第192話運命のように…

 ヒュッ!ヒュッ!っと、春頼の握る打刀の鋭利な刃が空を切った。

 刀を捌くと言う事は、刃だけでなく体全体を使う体術である。春頼も小さな頃から修行に励み、かなり剣の腕前は高かった。

 しかし藍は、ふうどが頭から取れ顔と長い銀髪が露出はしたが、いとも簡単に春頼の攻撃を避けた。

 

 (こいつ……本当に、ただ者では無いかも…)


 春頼は、美しい顔全体が露出し薄っすら嗤う藍を睨むとそう思い、簡単には勝負がつかない覚悟をして刀の柄を握り直した。

 そして、春頼の頭の中は春陽の事しか無い。

 ただ、春陽の為に…

 ただ、春陽の為に前へ出るだけ… 

 しかしその時、女性の切り裂くような叫び声がした。


 「春頼っ!」


 声の主は、屋敷の騒ぎにこの状況に気付いた春頼の母、春姫で、春頼と藍の間に走り出て、彼女も又縁側廊下の板の上で藍に向かい土下座し直訴した。

 

 「わたくしは春陽とこの春頼の母に御座います!何卒!何卒!この母の命に代えまして、この場のご無礼と春陽への面会はお許し下さいませ!」


 「母上!」


 春頼は叫び、春姫の元に駆け寄ろうとした。

 しかし…


 「春頼!来てはなりませぬ!」


 普段おっとりしている春姫が、必死の声を上げた。

 

 「ほう……あなたはここで息子達の為に自害なされると……お出来になるとおっしゃるか?」


 藍は、床に顔を伏せる春姫を、立ったまま見おろしニヤリと嗤うと言った。


 「はい!春陽と春頼は、わたくしの命より大切な息子にございます!どうか、この母の命を、命をもって!命をもってお許し下さいませ!」


 春姫は叫ぶと、床板に更に額を擦り着けた。

 だが、藍の後ろの従者は、普段藍が余り周りに興味を示さない事を知っていたので、無駄あがきだと内心思い聞こえないようため息を着いた。

 それでも、今回の藍の反応は違った。

 

 「母上様よ……面(おもて)を上げられよ」


 藍の静かに言ったその言葉に、春姫が顔を上げた。

 すると途端に藍は、春姫が春陽にそっくりなのに内心酷く動揺し、その後、春姫が母と言う立場なので、春姫の顔に藍の大切な母である椿を重ねてしまった。

 藍は、急に春姫の小袖越しの左腕を取り立ち上がらせると、春姫の体を背後の従者に渡した。


 「何をするっ!」


 春頼が叫び刀を藍に向かい振り下ろしたが、藍は又スッと避けた。

 守護武者達も続けて藍に斬りかかろうと間合いを計る。


 「藍様?……」


 そんな中、春姫を受け取ったが怪訝に思った藍の従者が、藍の背後から声をかけた。

 藍は、振り返らず従者に言った。


 「母上様を、今より血の海になるこの屋敷より安全な場所にお連れして、上手い茶と菓子などお出しして必ずや丁重に扱うように。傷一つ付けるなよ」


 「しかし!」


 従者は困惑したが、藍は、やはり振り返る事なく春頼に向かいニッと嗤うと強く言った。


 「この屋敷の連中、村の連中を片付けるなど、私一人で充分だ。観月春陽と母上は……この藍が頂戴いたす!」


 「ふざけた……事を…!」


 普段優し気な春頼が、腹の底から低い怒りの声を出し、春頼の形相も鬼のようになっていた。

 

 「死んでもらうっ!」


 春頼は叫び、再び藍に斬りかかろうとした。

 藍も、やっと自分の腰の鞘の刀に手をやった。

 だが、又それを止める声がした。どこからか聞こえた一声は、春陽のものだった。


 「春頼!やめろ!」


 藍とそこにいた守護武者達も、春頼は刀を構えたままの姿勢で周りを見渡す。

 するといつの間にか、華麗な藤棚の花の下に、白の就寝用の小袖姿の春陽がポツンと立っていた。

 春陽は真清丸(ませいがん)を飲み、その春陽を軽々抱き抱えた定吉は野山を爆走し、なんとかこの場に間に合いギリギリで帰って来た。

 春陽はこの状況から、今出ざるを得なかった。

 定吉は、春陽に危機が訪れれば救おうと、屋敷の物陰から春陽を凝視していた。

 定吉のくれた真清丸のお陰で、春陽の淫魔の証の双角も双牙も消え、瞳も青から黒に戻っていた。

 しかし、春陽のその人間に戻った姿に、春頼も春姫も言葉を失い驚く。

 だが春陽は定吉のお陰で人間に戻ってはいたが、長期の心労でやつれふらふらだった。

 それでも、春陽の美しさは全く損なわれてはいなかったし、やつれた姿が逆に妖しい芳香を放っていた。

 まるで藤の花の精のような春陽に、春頼、藍、守護武者達の視線が集まる。

 そこに又、しっとりとした風が吹き、多くの藤の花々が静かに揺れる。

 そして、春陽の長い黒髪もサラサラと靡き、春陽の周りに藤の花びらも舞う。

 やがて、ゆっくり、春陽と藍の視線が、まるで運命のように合い、見詰め合い……絡み合う。

 春陽と藍、お互いがお互い淫魔である事も知らぬまま。


 (やっと会えたぞ、春陽……そのいかにも繊細ななりで私の前に立ち塞がり他の者を救うつもりか?だが所詮、お前の様な奴は誰の事も救えはしない。町で初めてお前を一目見て分かった。お前のようなただ清くて美しくて優しくて弱いだけの奴は、すぐに大きな力に負けて黒く汚され敗北するに決まっている。私は……春陽、お前のような奴を汚して組み敷いて地獄の底に沈めてやりたい。私がこの世で一番嫌いなのは、観月春陽……お前のような奴なのだ…)


 内心で藍は、一日千秋の想いで会う事を待ち望んでいた春陽に、まるで愛の言葉のようにそう熱く熱く語りかけていた。


 春陽は、この藍との邂逅で、人とあやかしの入り乱れる漠たる激しい戦国戦乱の世界に足を踏み入れてしまう事になる…

 

 同じ時、春陽の元に急ぎ帰る朝霧は、まだ屋敷から遠くの山間の道を馬で激走していた。

 朝霧も恋しい春陽の為、前に前にひたすら進んでいた。


 そして、優はその頃、まさか自分の前世の春陽が藍と出会っているなど思いもせず、春陽からさほど離れていない潜伏先の民家の裏口から気分転換に外に出て、庭先から晴れた穏やかな青空を見上げた。

 周りはただ山と深い緑に囲まれ、どこかしら小鳥のかわいい声も聞こえ、異世界の戦国の世でも本当にのどかだ。

 見詰めた空の色は、あの東京のそれとなんら変わりない。

 ふと春陽は、令和時代の東京の両親と暮らしを懐かしんだ。

 しかし同時に優に、小寿郎と真矢や定吉、西宮、観月、そして、朝霧への想いが去来した。

 そしてそこに、優を追いかけて佐助も屋内から出て来て声をかけた。


 「どうしました?優様」


 「あっ……なんか…すっごくいい天気だなって」


 優は気持ちを隠して、佐助にニコリとして答えた。


 「そうですね。本当良い天気ですね。ずっとこんな時が続けばいいのに」


 佐助はそう答え、優を優しく見詰めた。


 






 

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