41.垢抜けない男

 ノアが家に来た日から程無くして。

 ジョエル・アインハルトとわたし、アリシア・ブルームの婚約が発表された。


 自分が思っていたよりも大々的な発表にたじろいでしまったけれど、ノアは貴族でもあるし王家に忠誠を誓った騎士でもある。大掛かりなものになるのは仕方がない事なのだろう。


 発表される前にウェンディには先に報告をしたのだけど、自分の事のように大喜びをしてくれた。


「お相手はアインハルト様だったのね! 姿を隠しても育まれた恋なんて素敵だわ。きっとあなた達を題材にした恋物語が書かれるわよ」


 顔を赤らめたウェンディが嬉しそうに言葉を紡ぐけれど、それは遠慮したいなと思ってしまった。

 ノアは”自分は貴族じゃないようなものだ”なんて言っていたけれど、それでは済まない状況も出てくると思う。その際にはウェンディの事も頼らせて貰いたいと願うと、快諾してくれた。


「アインハルト様のご両親とはお会いしたの?」

「まだなの。お手紙を頂いたんだけど、婚約を喜んで下さっているみたい。近い内に両家を交えての食事会が開かれる予定」

「それは楽しみね」

「うまくやれるといいんだけど」

「アリシアなら大丈夫よ」


 ウェンディがそう言ってくれたら、本当に大丈夫だと思えるから不思議だ。

 心配しすぎても仕方がないし、足りないなら努力しよう。きっとノアもそれを認めてくれるだろうから。



 王都に暮らす女性方の憧れでもある、夕星の騎士の婚約。その相手が、婚約を解消されたわたしだという事に難色を示す人も多いだろうと思っていた。しかしわたしが思っていたよりも好意的に受け入れられたのには理由があった。

 団長を始めとした騎士団の面々がお祝いをしてくれたという事。それから……王家からも祝福の意が公式に発表されたという事。それが大きかったのだと思う。

 王家が祝福をしている婚約に、大っぴらに物言いをつける事は出来ないだろう。個人的な話の中で、何かを言われるのは構わないし当然だろう。わたしに聞こえないところで何かを言われたって痛くないから、それはいいのだ。


 そう、物言いは聞こえないところで、仲間内でやってくれたらいい。そうするべきなのだ。

 なのにわたしの前には、胸の前で腕を組み、不機嫌さを隠しもしない人──キーラ・フリッチェ男爵令嬢が居た。

 本を探していると言われて、案内をしたその先にはこの人が待っていたのだ。案内を求めた貴族令嬢は、よく見れば先日、わたしを囲んだ内の一人だった。


「この浮気者。別の男をたぶらかしていながら、アインハルト様との婚約を結ぶだなんて。平民は腰が軽くて嫌になるわ」


 いや、そこに平民は関係ないんじゃないだろうか。大体、婚約者が居る相手に横恋慕をしたあなたが言う事なんだろうか。


「わたしは浮気などしていません」


 奥まっているとはいえ、図書館の中だ。わたしは声を抑えながらも言葉を返した。


「じゃああの垢抜けない男はなぁに。あの男を慕っている素振りを見せていたのに、本命はアインハルト様だったという事? 恥知らずもいい加減にして頂戴」


 その垢抜けない男がアインハルト様だと言って、この人は信じてくれるだろうか。そんな事を考えていたら、キーラ嬢はその口端を持ち上げてにっこりと笑った。


「ねぇ……浮気をしているなんて、アインハルト様が知ったらまずいんじゃないかしら」

「ですからわたしは──」

「ばらされたくないでしょう。アインハルト様を騙していたなんて知られたら、きっと王都にいられない程の騒ぎになるわ。あなたの家だってただじゃすまなくってよ」

「……何をおっしゃりたいのですか」

「婚約を解消なさい。自分には相応しくなかったと身を引くのよ。そしてこの私をアインハルト様に引き合わせるの。簡単でしょう?」


 組んでいた腕を解いたキーラ嬢は、両手を顔の前で合わせながらくすくす笑う。

 いい事を思い付いたとばかりの、子どものように無邪気な様子にぞくりと背筋に冷たいものが走った。


「そんな事をわたしは──」

「何だ、また絡まれてんのか」


 発した声は遮られる。振り返った先には、不機嫌そうに眉を寄せたノアが居た。騎士服を崩す事もない、背筋を伸ばしたアインハルトとしての姿で。


「ノア……」

「アインハルト様!」


 キーラ嬢も、その後ろで意地悪そうに笑っていた筈の令嬢二人も、ノアの登場に顔を赤らめる。ぱっと変わるその様子に、内心で舌を巻きながら小さく息をついた。


「アリシアさんが、アインハルト様にお伝えしなければならない事があるみたいなのですが……。ねぇ、アリシアさん?」


 先程とは打って変わった、弾むような可愛らしい声。

 キーラ嬢へ視線を向けると、何かを促すように顎をくいと動かした。


 婚約解消を申し出なさい。浮気をばらすけどいいの?

 言葉にしなくても、その瞳が何を言っているかが伝わってくる。


 わたしは溜息をついてから口を開いた。


「わたしが浮気をしているんですって」

「へぇ?」

「な、っ……」


 わたしの言葉にノアは平然としている。驚いているのはキーラ嬢とその後ろの令嬢方だ。


「こちらのご令嬢はそれを見たと?」

「え、ええ。背を丸めて髪を乱した、垢抜けない男性でしたわ。アインハルト様がいらっしゃりながら、アリシアさんはその男性と仲睦まじく寄り添っていたんですの」


 垢抜けないってまた言った。

 それを耳にしたノアは可笑しそうに肩を揺らす。……これは何か悪い事を考えているんじゃないだろうか。


「垢抜けない男とは、こんな感じだったか」


 ノアは後ろに撫で付けていた髪に手を入れると、手荒に乱してしまう。ぼさぼさになった髪で顔を隠すようにすると、キーラ嬢の言う”垢抜けない男”の出来上がりだ。


「え……?」


 驚いたようにキーラ嬢が息を飲む。

 きっと頭の中は大混乱しているだろう。浮気相手だと思っていたのがアインハルト本人で、その本人に垢抜けないと言ってしまって……。


「ご令嬢方にはブルーム家に繋がりのある伯爵家より、苦言がいっていたと思うが。アインハルト伯爵家からも抗議をさせて貰おう。王家も認めた婚約に難有りと声を上げたんだ、それ相応の処罰は覚悟してくれたまえ」

「そんな、わたくし達は何も……!」

「キーラ様に着いてきただけで、わたくし達は何もしていませんわ!」

「あなた達……っ!」


 ノアの冷たい声に、キーラ嬢の後ろにいた令嬢方の顔色が変わる。それを咎めようとするキーラ嬢の顔も真っ青だ。


「これ以上、私の可愛い婚約者に近付かないでくれ。やっと手に入れる事が出来た人でね、君達の声で彼女を煩わせたくないんだ」


 わたしの肩を抱いたノアは、逆手でまた前髪をかきあげる。紫の瞳は凍てつくように鋭くて、その恐ろしさにわたしまで震えてしまう程だった。


 キーラ嬢はまだ何かを言いたそうだったけれど、他の令嬢方に腕を引かれて立ち去っていった。わたしだって言いたい事なんて山のようにあるけれど、ただの罵り合いになりそうで口をつぐんだ。

 お互いが気に入らない者同士、相容れる事はないのだから。


「大丈夫か?」

「ええ、ありがとう。……全部あんたに頼っちゃったわね」

「頼っていいんだぞ。俺はお前の盾になるって、そう言ったろ」

「そうだけど……」

「そんな事よりあいつらの顔見たか? 浮気相手の正体が俺だと知って焦ってたな」


 そう言って可笑しそうに笑うノアにつられるように、わたしも笑った。

 この人のそんな様子を見られるのは、わたしだけでいいと独占欲にまみれながら。


 わたしの肩を抱いたままのノアに、そっと寄り添う。それで気持ちが伝わる事を願いながら。

 

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