2-3.帰路、繋いだ手

「お前に言っておかなきゃと思ってたんだが、これから少し忙しくなりそうなんだ」


 食事を終えたわたしは、デザートのシュークリームを食べていた。

 ノアはひとつ食べ終わって、わたしはふたつめ。以前にもマスターが大量のシュークリームを作った事があったけれど、時々そういう時期が訪れるらしい。

 無性に作りたくなって、とまたシュークリームの入った箱が山積みになっているのを見た時には思わず笑いだしてしまった。


「忙しく……って、騎士団でっていうこと?」


 シュークリームの上部分をナイフで切り分けて、カスタードクリームと一緒に口に運ぶ。ふたつめでも変わらない美味しさだ。その口にいちごも入れると、酸味が強くてこれもまた美味しい。


「そう。アンハイム王国の使節団が来週から来る事になっているのは知ってるだろ? お前んとこ図書館も視察対象に入ってたしな」

「ええ、確か王女様がいらっしゃるのよね」

「その護衛任務に俺もあたる事になっちまって」

「今までも使節団がいらっしゃったら、騎士団から護衛がついていたものね」


 今回が特別なわけではない。

 訪れる使節団の中にも護衛の兵士は居るけれど、騎士団からも護衛にあたる事が習わしになっている。だから特に気にしていなかったのだけど、ノアは大きな溜息をついてから白ワインを飲み干してしまった。


「行きたくねぇ」

「随分はっきり言うわね」


 その声色から彼の感情が読み取れるようで、苦笑いが漏れてしまった。

 今までだって護衛任務にあたる事はあっただろうに、どうしてなのか。


「今回が初めてというわけじゃないんでしょう?」

「そうだが……何だか嫌な予感がするんだよね」

「怖いこと言わないで。あんたの勘って当たるから嫌だわ」

「俺も」


 シュークリームの下部分は水分を吸っているからずっしりと重たい。それを切り分けて口に運ぶとしっとりとしたシュー生地と生クリームが合わさって、これも美味しい。

 上部分もいいけれど、わたしはこっちのほうが好きかもしれない。


「でもまぁ、砦に赴任した時みてぇに会えないわけじゃないからな。それだけがまだ救いか」

「ノアだけで護衛任務にあたるわけじゃないのよね?」

「ああ。数人で一隊を組んで、交代で任務にあたる」

「……今更だけどお仕事のこと、聞いちゃって平気だった?」

「本当に今更だな。俺から話した事だし問題ねぇから心配すんな」

「それならいいんだけど……」


 ノアの言葉にほっと安堵の息が漏れた。まぁノアならちゃんと機密事項とそうじゃない事を区別してわたしに話してくれるとは思うけれど。


 シュークリームを食べ終えたわたしは、白ワインを一口飲んだ。花のような香りが鼻から抜けていく。口の中に残っていたクリームの甘さが流されてさっぱりする。


「アリシアちゃん、おかわりは?」

「今日はもうおなかいっぱい」

「じゃあまたおうちに持って帰って。ノアくんもね」

「俺は宿舎だからなぁ……」

「誰か食べるでしょ。お願いだから持っていって欲しいのよ。見てよ、この量」


 エマさんが困った口ぶりでシュークリームの詰められた箱を見せるけれど、笑顔はいつものように明るい。エマさんの向こうではマスターが申し訳なさそうにぺこりと頭を下げている。


「じゃあ貰っていくかな」

「ありがとう、助かるわ~。あたしも四つ食べたんだけど、もうお腹いっぱいになっちゃって」

「……四つ?」


 信じられないとばかりにノアが言葉を繰り返す。実際にエマさんが四つ食べたところを見た事があるわたしは、笑うしかなかった。



 お会計をして、あまりりす亭を出る。

 外まで見送ってくれたエマさんとマスターに手を振って、わたしとノアは並んで石畳の道を歩き始めた。


 シュークリームの箱はエマさんが紙袋に入れてくれた。ノアがわたしの分も持とうとしてくれたけれど、それを断ってわたしは自分で持っている。


「いいのか? それくらい俺が持つぞ」

「ええ、軽いから大丈夫。それに両手が塞がっちゃうでしょ」

「……あー、なるほどね」


 ノアは合点がいったとばかりに口端を上げると、紙袋を持つのとは逆の手でわたしの空いた手を握ってくれる。

 そうなんだけど。そうしたいと思ったから自分で袋を持っているんだけど。


「……何だか恥ずかしくなってきちゃった」

「なんでだよ」


 可笑しそうにノアが笑う。恥ずかしいけれど手を離したいわけじゃなくて、わたしは繋ぐ手にぎゅっと力を込めた。応えるように、ノアも握り返してくれるのが嬉しく思う。


「今日もご飯が美味しくて幸せ」

「あのタルトも美味かったな」

「ヤギのチーズのやつね。ちょっとクセがあるけれど、それがエールに合うんだから不思議だったわ」

「今日もだいぶ飲んでいたが……心配するまでもねぇか」

「ひどい。でも平気だから何も言えない」


 軽口に心も弾んでいく。

 触れ合ったり距離が近くなっても、わたし達のこういう会話は変わらない。それを嬉しく思うのは、きっとわたしだけじゃないだろう。


「ねぇ……忙しくなるでしょう? 会えないわけじゃないって、そう言ってくれるけど……体に気を付けてね。無理だけはしないで欲しいの」

「おう。多少忙しくなったって平気だが、お前に会えないのは辛い。だけど今回は王都を離れるわけじゃないしな」

「そうね、王女様の視察先も王都の中ばかりだって館長が言っていたわ」

「ああ、だから何かあったらいつだって言って欲しい。任務に就いていない時は詰所に居るから、遠慮すんなよ」

「ありがとう」


 夜の風が柔らかい。

 もう少ししたらきっと暑くなってくるのだろうけれど、頬を撫でる風はまだひんやりとしていて気持ちが良かった。

 繋いだ手だけが、熱を持っている。


「それから……使節団は結構な大所帯になるらしい。まぁ文官やら侍女やら兵士やらを連れてくるから当然っちゃそうなんだが。人の出入りも多くなると思うが、知らない奴についていくなよ」

「そんな子どもじゃないんだから大丈夫よ」


 街を外れて住宅街にさしかかる頃、ノアが不意に足を止めた。

 つられるようにわたしも立ち止まると、繋いでいた手が解かれてしまう。


 ノアは眼鏡を外すと、それで前髪を留めるように頭に載せた。露わになる夕星の瞳が熱を帯びてわたしを真っ直ぐに見つめている。


「心配なんだよ」


 真摯な声に、茶化す事なんて出来なくて。わたしはただ、頷く以外に出来なかった。


「大丈夫。誰にもついていかないし、いつも通りに過ごしているわ。何かあったら詰所に向かうし、ノアの事も頼らせて貰う。……ノアもよ?」

「俺?」

「……王女様とか、侍女の人とか、いっぱいいるだろうけど……あんたにはわたしが居るって、忘れないでよね」


 言ってから、これじゃあ嫉妬だと気付いてしまった。

 まだ会ってもいない人に嫉妬なんて、と思ったその瞬間──わたしはノアに片腕で抱きしめられていた。


「可愛いこと言うなよ」

「……物好き」


 悪態も、こんなに甘い声だったら意味を成していないだろう。自分でもそう思うくらいに、ノアへの想いがわたしの声に映っている。


「そんな俺も好きだろ?」


 低く笑うノアの姿に眩暈がしそう。

 答えを口にする暇もなく、わたしの口はノアの唇で塞がれていた。

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