第12話

「トリシア様、これはいったいどういうことなのかご説明ください」

「なにが?」

「わたしとあなたが結婚するって噂です」

 なんでわたしがこんなガキと結婚するなんて噂が出回っているんだ。こっちは仕事が立て込んでいるんだここに来て会話をするのさえ腹立たしい。

「だってクラウス、あなた私に協力するって言ったでしょう? もしあなたが明日までに独身だったら結婚するしかないわね」と笑ったトリシア様は見事に性格がねじ曲がって成長された。護衛を離れてからもこうして呼び出されている始末だ。

「ねえクラウス。もう私本当にあなたと結婚しようかしら」

「なにを言っているんですか」

「だぁってデクスターちっとも振り向いてくれないんだもの。つまんない」

「でしたら」

「なに、なにかあるの?」

「少し、揺さぶってみましょうか」

 直感的に彼女は、トリシア様は、わたしと同じだと思った。だからわたしはわたし自身のためだけにトリシア様に協力するふりをした。






 わたしがはじめて彼女を知ったのはずっと前のことだった。

 ちょうどトリシア様の専属に就いた頃だ。

 その日街に出かけた先でお金を忘れたことに気づいた。

 甘いものはわたしの唯一の癒しだった。

 あまり周りには言えないためこうして時折街に出かけることで食している。

 食事を済ませ懐に手を入れる。

 いつもそこにあるものがない。

 え、いや、あれ。

 まさか忘れた?

 誰かしらに連絡すればいいのだがここにいたことを知られるのはまずい。

「……お客さん?」

 店主からは訝しげな視線を向けられ言葉に詰まる。

「あ、いや、えっと」

「この人と一緒で」

 声と共にカウンターに伸びてきた手には数枚のお札が握られていた。

「あいよ」

「お釣りはいらないわ」

「毎度あり」

「ご馳走様。美味しかったわ」

 軽快に出て行く背中を見送って慌てて追いかける。

「待ってくれ。あなたに払われた分を支払わせてくれ」

「いらない。あなたも誰かを助けたらそれでいい。じゃあ私急いでるから」

 さらっとしたその対応が心地よかった。

 それから彼女を調べ上げた。

 結婚なんてものはどうでもよかった。

 ただ、彼女はちがった。

 触れたい、キスをしたい、それ以上のことをしたいと思った。

 だから、賭けだった。

 彼女が私に振り向いてくれる賭けだ。

 彼女の行動パターンとしてはこの路地を使うことがわかっていた。

 馬車を止めて路地を進む。

 前からは彼女が歩いてきた。

 わざと、ぶつかってみせた。

「わっ、」

「おっと、すまない」

「いえこちらこそ」

 わたしのことをおぼえていないのか。

 顔を見てもなにも言ってこない。

 服についた埃を払い会釈をして歩き出す彼女。

 あれ。

 なんて声をかければいいんだ。

 彼女が通り過ぎてしまう。

「……あの?」彼女の声で我にかえる。

 無意識に腕を掴んで引き止めていた。

「あなた、恋人は?」

「いません」

「結婚のご予定は?」

「ありません」

 不審な目を向けられる。

「じゃあもういいですか」

 会話が終わってしまう。

 なにか、なにか口にしないと。

「この服、高かったんですよねぇ」

 なにを言っているんだわたしは。

 これでは脅しているのと同じだろ。

 馬鹿か。

 彼女の瞳が再びわたしを捉える。

 それはわずかに揺れていた。

「それは脅し、ですか」

「いえ、ただ事実を言っているのです」

「わかりました。弁償はします」

 彼女にすれば睨んでいるのだろうか、ちっとも怖くない。

「そうですか、では、妻のふりをするならばちゃらにしましょう」

「はい?」

「おお、そうですか、わたしの妻になってくれますか」

「いえいまのは」

 抵抗する暇を与えないように言葉を連ねる。

 今を逃したらもう2度と会えないと思った。

 そのことがひどく怖く思えた。

 よく口がまわると思った。

 わたしらしくない。

 それから契約を提示した。

 彼女はそれに付け加える形で提案をした。

「ひとつ付け加えても構いませんか?」

「ええ、なんでしょう」

「もし、どちらかに好意を寄せる相手ができた場合契約破棄ができることも付け加えていただけますか?」

「それはつまり離婚ということですか?」

「はい」

 これは彼女にその予定があるということだろうか。

「もしあなたにこの先愛する人ができた場合あなたの提示する契約では不利になるでしょう。ですからお互い後腐れなく人生を生きていくためには必要かと思います」

 わたしにその予定はない。

 これは言い切れる。

 彼女以外とは結婚したくない。






 彼女がしたいことを邪魔することはしなかった。それを断った時、わたしの元から逃げてしまうんではないかと怖かった。

 だからできた夫を演じた。

 彼女に甘い言葉を囁き優しく触れていく。

 でも彼女の嫌がることはしたくない。

 嫌われたくないからだ。

 彼女を繋ぎ止める方法がわからなかった。

 酷いことを口にしてしまいそうで一緒に住めなくなった。

 嘘だ。

 好きでなくてもいいからそばにいて欲しい。

 そう思ったはずなのに彼女がわたし以外を好きになるのが嫌だと思ってしまった。

 できれば愛して欲しい。

 わたしを見てほしい。

 彼女と暮らすようになってわたしは随分欲深くなってしまった。

 だから彼女が訪ねてきた時に気が緩んで抱きしめていた。

 誰にも知られたくない。

 わたしだけのものであってほしい。






 トリシア様が居なくなった一報はわたしの元にも届いた。例に倣い庭園を探していくと見つけた。

 木に隠れてあたりをきょろきょろとうかがっている。

「なにをやっているんですか、トリシア様」

 こんな歳になってまでこの人はなにをやっているんだとため息を吐く。

 さあ帰りますよ。と掴んだ腕を引き止められる。

「クラウス抱きしめて」

「はぁ?」なんで俺がそんな事を。と視線を向ける。

「私だってあんたと好き好んで抱き合うわけないでしょ。デクスターがいるの。はやく」

 彼女の肩と腰に手を回し抱き寄せた。

「クラウス、キスして」と耳に声が届いたがさすがにそこまではできず黙っていると「ばかね、ふりよふり。見せかけでいいの」と返ってくる。

 この人自身の立場をわかっているかと呆れつつも従い頭に手をまわし顔を近づけたところで、

「なにをしてるんだ!」

 邪魔が入った。

 デクスターがトリシア様を引き剥がして眼光鋭く睨みつけてくる。

「トリシア様に手を出すなどあなたはなにをやっているんですか」

「これは彼女も望んでいることですが」

「なにを言っているかわかってるんですか」

「クラウスの言う通りよ」デクスターに続いて口を開いた。

「トリシア様!」

「その手を話しなさい、デクスター。私が誰を想おうがもうあなたには関係ありません」

「あなたは王女なんですよ、自らのお立場を」「じゃああなたが私を好きになってくれるの!」

 彼女が激昂しデクスターの言葉を遮り襟首を掴み引き寄せてから突き放す。

「トリ、シア様?」

「覚悟もないくせに話しかけないで。私は、この人と結婚するわ」

 デクスターは茫然としていた。

「私たちの邪魔よデクスター。さっさと消えなさい。これは命令よ」






「はあああぁぁあああああ」

 これ見よがしに長い長いため息を吐く。

「もうなによ。減るもんじゃないしいいじゃない。王女様を抱きしめられるなんて光栄に思いなさい」

 まったく光栄じゃない。

 彼女以外、アメリア以外触れたくもない。

「それにしてもみた?デクスターの顔。効果的面だったわね」

 けらけら笑う王女様。

「ねえ、それはそうとクラウス」

「なんでしょう」

「今度のパーティーあなたも出るわよね」

「……出ますけど」

 これ、絶対なにか考えてるだろ。

 しかもそれはわたしにとって大いに迷惑なことに決まっている。

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