!」
優は、佐助の言う通り振り返らず走り潜伏先の民家を後にした。そして千夏を抱えたまま、どこへ逃げるか思案しながら尚も走り続ける。
(観月屋敷だ!定吉さんにこの危機を知らせるしか無い!)
優はそう決心した。
だが、異世界の戦国時代にスマホなどないので、すぐに定吉と連絡など取りようもない。
優は、実際に定吉に会いに山を観月屋敷に向かい下り始めた。
そしてその木々の生い茂る道すがらには、高い位置から遠くの観月屋敷と荒清神社全体を見下ろせる場所がある。
優はここでふっと立ち止まり観月屋敷を見てみた。
すると、いつも静かな観月屋敷の敷地は、今は何やら沢山の人や馬で慌ただしくて優は戸惑う。
(何だこんな時に?!屋敷がいつもと様子が違う!)
観月屋敷は、朝は藍が春陽に面会に来て混乱し、今は、春陽の父と屋敷の多くの守護武者達が野武士の盗賊団討伐から帰ってきて騒然としていた。
勿論、優はこの二つの事柄を何も知らない。
(一体何があったんだ?あんなに人が集まってると、俺と千夏ちゃんが行ける訳が無い)
優は、千夏を強く抱きしめると唇を噛んだ。
そして、千夏を山奥に隠し佐助を助けに戻る事も考えたが、この世界には毒を持つ昆虫も多い。5歳の千夏を草木生い茂る山中で一人などに出来ない。
こんな非力な自分が、佐助を助けられるかも分からない。
では、どうするか?
何をどうすれば正解か確証が掴めない。
だがこんな時、優はやはり朝霧が優に言った言葉を思い出す。
「こう言う迷う事が多い時は、例え困難でも自分にとって最善の道を選び積み重ねてゆけば、前途は必ず開けます」
朝霧は、優の側にいてもいなくてもいつも優を支えている。
そして優は、潜伏先の民家の近くに、もう一軒の廃民家があったのを思い出した。
(あそこに千夏ちゃんを隠そう。そして…俺は、佐助さんを助けに行く!)
しかし、問題は武器だ。
(あんな人間離れした奴と戦うなら紅慶(べによし*優の妖刀)を又呼ぶか。でも紅慶は、今の俺のレベルじゃ扱いが難しい…なら、そうだ!俺が今住んでる家の納屋に、真矢さんが研いでピカピカにした日本刀があった。俺は、剣術なんて習った事ないけど……行くしかない!あれを握って行くしかない!)
優はそう決意した。
剣術を全く習った事の無い令和の東京の高校生の優が真剣を握り戦うなど、馬鹿かと言われるかも知れない。愚かかも知れない。
でも、剣術を習ったかどうかなんて呑気な事もはや言ってられない。
この異世界の戦国時代で大事な者を守るには、習ってなくても武器を取り戦わなければならないのだ。
すると、優の脳裏に、優自身が体験してないのに、まるで優自身が体験した過去のような映像が浮かんだ。
そこには、優に限りなく近い優のような男に抱かれる、上半身血みどろの佐助がいた。
「佐助!済まない!私を庇って!私を庇ってこんな事に!」
優のような男の目から、涙が溢れ流れる。
「良いのです……短い……間でしたが、貴方にお仕えできて、俺は……俺は……本当に、本当に幸せでした……最後に、最後に一度だけ……姫様と、俺の大切な姫様と、お呼びしても、いいですか?…」
佐助は、苦しい息を吐きながら、優のような男に微笑みかけながら呟いていた。
映像は、そこでぶちっと強制的に切られたように消えた。
(今のは……何だ?)
優の脳内映像の中で佐助が着ていた小袖は、今佐助が着ている物と違った。
優に似た男のそれも、今優が着ているそれと違う。
一体いつの事なのかも分からない。
もしかしたら、優の恐怖心が生んだ幻想かも知れない。
しかし、優は何となく分かってしまう。
(今のはきっと、俺の過去じゃ無くて、俺の中に残ってた春陽さんの、俺の前世の春陽さんの記憶だ。なら……佐助さんはこの先、未来に死ぬのか?前世の俺を庇って死ぬのか?)
そう直感した優の千夏を抱く腕が震え始めた。
表情は変えないが、千夏は優の顔を覗きこんだ。
そして、優は、千夏を抱いたままもう一軒の廃民家に走り出した。
(……佐助さんは今は定吉さんの家来だけど、違う……いつか近い将来春陽さんの家来になるんだ。多分佐助さんは本当は先に春陽さんに会わないといけなかったのに歴史が変わって、たまたまタイムスリップしてきた俺と先に会ってしまったんだ。春陽さんの家来だったなら、佐助さんは、佐助さんも、俺の家来だったんだ。なら、俺が、俺が佐助さんを助けるのは当然だ!今も、そう、この先の未来も!)
優は、そう思った。
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