2-13.想いが溢れて

 ベンチの近くには外灯があって、わたし達を照らしている。


 ゆらゆらと風に吹かれる炎が影を揺らして、改めて夜に出掛けていると自覚した。別にいつもあまりりす亭に行ったりしているから、夜のお出掛けも珍しくはないのに……ドキドキしてしまうのはどうしてだろう。


 ワインのカップを一度ベンチに置いたノアは、袋から軽食の包みを出してくれた。わたしとノアの間にそれを置いて、取りやすいようにしてくれる。

 相変わらずのさりげない気遣いが何だか嬉しい。


「美味しそう」


 両手を組んでお祈りを済ませると、崩れないように串で固定されたそれをひとつ手に取った。

 一番下にあるのは薄切りになったバゲット。その上にはお肉を煮込んだようなものが載っている。一番上はにんじんだろうか。これもまた色が濃い。

 バゲットを持って串を抜く。一口サイズには少し大きいけれど、齧りついたら崩れてしまうだろうか。そう思って、串をピック代わりにして、一番上のにんじんを取って口に入れた。


 赤ワイン煮だ。

 よく煮込まれていてとても柔らかい。赤ワインの芳醇さと、にんじんの甘さが相まって美味しかった。じゃあこのお肉も赤ワイン煮なのだろう。

 そう思って、今度はお肉とバゲットを少し齧った。パンくずが落ちてしまうけど、外だからまぁ大丈夫でしょう。


「んん、美味しい。赤ワイン煮が載っていたわ」


 ほどけるような牛肉は、少し冷えているにも関わらず美味しいものだった。

 クセもなく、脂が口に残る事もない。炙られたバゲットがカリカリしていて、いいアクセントになっている。


「うん、美味い。こっちはタコとオリーブのマリネだな。それからマリネの野菜が刻まれて、パンに塗られているみたいだ」

「それも美味しそう」

「酸味が強くてさっぱりしているぞ」

「こういうのもいいわね」


 先日にエマさんとお外でランチをした時も思ったけれど、外で食べるのも何だか楽しい。

 夜の風が優しくて過ごしやすいからだろうか。


「新居の庭にはでかい東屋でも作るか」

「それも素敵ね。本を読むのにもよさそう」

「じゃあ図書室から外に出られるような、ドアがあった方が便利だな」

「もうお屋敷の改装は終わっているでしょう?」

「残念な事に新居に住めるのはまだ先みたいでね。追加で改装するのだって問題ないだろうさ。俺としては明日にでも結婚して一緒に暮らしたいところだけど」


 不意をつかれて、今まさに口に含んだばかりのワインを噴き出してしまうところだった。

 なんとかそれを堪えてワインを飲み込むけれど、もう味なんて分からない。飲み込んだけど変なところに入ってしまって噎せこむわたしを見て、ノアが低く笑っている。


「なんだよ、動揺しすぎだろ」

「まさか、急にそんな……」

「別に急でもないけどな」


 わたしの背を撫でながら、ノアの口元が弧を描く。厚い前髪と黒縁眼鏡で瞳はよく見えないけれど、きっと優しく細められているのだと思う。


 わたしは軽く咳をしてから、改めてワインを口にした。これ以上ノアが何かを言わないように、少し警戒をしながら。そんなわたしを見て、またノアが可笑しそうに笑うのだけど。


「そういえば、ちゃんとお礼を言ってなかったわ。お花とお手紙をありがとう」

「喜んでくれたなら俺も嬉しい。お前を不安にさせたくはないんでね」

「不安なんて、あのお手紙とお花で飛んでいってしまうわ。ねぇ……わたしも、お手紙を書いてもいい? 宿舎に届けてもらうのは迷惑になってしまうかしら」

「いや、そんなことはねぇが……いいのか?」

「ええ。あんたが嫌じゃないなら」


 ノアの声が弾んでいるように聞こえる。

 それが何だか嬉しくて、わたしも笑みを浮かべていた。


「書いてくれたら嬉しい」

「その日に食べたものの感想ばかりになったりして」

「それも可愛くていいけどな」

「……バカなんだから」


 冗談めかしたのに、帰ってくるのは甘い声で。鼓動が跳ねる事を自覚しながら、誤魔化すようにワインを飲んだ。


 ノアがまた軽食に手を伸ばす。それだけでこの場の雰囲気が変わるから、わたしも軽食を選ぶことにした。


 ノアが選んだのはチーズとトマトが載せられたもの。わたしは……オムレツとトマトソースのものを選んだ。

 トマトソースの赤と、オムレツの黄色が綺麗。串を抜いて齧りつくと、オムレツにはお野菜が混ぜ込まれているのが分かった。しゃきしゃきとした食感が美味しくて、酸味のあるトマトソースと合っている。うん、これも美味しい。


「……今日は嫌な思いをさせたな」

「わたしよりも、ノアよ。ああいった事を、今までにもずっと言われていたんでしょう?」

「この見目だからな、多少は慣れているつもりだったんだが。話が通じないっていうのは厄介だよな」

「大変だったわね。本当に護衛任務から離れられて良かったわ」

「ああ。……お前の側に居られないのは、歯痒いが。お前に何かあったらと思うと気が気じゃない」


 ワインを一口飲んだノアが、わたしの事を見つめている。

 厚い前髪の奥から覗く瞳に浮かぶのは、心配の色。


 ノアの方が大変なのに。

 わたしより、王女様に毎日付き合っていたノアの方が辛かっただろうに。

 今だって自由に出来なくて、王女様に会わないように色々制限だって掛かって……それなのに、この人はこうやってわたしのところに来てくれる。


 わたしが、嫌な思いをしたからと。


「あんたは……もっと自分の事を大事にしていいのに。わたしより、ノアの方が大変だし嫌な思いもいっぱいしてるんだから」

「どちらが大変だからって、お前を心配しない理由にはならないだろ」


 優しい声でそんな言葉を紡がれて、胸の奥が苦しくなる。

 締め付けられる心が、ノアの事を好きだと叫んでいるようだった。溢れた想いが涙となって零れていく。


「ラルス達にも頼んではいるが、それも複雑なんだ。俺はお前の側に居られないのに、他の奴らに任せなきゃいけねぇのも……そういう場合じゃないって分かってはいるが、妬いてる」


 その言葉だけじゃなくて、声にも滲む嫉妬の色。

 こんな時だっていうのに嬉しくて、色んな感情が綯い交ぜになって、溢れるのは涙ばかり。


「……バカ」


 口から絞り出せたのはただの悪態なのに、嬉しそうに笑ったノアはわたしの頭を撫でてくれた。

 その手があまりにも暖かくて、また泣けてしまった。

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