番外編 ヤキモチは誰が妬く?(コミックス3巻発売記念SS)

「……すごいわね。夢のような場所だわ」


 ずらっと並んだ本棚の前で、ウェンディが感嘆の声を漏らす。ピンク色の瞳はきらきらと輝いていて、何だかそれを見たら嬉しくなってしまった。


 ここはアインハルト家──わたしとノアが暮らす家の図書室だ。

 ウェンディが遊びに来てくれて、折角ならとお気に入りの図書室でお茶を楽しむ事にしたのだ。もう少し暖かければ裏庭に作った東屋でもいいのだけど、生憎と今日は曇り空。

 風も冷たいから、東屋でお茶をするのは次の春になりそうだ。


「まだ一部の棚しか埋まっていないんだけど……」

「その分、これから埋める楽しみがあるのね」

「そういうこと」


 二人で顔を見合わせて笑う。

 わたしと同じく本が大好きなウェンディは、本棚に並ぶ本を見てはひとりごとのように感想を口にしている。それが無意識のうちに零れ落ちているというのも分かるから、自分の姿を見ているようで何だか擽ったい。


「ウェンディ、お茶にしましょう」

「え? ああ、ごめんなさい。ついつい夢中になってしまって」

「ふふ、新刊が棚に並んだ時と同じ反応をしていたわよ」

「だって楽しくて。私の好きな本も、読んだ事のない本もたくさんあるんだもの。あなたなら分かってくれるでしょう」


 暖炉の近くにあるテーブルには、お茶とお菓子が用意してある。これはお屋敷のシェフが作ってくれたものだ。お料理もお菓子作りも得意な人で、キッチンからはいつもいい匂いがするし、明るい鼻歌が聞こえてくる。


 テーブルの前のソファーに二人で座る。

 温かなポットからカップに紅茶を注ぐと、湯気と一緒に華やかな香りが立ち上った。美しい琥珀色がカップの中で光を映して輝いている。


 お砂糖をひとつ落としてから、カップを口に運ぶ。ほんのりとした甘さが舌に広がって、何だかほっと息をついてしまった。美味しい。

 たくさんお喋りをしてもいいようにと、大きなポットを用意してくれたメイドの気遣いが有難い。「冷めても美味しく飲める茶葉ですが、いつでも温かいものをお持ちしますからね」と言ってくれた彼女の笑みが思い浮かんだ。


「美味しい。すっきりしていて飲みやすいわ」

「お口に合ってよかった。お菓子もどうぞ」

「ありがとう」


 テーブルの上には沢山のお菓子が並べられている。

 クッキー、マカロン、オランジェット、ベニエ、フィナンシェにヌガーもある。迷うように視線を彷徨わせたウェンディはマカロンを一つ手に取った。


 わたしは何を食べようかと、やっぱり迷ってしまう。どれも間違いなく美味しいし、どれも食べるつもりではいるのだけど。やっぱり一番最初は特別なのだ。


 悩んだ結果、まずはオランジェットをいただくことにした。


「ん、美味しい。お菓子も上手に作れるシェフがいるのね」

「そうなの。そのおかげで好きなものが増えてしまって」


 マカロンを食べたウェンディの声が弾んでいる。それに頷いて見せながら、わたしもオランジェットを一口齧った。

 少し苦みのあるオレンジピールだけど、甘めのチョコレートとよく合っている。ふわりと柑橘の香りが抜けていった。


 こうしてウェンディと一緒にゆっくり過ごすのも、何だか久し振りな気がする。わたしの結婚式だったり、その前には色々とトラブルがあったりで、落ち着く時間を取る事も難しかったから。

 仕事をして一緒に食事を取る事はもちろん多かったけれど、こういう時間はまたそれとは別なのだと分かった。


「そういえば、街に新しいカフェが出来るって聞いた?」

「いいえ。どんなお店なのかしら」

「フルーツの専門店なんですって。旬のフルーツを使ったお菓子やお茶を出してくれるそうよ」

「そんなの絶対美味しいに決まってるわ。開店したら一緒に行ってくれる?」

「もちろん。最初は私と行ってほしいわ。アインハルト様に先を越されたら、私が嫉妬してしまうわ」


 冗談めかしたウェンディの言葉に、思わず笑ってしまった。


「あなたが幸せなのは嬉しいし、二人が仲睦まじいのも嬉しいんだけど。それでもあなたの事を一番知っているのは、家族以外じゃ私だったのに……なんて事くらい思わせて頂戴」


 今度はクッキーを食べながら、ウェンディはわざとらしく肩を竦めて見せる。怒った素振りをしながらも、その声音は優しい。


「あのね、ノアは……ウェンディに妬いていた事もあるのよ」

「私に?」


 以前、ラジーネ団長とノアがわたし達の仕事が終わるのを待っていてくれた時のこと。

 ラジーネ団長とウェンディが歩いて帰るのを見送ると、ウェンディがわたしには見せる事のない恋する顔を団長に向けていて。あまりにもその表情が可愛くて、素敵で、わたしの胸までぽかぽかと温かくなったのだ。


「ノアが隣に居るのに、あなたにばかり熱視線を向けていたんですって。妬けるななんて言われちゃったわ」

「私とあなたの絆の間には、アインハルト様も入れないって事ね」


 得意げなウェンディの様子にまた笑みが零れた。

 どうしてだか目の奥が熱くなってしまって、それを誤魔化すようにわたしは紅茶のカップを手にして、口をつけた。飲みやすい温度なのをいいことに、そのまま飲み干してしまう。


「ねぇ、ウェンディ」

「なぁに?」


 わたしはポットを手にして、空いたカップに紅茶を注ぐ。

 あえてウェンディの方は見なかった。顔を上げる事が出来なかったから。


「……あなたが居てくれて良かった。わたし、あなたの事が大好きよ」


 親友であって、姉のようでもある、大切な人。

 家族とはまた違う、別の枠で一番の人。誰よりも幸せを願う人。


 ポットをテーブルに戻すと、ウェンディがわたしの肩に頭を預けるように寄り添ってきた。わたしもウェンディの髪に頬を寄せる。優しい石鹸の香りがした。


「私もよ。これからもずっと、あなたは私の大切な人。だからいつだって私の事を頼ってね」

「ありがとう。あなたもね」

「ええ」


 しんみりした空気に、二人で顔を見合わせて笑ってしまう。お互いが涙目になっている事にはどちらも触れなかった。



 それから、わたし達は先程の空気が嘘のようにお喋りに時間を費やした。

 本のこと、仕事のこと、流行りのスイーツにドレスの話、最近図書館に遊びに来る猫の親子の話まで、話題が尽きる事はなかった。


 気付けば外はすっかりと暗くなっていて、図書室のドアがノックされた。

 返事をするとすぐにドアが開いて、そこに立っていたのはノアと──ラジーネ団長。


「ただいま」

「お邪魔するよ」


 ノアもまだ騎士服で、団長と共にまっすぐこの部屋にやってきたというのは分かる。


「お帰りなさい」

「シリウス様?」


 ウェンディも驚いた様子だから、団長が訪れるというのは知らなかったようだ。


「ウェンディがまだここにいると聞いてね、迎えに来たんだ」

「ありがとうございます」


 そう言って笑うウェンディの表情は、やっぱりラジーネ団長にしか引き出せないものだ。

 優しくて、きらきらとしていて、幸せな表情。


「……ウェンディ、わたしも妬いちゃいそうだわ」


 ぽつりと零した言葉に、ウェンディが笑いだす。

 わたしの言葉の意味を知らないノアとラジーネ団長は不思議そうに首を傾げている。


 ウェンディはわたしに向かって悪戯に片目を閉じて見せた。その表情は、きっとわたしだけしか引き出せない。きっとわたしも、ウェンディにしか見せないような顔をしているんだろう。


 わたし達はまた顔を見合わせて、笑い声を響かせた。


*****


9/27にコミックス3巻が発売されました!

ドキドキハラハラと、蕩けるようなノアの愛情たっぷりの3巻です!

どうぞよろしくお願いいたします!!

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