第4話

 一台の馬車が森林に挟まれた道を慣れた足運びで走る。

 クラウス様の提案で出かけることになったのだけれど未だ行先がわからないまま。

 膝が触れ合うほどの対面に座る狭い馬車の中。ふたりきりというのは息が詰まる。

「今日はどちらに出かけるんですか」

 着いてからのお楽しみです。と微笑まれ答えはもらえないまま揺られる馬車が着いたのは見覚えのある石造りの建物だった。

 それは小さい頃何度も写真越しに見ていた場所だった。

 まさかとは思ったが、正面にある石造りの看板で確信に変わった。

 王立馬車博物館。

 ここは馬車の博物館だ。

 東に位置するこの博物館は膨大な土地に歴代の王族が実際に使用されていたあらゆる馬車が展示されている。

 年代に寄って馬車の造りはちがってくるためその繁栄の歴史の浮き沈みもひとつの楽しみである。と昔聞かされた言葉を頭の隅から引っ張り出してくる。

「以前、馬車に乗った際に嬉しそうにしていたので、お好きなのかと」

 ああ、なんて良い人なんだ。

「まさか私の人生の中でここに来れる日がくるなんてっ」

 感激過ぎて言葉に詰まる。

 こんなに幸せなことがあるなんて。

「どうやってここに入れる権利を手に入れたんですか」

「まあ、それなりの地位がありますからね」

 ふたりを乗せた馬車はやがて停留地へと着き、御者が扉を開く。

「本当に良いんですか?」

 これは夢なのではないだろうか。

 高揚感が心臓をはやく打つ。

「ええもちろん。さあ、行きましょう」

 クラウス様の掌におさまった手は震えている。

 手を引かれ馬車を出る。

「っ」

 無意識に掴む手に力を込めていたのを握り返されて気づいた。緊張を解きほぐすように熱さが引いていく。それはまるで「大丈夫ですよ、わたしが一緒にいます」と言っているようだった。

 階段を登って扉を潜ると入り口には赤い絨毯が引かれていた。馬の模型とともに中央に鎮座しているのが現王夫妻が婚礼のパレードに乗っていたものだ。それは代々受け継がれるもので金の調度品が馬車の後ろに設置されてその繁栄が見てとれる。

 その先の扉の先には様々な馬車が奥まで等間隔に並んでいた。

 テーブルが設けられたもの。

 寝台になるもの。

 吹き抜けのもの。

 車輪にまで彫刻が施されたもの。

 ひとり乗りの馬車。

 馬ではなく人が引く人力車。

 窓の貼り合わせの数やランプが内装に組み込まれたもの。

 皮で造られたものや鉄を打ち付けたもの、木製のもの。その材料も様々だった。

 ひとつひとつ見ていく。

 展示されているものは触ることが出来ないため一定の距離から眺めるルールが定められている中でもじゅうぶんに楽しめるものだった。

「この時代のものは事故が多発したため専門の御者以外にも操作がしやすいようにこの時期の馬車は車輪にブレーキが付いていたんです」

「詳しいんですね」

「はい、小さい頃仲良くしていた子のお家が馬車を造っていてよく見に行っていたんです」

「へー」

 まあ、今じゃ嫌味しか言われないけれど。

 ってなんでこんな素敵な場所であんな奴のことまで思い出さないと行けないのよ。あーやだやだ。頭の中から追い払って馬車に集中する。

「あ、今日までの展示品があるみたいですよ」

 案内板に従って進んでいく。

 一際目立つところに止められた馬車は四輪仕様の箱馬車で最近の馬車よりも箱がふたまわり程大きく造られている。室内には布を張られ長期の移動にも耐えられそうだ。ベルベットの滑らかな肌触りに綿とスプリグが組み込まれいかに利用者のことを考えているかわかる。上品な色合いには艶が入り光り輝いていてそれは今までみたどんなものよりも美しく見えた。

「こちらはジャレット・スタンリードの作品で新進気鋭の技師ですが、装飾に上品さと優美さを併せ持ち最近では人気が出始めているんですよ。王室にも納品されることが決まっています。生憎今彼は出払っていますがもう少しすれば戻るかと思います」

「どうするアメリア」

「え?」

「馬車の技師に会いたくはないかい?」

 穏和な館長が問いかけてくるができれば遠慮願いたい。

 ジャレット・スタンリード。その名前には聞き覚えがあった。昔よく遊びに行っていた馬車を造ってる家の、息子の、あの嫌味ったらしい男だ。まさか馬車の技師になっていたとは。

「いえ、じゅうぶん堪能いたしましたので」

「そうですか?」

「またの機会にでも伺うことにいたします」

 館長にお礼を行ってから館内を回っていくとひとまわりして入り口に回ってくる造りになっているらしく見覚えのある馬車を見つけた。

「では次はわたしに付き合っていただけますか」

「喜んで」






 建物の一階にはひときわ可愛らしい装飾のお店が入っていた。

 ここは? とクラウス様を見つめる。

「……甘いものに、目がないのですが、なにぶんひとりでは入りづらいもので。付き合っていただけると……」たじたじのクラウス様の姿には思わず口角が上がってしまう。

「わかりました」

 甘いものというのはあまり好まない男性が多い中で肩身が狭いのかもしれない。

 大口の窓を見ると店内には令嬢が席を埋める形でお茶を楽しんでいた。

 確かにこれでは男性は入りづらいかもしれない。

 扉を潜ると扉に備え付けられたベルの音に視線を合わせた数人の女性たちの反応によって一瞬だけ空気感が変わったような気がしたが構わず足を踏み入れていく。

「いらっしゃいませ」

 案内された奥のボックス席に腰を下ろすとクラウス様は睨みつけるようにメニュー表を見て唸っていた。可愛い人。

 やがてやってきた給仕の女性に注文を伝える。

「私はコーヒーとケーキのセットを」

「わたしも同じものを」

 クラウス様を見る。

 給仕の女性はかしこまりましたと下がっていきクラウス様はなにごともなかったようにメニュー表を元の位置へと戻していた。

「あの、良いんですか?」

 逡巡してからこちらの意図することを理解したらしく目を逸らして前屈みにぽつりともらした。

「……いや、その、まさかこんなに人がいるとは思わなかったので」

 頼みづらい、というわけか。

「じゃあ、私が頼むので一緒に食べてもらうのはどうでしょう」

 難しい顔をしていたが「私も食べてみたいので」と伝えるとほっとしたように顔の強張りがわずかに緩んで「……お願いします」と返ってきた。

 先程の給仕の女性に声をかけ注文をし直した。

「すみません、先程の注文はキャンセルでこのケーキのセットを。はい、紅茶とお願いします」

 女性が去ってから再びぽつりと問いかけられる

「どうしてわたしの注文してほしいものがわかったんですか」

「……だって、親の仇みたいに睨みつけていたのがそれだったので。あとコーヒーよりも紅茶をよく飲まれているとメアリーが口にしていたので勝手ながら選ばさせてもらいました」

「……すごい観察力ですね」

 クラウス様がわかりやすいんですよ。と心の中で答える。






 運ばれてきたケーキスタンドには上からクッキーケーキ軽食とひと口サイズのものが彩り豊かに綺麗に並んでいた。

 季節に合わせて旬のものを取り入れているらしく色合いとしては薄桃色のものが使われていた。

 向かいに座るクラウス様に視線を向けると僅かに顔が綻んでいて思わず笑ってしまってから眉根を寄せたクラウス様に気づき咳払いをする。

「いただきましょう」

 嬉しそうにお皿に移して綺麗に食べ進んでいく姿は美しく時折頬を緩ませる様子に見惚れてしまう。

 クラウス様のこんな表情が見れたのなら頼んでよかった。

 ケーキに注がれていた視線が私へと向けられる。

「食べないんですか?」

 このままではすべて食べられてしまいそうだったので「いいえ、もちろんいただきますよ」とにっこりと答え私も食べはじめた。






「美味しかったですね」

「ええ、ほんとうに」

「みんなにも持って帰れたらいいのですが……」

「確かこの店は持ち帰りもできたはずです」

「ほんとですか? じゃあ私注文してきます」

「いい、わたしが行こう。君はここにいてくれ」

 クラウス様を見送って一息つく。

 紅茶には果物の香りがつけられているらしく砂糖を入れなくても甘みを含んだ爽やかさが鼻にぬけていく。

 美味しいなぁ。

 ぼうっとしているとソーサに付いていたスプーンを指で弾き床に落としてしまった。

 やってしまった。

 すみません。と手を上げた時通路を通った男性に当たってしまった。

「これは失礼」

「大丈夫です。こちらこそすみません」

 つとめて明るく声を返すとその男性は固まっていて。

「……あの? 大丈夫ですか?」

「……あ、あの、もし良ければ」「わたしの妻がどうかされましたか?」

 割って入ってきたのはクラウス様だった。手には花模様の紙袋を持っている。

「……し、失礼いたしました。団長の奥方とは知らず」

 クラウス様の顔を視界に入れた途端その男性は顔を青ざめて足早に去っていった。

「大丈夫ですか?」

「はい。私の手が当たってしまったみたいで」

「そうでしたか」

 少し落ち着こうとカップに手を伸ばし持ち上げると、手が伸びてきた。辿っていくとクラウス様が悲しい顔をしている。

 クラウス様?

「ですが、アメリア。あなたに触れるのはわたしだけであってほしい」

 と口にした時、私の反応よりも先に店内の令嬢たちから悲鳴があがった。

 驚いて店内を見まわすと口もとを両手で押さえ色めき立っている。額に手の甲を当てふらついている女性もいる。

「公爵様があんなに甘い言葉を口にされるなんて」

「さっき妻っておっしゃっていたわ」

「相手の女性はどこのご令嬢かしら」

「なんてお美しいの」

 口々に紡がれる言葉たち。

 私たちが契約結婚だなんて誰も知るはずがない。

 まあ後腐れがないからこそ隣にいれるんだけれど。

「出ましょうか」

「はい」

 気をつけて。と手を差し伸べられた手に手を重ねる。

 こんな男性に愛を向けられるなんて一生回ってくることはない。

 今だけはせいぜい楽しんでもいいはずよ。

 突然、重ねた手を強く引かれつんのめったところを抱き寄せられ抱えられる。

「クラウス様?」

「はい」

「私、歩けますが」

「また誰かがあなたに触れることがあっては困りますので」

 にっこりと微笑んでいて、そこでこれは仕返しなのだとわかった。

 絶対わざとやってる。

 さっき笑ったから。

 絶対そうだわ。

「ク、クラウス様、お願いしますっ」

 結局どう言葉にしても降ろしてはくれないらしく街行く人に振り替えられ注目を浴びる。

 もう、なんでこんな目に。

 恥ずかしさから顔をクラウス様の胸に埋めると満足げな鼻に抜ける短な息遣いが聞こえた。

 最寄りの停留地へと着くと御者が馬車の扉を開けてくれ馬車内に入りようやくクラウス様から解放される。

 開口一番「楽しかったですか」と睨みつけると「ええとても」と意地悪な笑みを向けられる。

 この人、意地悪だ。

 騎士団に所属しているのに。

 意地悪な人。

 恥ずかしさやら悔しさやらで窓の外に顔を背けると御者の方が外から紐を引きカーテンを閉めていた。その意味に気づき羞恥心から素早くカーテンを開ける。

 それを見ていたクラウス様が声を上げて笑いそれを睨みつけると腹を抱えながら息も絶え絶えに笑いを堪えるように肩を震わせていた。

「これはこれは、可愛い奥方ですねぇ」

「クラウス様っ!」顔を真っ赤にして叫ぶ。

「すまないが屋敷に戻ってくれ」

 御者に向けて放ったクラウス様のその言葉も勘違いをされているように感じてなにをしてもこの人には敵わないような気がして顔を座席の縁に埋め込んだ。

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