108 違和感
……誰かの声が聞こえたような気がした。
でも、そんな気がしただけだったようだ。
思い返してみても、それがどんな声だったかわからないし、何を言っていたかも思い出せない。
今日一日の疲れでありもしない声を聞いたんだろう。
俺の目の前では、試練ダンジョンを造ろうとしてた神様が首をひねっている。
「……む? 思ったよりも時間がかかりそうじゃな。我も
「できなかったのか?」
まあ、いくら神様だって
「済まぬな。条件の設定にしばし時間が必要そうじゃ。その分、腕によりをかけて仕上げるからの。おぬしの必要とするものが最小限の労力で手に入る、おぬしのためだけのダンジョンじゃ」
「有り難いよ。もし時間がかかるなら日を改めようか?」
「そうじゃの……おぬしも疲れていよう。ここにダンジョンを造っておくゆえ、疲れが癒え次第潜るとよい」
「悪いけど、そうさせてもらおうかな」
「奥多摩湖ダンジョンの入口ポータルの近くに、おぬし専用の入口ポータルを用意しておこう。『隠しポータル発見』があれば見つけられるはずじゃ」
「それは助かる」
「助かったのは我のほうじゃ。ほれ、地上へのポータルを
神様がパンと柏手を打つと、俺の前に白いポータルが現れた。
白――外への出口だな。
やっぱりこの色のポータルを見るとほっとする。
「じゃあまた、神様」
「うむ。気をつけよ。脅威はまだ――……む? 脅威は去ったはずじゃの。あとのことは気にせず骨を休めるがよい……むむ?」
俺の挨拶に、神様が首をひねりながらねぎらいの言葉を返してくれる。
神様は何かがひっかかってるようだが、それが何かはわからないようだ。
そんな神様の様子に一瞬不審を覚えたが、数秒ほどでどうでもよくなった。
白いポータルに飛び込んで外に出る。
出たのは、大きくえぐれた地表の底だ。
奥多摩湖やダムがあったはずの場所は、隕石でも落ちたかのように半球状にえぐれていた。
「うわ……」
その惨状におもわず声を漏らす俺。
ダムが蓄えていたはずの膨大な水も崩壊したダンジョンに呑まれたみたいだな。
もし水だけ残ってたら俺は湖底に出てたかもしれない。
ダムの水が消失したことで近隣の水事情に影響が出ないかは心配だな……。
「クダーヴェはどこまで行ったんだ?」
星空を見上げると、ちょうどクダーヴェが降りてきた。
『クハハハハ! きっちり撃ち落としてやったぞ!』
なんのことかと思ったが、核ミサイルのことらしい。
「マジで撃ってきたのかよ」
『この国の迎撃ミサイルが二発撃ち落としておったな。俺様は最後の一発をいただいたというわけだ』
「どこが撃ってきたんだ?」
『この世界の国など知らぬ。この、痩せた竜が反り返ったような形の列島から見て、南西と北、それから西の海中からだ』
「うぇっ、三カ国もかよ……」
一般人の俺がうっすら想像してたよりこの世界の国際情勢はヤバかったらしい。
『俺様が撃墜した最後のミサイルがいちばんショボかった。あれでは俺様までショボく見えるではないか』
と、不満そうにクダーヴェが言う。
「国連軍になるかも、とは聞いてたが、最後のは完全に便乗してきた感じだな」
俺の召喚獣が
自衛隊任せにできるならそうしてくれと言ったはずだが、無駄な負けず嫌いを発揮したんじゃないだろうな?
中国、ロシア、北朝鮮がそれぞれ「一発なら誤射」のつもりで発射しただけなら、飽和攻撃というわけでもなかったはずだ。
『俺様と悠人の力を見せつけてやったのだ、細かいことはよいではないか』
「全然細かくねえよ!」
つっこんでから、俺は大きくため息をついた。
最大の窮地を乗り切ったからか、疲れがどっと押し寄せてくる。
一刻も早く家に帰ってベッドで寝たい。
だが、帰りの足はどうするか?
「天の声」の避難勧告でこの周辺の交通機関は完全に麻痺してるだろう。
いや、そうでなかったとしても終電はとっくになくなってる時刻だ。
……からくりUFOを使うしかないか。
「ダンジョントラベル」で実家に近いダンジョン――黒鳥の森水上公園ダンジョンに飛ぶという案も思いついたのだが、考えてみるとこれは無理だ。
「ダンジョントラベル」は踏破済みのダンジョンから別の踏破済みダンジョンに飛ぶことしかできない。
今回奥多摩湖ダンジョンの崩壊を止めはしたものの、奥多摩湖ダンジョンを「踏破」した扱いにはなってない。
Aランクダンジョンは二つ目だが、踏破扱いになってるなら初回限定じゃない特殊条件が達成できてたはずだ。
それがなかったってことは、今回のことはダンジョンの正式な踏破とはみなされなかったってことだよな。
空を飛ぶならクダーヴェでもいいが、さっき核ミサイルを撃墜したばかりのバハムートに乗ってダイナミック帰宅を決め込む勇気はさすがにない。
……というか、今現在クダーヴェを出しっ放しにしてるのもヤバいよな。
最近の衛星写真は人の顔すら識別できるんだ。クダーヴェが見つからないわけがない。
……いや、もう完全にばっちり見つかってるんだろうけど。
「すまん、クダーヴェ。送り返すぞ。今回は本当に助かった」
『クハハ! 目立ちすぎたな! 今回は存分に暴れられて満足だ!』
俺は「幻獣召喚」のスキルを解く。
クダーヴェが光の粒子になって消えていった。
「こんな開けた場所に出すのはまずいな」
俺は半球状にえぐれた奥多摩湖の跡を、外に向かって苦労して進む。
半球状なので、外縁に近づくほど勾配が険しくなっていく。
えぐれかたが綺麗なせいで手がかり、足がかりになる場所も限られてる。
まあ、今の俺の敏捷ならわりとひょいひょい登れるんだが。
外縁から山の中に分け入り、目立ちにくい場所を探す俺。
ほどなくして、木々がまばらになった窪地が見つかった。
「ふう……このへんでいいだろ」
俺はアイテムボックスからからくりUFOを取り出し、「シークレットモンスター召喚」でからくりドクターの源内を呼ぶ。
もちろんUFOにはすぐに「ステルス」をかけて上空からも見えないようにした。
UFOの後部座席に乗り込み、源内に操縦を任せる。
俺はシートに身を預け、UFOが離陸するふわりとした浮遊感を身体で味わう。
からくりUFOは速度を出してもほとんどGがかからない。
深夜の無音・無反動のフライトに、俺のまぶたが重くなる。
「……おっと。芹香に連絡を取らないと」
俺はスマホを取り出し、芹香にギルドチャットを送信する。
スマホの電波は圏外だが、DGPの機能であるギルドチャットはそれでもつながる。
ダンジョン内でもつながるんだから、いまさら驚くようなことでもない。
直後、芹香から通話がかかってきた。
『凄いよ、悠人! 本当にダンジョン崩壊を止めちゃうなんて!』
「……今回ばかりはほんとに死ぬかと思ったよ」
『もう、そんなこと言って……。こっちがどれだけ心配したかわかってる?』
涙声になってる芹香を宥めるのにたっぷり
ようやく落ち着いてきた芹香は、
『悠人は今日はこっちに来ないほうがいいよ』
と言ってきた。
芹香の言うこっち=天狗峰神社だな。
思いっきり家に帰ろうとしてたけど、考えてみればそっちが優先だった。
『いろんな人が押しかけてて大変。素性のわからない人とかもいるし。当たり前みたいに「隠密」で気配を隠してたりとか……。変な固有スキル持ちがいたりすると厄介だから、悠人はこっちには顔を出さないで』
「そうなのか……悪いな、後始末を押し付けたみたいで」
『このくらいの後始末ならいくらでもするよ。悠人の成し遂げたことにくらべたらこんなの苦労のうちにも入らないから』
「新宿のギルドルームにでも行ったほうがいいか?」
『悠人は実家に帰ってあげて。おばさん、すごい心配してたから』
「ああ……そりゃそうだよな」
世界がこんなことになってるのに探索者の息子が帰ってこないんだからな。
いくら成人してるとはいえ、心配にもなるだろう。
……って、なんで芹香は俺の母親と連絡を取り合ってるんだろうな。
『明日からは忙しくなると思うけど、今はゆっくり休んで。大丈夫、悪いようにはしないから』
「あまり無理はするなよ?」
『悠人にだけは言われたくないよ』
「ははっ、そりゃそうだ」
『……それと、その。約束のことも……ね?』
「約束……? って、あ、ああ」
思い出して、赤面する。
……そうだ。俺は芹香になんてことを言ってしまったのか。
今日は現実離れしたことばかりだったが、あれこそ夢だったことにならないだろうか。
『ちょっ、ひどい! 忘れてたの!?』
「そ、そういうわけじゃないんだが。目の前のことでいっぱいいっぱいだったんだよ」
『ふーん? 悠人にとって私ってそんな程度の相手なんだ?』
「ほ、ほら、恋愛モードと戦闘モードは違うって言うだろ?」
『れ、恋愛……う、うん、そうだよね』
「照れるなよ。こっちも恥ずかしくなる……」
『ね、悠人。落ち着いたらゆっくり話そうね。私、悠人に話したいこと、いっぱいあるよ。学生時代のこととか、探索者になってからのこととか、パラディンナイツを立ち上げてからのこととか…………悠人?』
ダメだ、芹香の声を聞いてると落ち着いて、強い眠気が襲ってくる。
『……寝ちゃった、かな。じゃあ、聞いてないってことだよね?』
暗闇に落ちる意識に、芹香の囁き声が滑り込んでくる。
『……好きだよ、悠人。ずっと……これからも』
「……んあ?」
俺は誰かに肩を揺すられ目を覚ます。
俺の肩を優しく揺すっていたのは芹香……ではなく、源内だ。
終点だよ、お客さん、という顔に見えるのは気のせいだろう。
いつも通りのマッドサイエンティスト風からくりフェイスが計器の明かりで浮かんでる。
からくりUFOは
黒鳥の森水上公園の駐車場だな。
からくりUFOには簡単なナビゲート機能がある。
これまで訪れたことのあるダンジョンの位置が記録される仕組みだ。
「ダンジョントラベル」は踏破したことのあるダンジョンしかブクマできないが、からくりUFOのほうは踏破・未踏破問わず一度でも足を踏み入れたことのあるダンジョンをブクマできる。
「ダンジョントラベル」のほうが移動時間の節約にはなるが、新しいダンジョンの攻略に乗り出すときにはからくりUFOのほうが便利だろう。
……まあ、「ステルス」がかけられるとはいえ毎回毎回こんなもので通勤するわけにもいかないけどな。
「ありがとう、源内」
と言って、源内の召喚を解く。
ついで、からくりUFOをアイテムボックスに収納する。
からくりUFOがスキルレベル5の「アイテムボックス」にギリギリ収まるサイズだったのは幸運だった。
もしそうじゃなかったら、常時マナコインで「ステルス」をかけ続けるか、灰谷さんにでも相談して秘密の格納庫を確保する必要に迫られただろう。
俺はからくりUFOの代わりに、アイテムボックスから自転車を取り出した。
便利だよな、自転車。
人力だけでそれなりの速度が出て、マナコインも消費しない。
ダンジョンの中には駅やバス停から離れてるところが多いからな。
落ち着いたらもうちょっといい奴に買い換えてもいいだろう。
普通免許は持ってるのでスクーターを買ってもいいが、探索者のスタミナを考えれば自転車を漕ぐくらいは大した労力じゃないんだよな。
夜の湿っぽい空気の中、自転車に乗って国道を走る。
ダンジョン崩壊の影響か、国道は驚くほどガラガラだった。
いつもなら深夜でもトラックが行き交ってるはずなんだが。
俺が小さい頃、忘年会で飲みすぎた父が電車を乗り過ごし、母が車で迎えに行ったことがあるらしい。
深夜の国道を、スピード超過のトラックに煽られながら電車の終着駅まで迎えに行かされたことを、母は未だに根に持ってる。
それから二十年以上――いや、十年近く経つ今になっても、毎年忘年会シーズンが来るたびに、父は母からちくちくこのときのことで小言をもらってる。
蔵式家にとってはそんないわく(?)のある国道だ。
コンビニで夜食でも買おうかと思ったが、疲れすぎてそんな気力も残ってない。
数十分ほどで家にたどり着く。
普通のシティサイクルで走る距離としてはちょっと長い。
俺の通ってた高校は実家からチャリの距離だったが、水上公園ほどには遠くなかった。
……家ってのは、なんで見るだけでこうも安心するんだろうな。
ダンジョン崩壊が阻止できなかったらこの家だって世界の狭間に消えていた。
俺がいくら安心感を覚えたって、この家に特別な結界があるわけじゃない。
なくなるときはなくなるもんだとわかってるが、それでも帰り着いただけで安堵感が半端ない。
俺は通学用のチャリに鍵をかけ、玄関の扉をそっと開ける。
遅い時間だが、鍵はかかっていなかった。
「た、ただいまー」
門限はとっくに過ぎている。
両親には探索者として活動することを認めてもらってるが、未成年のうちは夜間までの探索はしないという約束だ。
まあ、今日は遅くなるかもと事前に了承は得ていたのだが。
そろそろとリビングに入る俺。
明かりがついたままのリビングのソファでは、母が毛布をかぶって眠っていた。
俺の帰りを待ってたんだろう。
悪いことをしてしまった。
「……ん?」
母の寝顔に、俺はなぜか違和感を覚えた。
母の顔が……なんとなく物足りない感じがする。
何が足りないんだ?
「……シワと白髪……?」
主に息子である俺に苦労をかけられ通しだった母には、もっとシワや白髪があったような……。
……いや、そんなわけないか。
ひさしぶりに親の顔をちゃんと見たら思ったよりも老けていた、なんてことはあるかもしれないが、思ってたより若く見えるってことはなさそうだ。
歳下の若い男と不倫関係になって若返った……なんてこともないだろう。
ないと言ってほしい。
俺の母親なんだから、そんな美魔女なわけがないんだが。
改めて母の顔を見てみるが、さっきの違和感はもうどこかに消えていた。
だいたい、老けたの若いの以前に、親の顔の細部なんて覚えてないよな。
そんなこと言うともっと親の顔見ろと叱られそうだけど、
母を起こしたほうがいいのか、寝かせておいたほうがいいのかちょっと悩む。
眠りが深そうなので、書き置きを残して退散することにした。
けっして、帰りが遅いと怒られるのが嫌だったわけじゃない。
俺は母を起こさないようにリビングを出、階段を上って自分の部屋に入る。
シャワーを浴びたかったが、母を起こしてしまいそうだからな。
疲れてて風呂に入るのがめんどくさいってのもある。
俺は
制服のズボンのポケットからスマホを抜いて、ベッドの上に放り出した。
パジャマ代わりにしてる適当なTシャツとハーフパンツに着替えると、俺はばたりとベッドの上に寝転がる。
その拍子にオンになったスマホをなんとはなしに手にとった。
「あれ……?」
俺を不意に襲ったのは、奇妙な違和感だ。
スマホが、なんとなくダサく見えた。
縦横の比が洗練されてなくて、どう持っても手に馴染まない。
なんだか妙にかさばる感じだし、何より重い。
っていうか、
「俺のスマホ、こんなにベゼルが広かったっけ?」
端末の外の縁と画面の縁とのあいだの
ベゼルなんて、最近はほとんど気にならないくらい薄くなってるはずだ。
解像度もなんだか妙に低く感じるな。
ブラウザのフォントがジャギジャギじゃん。
「うわっ、動作重っ」
ブラウザのスクロールが話にならないくらい遅くてイラっとする。
最近の機種はもっとこう、当たり前のようにヌルヌル動く感じなのに……。
「……いや、そんなわけないだろ」
このスマホは、両親が俺の高校入学祝いに買ってくれたものだ。
当時の最新機種で、まだ発売から二年しか経ってない。
現行の機種でこれ以上のスペックを持つものは一握りだ。
もちろん、俺はスマホをこれしか持ってない。
他の最新機種を日常的に使ったことなんてない。
入学以来ずっと使ってるだけに愛着もあるし、性能に不満を覚えたこともほとんどない。
それなのに、どうしてこのスマホが
「探索のしすぎで疲れてんのかな……」
ベッドに寝転がってぼんやりスマホを眺めてるうちに、いつのまにか俺は深い眠りに落ちていた。
――翌朝目を覚ましたとき、俺は前夜に覚えた違和感のことを、綺麗さっぱり忘れているのだった。
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