第186話運命
風が竹林の葉達を揺らし、サワサワと穏やかな音を立てる。
「春陽……俺と一緒に来い。必ず俺がお前を幸せにする」
定吉は地面に跪き、両腕をダラリと下したまま座り込む春陽を頭から全身強く抱き締めたまま、優しく再び囁いた。
だが春陽は、閉じていた両目を薄っすら開けると、表情に今までの疲労を隠し切れずに答えた。
「私には……定吉によくしてもらえる理由が……理由が、理由が一つも無い」
(フッ……)
こんな状況なのに定吉は、優の顔が頭に浮かび思わず心の中で微かに笑ってしまった。
ついさっき、優が定吉に同じような事を言っていたから。
優と春陽は、顔や体付きは瓜ふたつだが、喋り方や所作が全く違う。
だが優と春陽は、違っていながらやはり似過ぎていると定吉は再度実感した。
そして定吉は、春陽を抱く逞しい腕に更に力を込めて言った。
「懐かしい匂いがするんだ……春陽、お前から。今よく考えたら俺は、初めて一目お前の姿を見た時から、お前に……もう忘れたと思ってた懐かしい匂いを感じていた」
春陽はそれを聞き、一度目を大きく見開いたが、やがて、少し困ったように微笑んだ。
「懐かし匂い?……それは、私を助けるちゃんとした理由に全くなっていないぞ…定吉」
すると定吉は、春陽の両肩に定吉の両手を置き、一度春陽から少し体を離し春陽の顔を見た。そして定吉は、自分の右手で春陽の左頬を触れながら懇願した。
「俺にはちゃんとした理由だ。だから、俺は春陽、お前を助けたい。だから俺と一緒に来い!必ず俺がお前を幸せにする!」
定吉は、再び春陽を強く抱き締めた。
春陽はしばらく呆然と抱かれていたが、やがてふと思った。
何故か分からないが、定吉なら春陽を本当に平和な幸せになれる場所に連れて行ってくれると。
定吉なら、絶対に、絶対に連れて行ってくれる確信があった。
春陽のダラリと下していた両腕が、定吉の大きな体を抱き締めようと動いた。
しかし、その腕の動きは、まだ迷っているようでぎこちなくゆっくりだ。
今ここで、春陽が定吉を抱き締めれば、それは春陽が定吉に付いて行くと決めたという返事をした事になる。
今ここで、春陽が定吉を抱き締めれば、春陽の運命は大きく変わるだろう。
そして、春陽と朝霧の関係も大きく変わるだろう。
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