殉剣の焔

みゃー

第1話邂逅

ゆっくりとした、低い鐘の音が鳴る。


今日、最終の授業が終了した。


今日は、五時間目までしか授業が無い。


所々開いた学校の窓から、鮮やかになった日の光と春の柔らかい風が入ってくる。


「お前、本当に大丈夫か?」


急いで帰宅の用意をする摩耶優の背後から、クラスメイトで仲の良い箱崎が声をかけて近づいて来た。


「え?ああ、大丈夫」


下がり気味の愛らしい目を細めて、優(ゆう)は笑顔で答えた。


今朝からずっと調子の悪い優を、箱崎はずっと心配してくれている。


「ねえ、摩耶君、本当熱あるんじゃない?」


優と箱崎の回りを、数人の女子が囲む。


「あっ、本当大丈夫、大丈夫。ありがとう。又明日な」


又、ニコリとして、優は箱崎と教室をでた。


「ねぇ、なんか摩耶君っていつもなんか色っぽいけど、調子悪そうだとさらにヤバくない?」


二人の姿が見えなくなり、一人の女子がそう呟く。


「うん。なんか、変なフェロモン、ムンムンしてる」


もう一人の女子が答えると、全員頬を赤らめ、暫く余韻に浸っていた。



「なにか、悩みでもあんの?」


箱崎が控え目に聞いてきた。


学校内では数人の男子とよく一緒にいる優だが、こうして広い川の横の通学路を一緒に途中の別れ路まで帰るのは、いつも箱崎だけだった。


「悩み?」


優は、少し首を傾げた。


確かに優の生い立ちは複雑だった。


幼児の頃に記憶を一切無くして、今横にある川の、どこか岸に倒れていたらしい。


それをたまたま助けたのが今の優の養父母で、一度施設に預けられた彼を、子供のいない二人が後に温かく迎え入れてくれたのだ。


養父母はとても優しく、金銭的にも裕福で、何かに不自由な思いをした事もなく、その愛情のせいか本当の親の事もくどくど考える事も無く、いつも前向きでこれた。


まぁ、この冬は大学受験だし、優自身は自覚が無いが、


「摩耶君はキレイすぎて、普通の女子はビビって告れない」


と常に周りの女子に言われるせいか、未だ恋愛未経験という事があるが。


あるとすれば夢だろう。


いつも頻繁に見る夢がある。


深い深い暗がりに、五口の日本刀が抜き身で地面に刺さっている。


その刃は、どれも素人が見ても真剣であろう事が分かるほどの禍々しくも神々しい光を放っていたが、特に真ん中の、一際激しい輝きが優の心を引き付ける。


直刃の深い刃文(はもん)に金で桜の花を細工した鍔(つば)。


血の色の紅色の柄糸で菱形の紋様に巻かれた柄には、龍の目貫(めぬき)が見える。


そして、いつもその決まったそれに手を伸ばすと、いつもそこで汗に塗れた状態で起きてしまうのだ。


そして、決まってその日一日は、物事に集中できなくなる。


今朝も、又、その夢を見た。


だから…


「別に、悩みなんてないよ。多分、風邪でも邪いたのかも」


春のクラス替えで最近知り合った箱崎には、今はこれで誤魔化せるだろう。


「何かあれば言えよ」


箱崎は、優の頭をポンポンとして、いつもの別れ道で別れた。


学校から優の自宅まで、長い川辺の道を歩いて十五分程。


車や人の多い通りを抜けると、草と土に代わりコンクリートが川を囲むが周囲は緑が多くなり、人通りは少なくなり、優の暮らす大きな家の建ち並ぶ地区に近づく。


優の背後から、役所の車が車上の拡声器で、川の水量に注意と大音量で警告を流しながら追い抜いて行った。


いつもは流れの緩やかな川も、昨日の昼からの豪雨で水かさも増し、流れが急になっていた。


「ん?」


前方から、バシャバシャバシャと水鳥が水面を叩くような音がした。


だがすぐ、激しい水音の方に目を向けた優は、水鳥では無く、人の子供が溺れている事を知る。


「!」


あの車の人、流してる声で気付かなかったのか?


優は制服の上着を脱ぎ捨て、川に飛びこんでいた。


確かに流れは速いが、それなりに泳げる彼はなんとか必死で追いつく。


我を忘れて藻掻く子供を後ろから抱き止めるが、パニックになっているのか、暴れるのを止めない。


「助けるから!」


優の叫びに、子供は急に大人しくなり、優に身体を預けた。


だが流石に、一人より子供を抱いてこの流れはキツイ。


しかもこんな日に限って誰も通らず、助けてくれる者も誰もいない。


それでも、渾身の力を振り絞り泳ぎきり、少し高いコンクリートの岸に子供を上げると男の子だとわかり、彼は何度も何度も咳こんだが意識もハッキリあるようで、優は自分は足が川底につかないためにコンクリートに顔と腕だけ乗せ掴まり、安堵の溜息を吐いた。


だが、次は自分がと上がろうとした瞬間、ヒヤっと冷たい恐怖と共に両足が急に攣った。


どうすれば?


それを考える間も与えられず、次の瞬間、今度は優が溺れて流されていた。


目の前が白くなっていく。


光だろうか?


それでも暫くは目が開けられないまま朦朧としていたが、やがて自分は何をしていたか、ボヤけた頭は逡巡しだした。


なかなか思いだせなかったが、急に記憶が甦り、優はガバッと横たえていた身体を起こした。


「生きてる…」


優は、何気に自分の右手を動かしてみた。


だが一瞬安堵した優は、自分が寝かされていた布団を挟んで両側に、年老いた男女がいる事に目を丸める。


「おお、気がついたか、坊。良かった、良かった」


男性の方がにこやかに目を細めると、女性も同じように優を見た。


だが次の瞬間、優は異様な違和感を覚えた。


目の前の二人が、子供の頃読んだ昔話に出てくるような風貌だったからだ。


男性は、長い白髭をはやし濃紺の作務衣を着て、女性も渋色の着物に身を包み、長い白髪を後ろで束ねていた。


そして、よくよく周囲を見渡すと、寝かされていた薄い布団の向こうには囲炉裏があり、何かを煮炊きしているようで、木造和風の家の造りも、お世辞にも立派とは言えない粗末な感じのものだった。


「あの、あなた方が、俺を助けてくれたのですか?」


何処か不審におもながらも、優は翁と言うにピッタリの男性に尋ねた。


「ああ、そうじゃよ。お前さん、川で溺れたんかの?岸で気を失っとった」


「…」


優は、ふと男の子を助けた事を思い出したが、次の瞬間、自分の髪がおかしい事に今気付く。


男らしく短くしていた髪が、伸びているのだ。


それも、胸より下に。


「え?」


気持ち悪くて引っ張ってみたり、頭をくしゃくしゃにしてみたが、どうも本当に、優自身の髪が伸びたのだ。


「どうしたのじゃ、お主大丈夫か?」


心配する翁達を前に、優は暫く言葉を失った。


しかし、何より驚いたのが、近くの鏡台に映った自分の瞳が黒から青に変化していた。


慌てて布団から這い出てその前に行き、何かの見間違いでないか確認したが、確かに事実だった。


もしかして、自分はまだ気を失っていて、夢を見ているのか?


それとも、もしかしてもう自分は…。


ここは何処か、今いつか?


優の問と翁達の話しは全く噛み合わなかった。


親切で人の良さそうな翁夫婦が、嘘を言って優をどうのという感じでは全くないが、彼等の話しをすぐ受け入れる事もできない。


翁が言うには、優がいるここは江戸時代なのだ。


しかも、優の習った歴史とは全く違う将軍家が代々納める、全く不条理な世界。


死んだ訳では無さそうだが、まさかこれが漫画でよく見る異世界なのだろうか?


その日寝て次の日起きたら、またきっといつもの平和な現代の生活になっている。


だか、何度目覚めても、現代には戻れなかった。


日は、無情に過ぎて行く。


時には大きな不安に押し潰されそうになるし、優が居なくなったとなれば、あの両親はどんなに嘆くだろうかと心痛は深くなる。


だがどんなに辛くても、涙は流さなかった。


いや、気が張り詰めているせいか、流せない、と言うのが正しいのか?


翁夫婦は、素性の分からないにもかかわらず優を不憫に思い、暫く家に居ていいと言ってくれ、近くで拾った猫を小寿郎と名付けて飼う事も許してくれた。


そして、何処から来たなどは気を遣ってか、深く聞いて来る事は無かった。


ただ、誰かに問われれば、江戸から来たとだけ言うようにと告げられた。


綺麗な優は何もせずともいいとも言ってくれたが、そう言う事も言ってられず、すぐに優は老夫婦の仕事を手伝うようになった。


だが、それもいつまでの話しか不安にもなってくる。


日をそう待たず、優の存在は、山中に広がる翁夫婦のいる村の人々の知る所となる。


だだどうも青い瞳の所為で避けられて、こっそり物陰から優をひと目見ようと、老若男女が遠くから彼を覗くようになった。


ただの興味本位の者もいれば、優の美貌に惹かれるように来る者もいた。


翁の話しでは、この世界の江戸時代は鎖国が無い。


大きな町に出れば、青やら、黄色やら、様々な瞳の色の異国人が闊歩しているらしい。


それでも、このような山奥の村では珍しく、人々を萎縮させるらしい。


それに、急に伸びた黒髪を一度短くしたいと翁に言ってみたら、折角の美しい髪を切らない方がいいと説得された。


まるで絹の糸ようにサラサラ揺れるそれは、優の美しさを助長していた。


「おかしいな」


林の木々越し、遠くに翁の畑仕事を手伝う優の姿を見て、武士らしきスラリと長身の若い男がその甘い美貌を笑みで崩す。


「旅人の噂では、この村に現れた我らの主は、屈強な大男ではなかったか?」


返事を求め、近くに居た他の同じく長身の三人の男の顔を見た。


「噂とはそんなものだ…」


冷ややかな印象に整った顔の男も、片方の口の端だけ上げて薄く微笑んだが、黒灰色の目だけは笑っていない。


「誠に、お美しい御方だ、我が主は!」


筋肉隆々の無骨な顔の男は、少し身を乗り出し、興奮の色を隠しもしない。


「はぁ…」


その様子に呆れた溜息を漏らしたら、黒灰色の目の男は、何処か皮肉めいた笑みになる。


「まぁ、あの血が入っている者ならば、美しいのは当然だろうな…」


その物言いに三人の男は、それぞれ冷たい視線を彼に返した。


特にきつく睨んだのは、寡黙気な美貌の、肩にかかる位の黒髪の男だった。


「本当に美しい…そう、思わんか、朝霧殿は?」


黒灰色の目の男のその問いに、黒髪の男、朝霧は、ほんの一瞬更に睨みを強めた。


だが…


「さぁ、どうかな?」


朝霧は静かにそう言い残し、その場を離れ歩いて行った。



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