250 和解、夏目青藍(2)
「この
「ええ。父にならわかるはずだと本人は言ってました」
「本人……か」
複雑そうな顔で青藍がつぶやく。
この世界で紗雪が非業の死を遂げたことは、もう取り返しのつかないことだ。
平行世界では生きてるなどと言われても、それを慰めと取れるかは微妙だろう。
この世界の紗雪を救えなかった……とかえって自分を追い込むことにもなりかねない。
その点では、俺と青藍は同類だ。
青藍は『文藝界』を裏返し、発行年月日を確認した。
「日付のわりに真新しいな」
「平行世界とは数年の時間のずれがありました」
「そうか。君が私を担ごうとして雑誌を捏造しようとしても難しいと言わざるをえんだろう」
それは確認というより、覚悟を決めるための時間だったようだ。
青藍はごくりと唾を飲むと、『文藝界』の表紙を開く。
すぐに目的の「虫籠」を見つけたらしく、ページを繰る手がぴたりと止まる。
青藍自身も、『文藝界』の常連寄稿者だ。
この号には寄稿していなかったが、政治や文学の大きな特集が組まれた号には青藍の名前のあることが多い。
文学にも造詣の深い青藍は、さすがに読み慣れた様子で「虫籠」に目を通していく。
俺はそれを、出されていたコーヒーに口をつけながらゆっくりと待つ。
今は時間の惜しい状況だが、ここで彼を急かすことはしたくない。
死別した娘の書いた小説を読む――
それがどんな気持ちのするものなのかは正直言ってわからないが、邪魔をしたいとは思えない。
「ふう……」
青藍が『文藝界』から目を上げ、老眼鏡を外して目頭を揉んだ。
「どうでしょうか?」
「二つの観点から、私はこれが紗雪の書いたものだと確信する」
「二つ?」
「ああ。一つは客観的なものだ。紗雪の死後、ネット上に『遺書』として出回った文言とほぼ同一の箇所がこの小説に含まれておる。紗雪の『遺書』は遺書ではなく、この小説の一部だったということだ」
「俺がでっち上げたとは考えられませんか?」
「『遺書』にあった箇所は、この小説にごく自然な流れで含まれている。私を担ぐためだけにそんな器用なことができるのだったら、君は小説家になるべきだ。むろん、それ以前の問題として、雑多な寄稿者の含まれる雑誌を一冊まるごと捏造するなど、普通に考えて不可能だろう」
「もうひとつの理由は?」
「もうひとつは、多分に主観的な理由だ。私はこれでも言論人だ。娘を幼い頃から見てきて、その文章の癖も知っている。この小説を紗雪が書いたと言われて、心から納得がいった。ジョブ世界とやらの『紗雪』も、私ならばそれがわかると思ったのだろう。紗雪が小説を書いているなどとは知らなかったが、な」
紗雪は父のコネを疑われるのが嫌だったそうで、新人賞への投稿にあたっても青藍には事前相談しなかったらしい。
それで賞を取ってしまうのだから、紗雪の力は本物だ。
「紗雪が小説を書いてることを知ってる人はいなかったみたいですね。唯一の例外が、事故死した紗雪の異物を漁って創作ノートを発見した凍崎
「凍崎……だと?」
椅子の手すりを掴み、青藍ががたりと身を乗り出した。
「ご存知ありませんでしたか。いじめの加害者であり、紗雪を事故死させた張本人である氷室純恋は、その後転校してから凍崎誠二の養女になっています」
「養女……なぜだ?」
俺は青藍に、凍崎が運営するコールドハウスことザアカイの家について説明した。
「なぜ凍崎はそんなことを?」
「おそらくですが、人格のサンプルが必要だったんだと思います」
「人格の……? どういうことだ?」
俺は春原から聞き出した凍崎の特殊な生い立ちについて語った。
祖母・
「むう……。とんでもない話が出てきたものだな」
「そんな人物が、今はこの国の総理大臣なんです。それから、これはまだ誰にも言わないでほしいのですが、凍崎は自らの固有スキルを利用して、国民をマインドコントロールしています」
「なんだと⁉ 確かなのか⁉」
「客観的に証明することはまだできませんが、俺には確証があります。ひとまずは俺を信じていただくしかありません」
「それは……むろんだ。心情の上でも、物証の面でも、私は蔵式君を信じるよ」
物証というところで雑誌に目を落とし、青藍がうなずいた。
「そうだ。せっかくだから比較してみよう。待っていてくれ」
青藍はそう言って立ち上がり、隣の部屋へと消えていく。
しばらく何かを探す気配がしてから、青藍が暖炉の前に戻ってきた。
その手には、一冊の雑誌がある。
「この世界の同年月日に発行された『文藝界』だよ」
青藍は二つの『文藝界』を机の上に並べ、俺へと向けた。
どちらも「文藝界新人賞受賞作」と毛筆のようなフォントで書かれているのは同じだが、その受賞作が違っている。
「
「あちらの世界の梨川君は気の毒と言う他ないな。真面目な書き手だが、
どうやら青藍は『礫』の著者と知り合いらしい。
「紙も少し古びていますね」
こちらの世界の『文藝界』は、あちらの世界の『文藝界』より小口が少し黄色くなっている。
手にとって比べてみると、受賞作以外の記事の寄稿者が微妙に違う。
最大の違いは、ジョブ世界の『文藝界』にはダンジョン関連の記事があるのに対し、この世界の『文藝界』にはそれがないということか。
「科学的な年代鑑定をすれば確実だろうが、そこまでする必要はない。私は蔵式君の言うことを信じよう。凍崎が娘の仇の養父だとわかった今、君への協力は惜しまない。いや、協力させてくれと、こちらからお願いするべきだろう」
「……どうして俺が凍崎と対決しようとしていると?」
「君の顔を見ればわかるさ。君はきっと、今と同じような顔をして、娘をいじめる凍崎純恋の前に立ちはだかったのだろう。娘が惹かれたのも無理はない」
俺と紗雪は恋人だったわけじゃないんだけどな。
紗雪が俺をどう思っていたのかはともかくとして。
「それで、君は凍崎をどうしようと言うんだね? 相手は現職の総理大臣――この国の最高権力者だ。いくら君が強くとも、力でねじ伏せれば済むというものではないぞ」
「そこは、ちゃんと合法的な手段を考えてます。ただ、計画がうまくいったとしても、その後の混乱は避けられません」
「そうか。私に政界を抑えよと言うのだな?」
「ええ。次の総理を誰にするかを考えておいてほしいのです」
「それはまた大きく出たものだな。私にはそこまでの力はないぞ」
「政治的な空白を避けられれば、俺としては誰がなっても構いません」
「そうか……」
「何かご懸念が?」
「うむ……。情けない話だが、このところ頭が混乱しておるようでな。静かなこの場所で心を鎮められまいかと思って半隠居のような暮らしを送っておったところなのだ。論語にある通り、治国は修身から始まるものだ。おのれの心ひとつ収められぬ今の私に、政界の狂騒を収めることなどできようか……」
打ち明けるように言う青藍に、
「ああ、そうでした」
すっかり忘れていたが、青藍にも「作戦」がかかってる可能性があるんだったな。
「凍崎誠二は、選挙の結果をテコにして、国民の多くに固有スキルをかけました。青藍先生の混乱は、おそらくそのスキルの影響によるものです」
「な、なんだと⁉」
「参院選の比例区で自政党に投票しませんでしたか?」
投票の秘密という考えも浮かんだが、今なら訊いてもいいだろう。
「たしかにそうだが……まさか、そのこととこの混乱に関係が?」
「混乱というのはどういう?」
「私は保守を自認する言論人として、万事中庸を心がけておる。自分の意見を述べるのは、対立する議論の双方をよくよく吟味してからのことだ。この習慣を欠かしては、碌な結論に行き着かぬ。若い人にとっては煮えきらぬ老人に思えるかもしれぬが、それが真に健全な保守というものと考えておる」
「つまり、極論がお嫌いなんですね。それなのに、自分の考えが極端なほうにばかり向かってしまう?」
「……その通りだ。異世界人を虐げ、利用することをやむなしとする考えが浮かんでは、それを振り払う毎日だ。保守とは受け継がれてきた歴史や文化を尊重することであり、歴史や文化は人間の生命・生活の尊重の上に成り立つのでなければ意味がない。異世界人と言えど、奴隷や家畜のように扱ってよかろうはずがない。そんな人倫の基本中の基本が、自分の思考の流れから、ともするとこぼれ落ちてしまうのだ。歳を重ねて頑迷になったのかと自分を疑っておったのだが……」
なるほどな。
時局から距離を置く青藍は「作戦」にかかってないかと思ってた。
だが実際には、「作戦」がかかっているにもかかわらず、言論人としての矜持や信念から、極端化する自分の思考に抗っていたんだな。
……こういう人も世の中にはいるってことか。
若い俺には歴史や文化を重んじる青藍の思想は共感しづらいところもある。
世間に絞め殺されるような目に遭ってきた俺としては、変えるべきことは変えられる社会であってほしいと思うしな。
だが、青藍の思想が本人の中に深く根付いたものだってことは伝わった。
凍崎の「作戦変更」は所詮表層的なもので、人の本質的な部分を変えることはできないということか。
最近気の滅入る話ばかりで人間不信になりかけてた俺にとっては朗報だ。
「それが凍崎の固有スキルの効果なんですよ。ステータスを拝見しても?」
「あ、ああ。とくに探索者として鍛えてはおらんが……」
俺は「詳細鑑定」で青藍のステータスを開いた。
たしかに、本人の言う通りレベル1だ。
固有スキルはなし。
ステータスを深堀りすると、すぐに「作戦」の項目が見つかった。
「見つかりました。今から解除します」
俺は「強制解除」で青藍にかけられた「作戦」を解く。
「……む? 何やら靄が晴れたような気がするな。とぐろを巻いていた感情がどこかへ消えてなくなったような……」
「それが『作戦』の効果なんです」
俺は青藍に「作戦」の副次的効果について説明する。
俺の説明を聞きながら、青藍の顔が怒りで赤く染まっていく。
俺の話を聞き終えた青藍は、強く握った拳を自分のももに打ち付けた。
「おのれ……凍崎! 人を
――こうして俺は、力強い仲間をまた一人見つけたのだった。
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