7.ウェンディとカフェデート

 キーラ・フリッチェの来襲から数日が経った。

 静かに毎日を過ごせたかというと、そうではなく。アインハルト様が図書館に本を借りに来ると知った人達が押し寄せたからである。その中にはキーラ・フリッチェも混ざっていたけれど、どこでアインハルト様に会うか分からない状態だったからか、わたしに絡んでくる事が無かったのは有り難い事だった。


 図書館に来るには着飾り過ぎた女性陣の香水の強さにやられてしまったのか、疲れ顔の上司の顔色は白くなるばかり。

 そしてそんな状況を知ってか知らずか、この数日間、アインハルト様が図書館に来る事はなかったのである。



「それにしても、アインハルト様目当ての方達は残念だったわね」


 同じ事を考えていたのか、ウェンディが肩を揺らしながら言葉を紡ぐ。

 向かいに座っているわたしは、それに頷きながら紅茶のカップを口に運んだ。


 ケーキが美味しいカフェのはじっこの席。心地よい賑やかさでお店が満ちている。

 今日は職場の図書館がお休みなので、ウェンディを誘ってお茶をしに来たのである。ちなみにこのカフェはわたしが婚約破棄をつきつけられた場所でもあるが、ケーキに罪はない。


「あなたを助けるために颯爽と現れたんでしょう? 奥で本の整理をしていたのが悔やまれるわ」

「助けるためではないけれど、素敵だったわよ」


 うっとりと顔の前で両手を合わせるウェンディの様子に苦笑を漏らしながら、テーブルに置かれたケーキと向き合う。

 わたしが注文したのはパイ生地とカスタードクリーム、艶めくイチゴが美しく層を成しているミルフィーユ。ウェンディは薔薇の飴細工が飾られたチョコレートケーキ。


 フォークとナイフを使ってミルフィーユをそっと倒す。ナイフを入れるとパイ生地がサクッと美味しそうな音を立てる。柔らかなカスタードクリームを絡めて口に運ぶと、幸せに吐息が漏れてしまう。


 ウェンディも飴細工を崩しながらチョコレートケーキを堪能している。その頬が幸せそうに緩むものだから、二つ目のケーキはやっぱりチョコレートケーキにしようと思うほどだ。


「アリシアも災難だったわね。浮気相手が乗り込んでくるなんて」

「お二人の婚約が進まないのは、わたしが父の力を使って妨害しているからだそうよ」

「何よそれ」

「トストマン子爵家御令息がそうおっしゃっているんですって」

「呆れた。トストマン子爵が御令息とそのお相手に怒って婚約を認めていないって、社交界では噂になっているのにね」


 フォークを置いたウェンディがカップを手にする。温かなミルクをたっぷり落とした紅茶は、仄かに湯気をたてていた。

 わたしは灯りを映して煌めくいちごに、カスタードクリームを乗せて口に入れる。イチゴの甘酸っぱさと滑らかなクリームが相俟あいまって美味しいとしか言いようがない。


「もう関わりたくないし、向こうもそのつもりだと思っていたけれど……面倒な事になりそうで頭が痛いわ」

「否定してあげられないのが辛いところね。何か力になれるといんだけれど」

「こうして話を聞いてくれるだけで充分よ」


 その気持ちが有り難くて笑みを溢すと、ウェンディも表情を和らげてくれた。その桃色の瞳には未だに心配するような色が宿っているけれど。


 お皿に零れたパイの欠片もクリームと一緒に掬って食べる。

 甘さの余韻を楽しみながら、お砂糖もミルクも入れなかった紅茶を飲むと口の中がさっぱりとする。そうすると……また次が食べたくなってしまうわけで。


「次はチョコレートケーキにするわ。ウェンディは?」

「私はレアチーズケーキがいいわ。今度はコーヒーにしようかしら」


 手を挙げて店員を呼び、注文をする。

 可愛らしいフリルのエプロンをした店員は、注文を受けてにこやかにテーブルを片付けていった。


 綺麗になったテーブルに頬杖をつきながら、ウェンディが首を傾げている。ミルクティー色の髪がさらりと揺れて可愛らしい。


「ねぇ……もし、浮気相手と別れるからやり直そうなんて言われたらどうするの?」

「え、無理よ。真実の愛が軽い人も無理だし、平民風情なんて嘲る人も無理だし、信頼できない人も無理だし、何て言うかとにかくすべて無理」

「そうよねぇ」

「まさかそんな話が社交界で出ているわけじゃないでしょう?」

「トストマン子爵家が言っているわけじゃないけれどね」

「……出ているのね」


 顔をしかめたわたしの眉間を、ウェンディが軽くつつく。肩を竦めたわたしは、下ろしたままの髪をうなじでひとつに纏めてから髪飾りで留めた。

 金の装飾が優美なバレッタは最近になって商会うちが取引を始めた村の特産品で、これから王都の店を中心に販売される予定だ。


「トストマン子爵家御令息は、王家の覚えもめでたいブルーム商会の信用を裏切ったのよ。その件で様々な事業は流れるだろうし、今以上に資金繰りに悩まされる事になるでしょうね。それを救えるのはやっぱりあなたしかいないもの。トストマン子爵家からしたら、何がなんでもあなたとの婚姻を再度結びたいと思っているでしょうし、そんな中で男爵家令嬢と婚約を結ぶなんてありえない……っていうのが色んな人の見立て」


 社交界に話題の提供をしたいわけではないのだが、これも仕方のない事だろう。それでもげんなりするのはどうしようもない。


 ついた溜め息はコーヒーの香りに消えていった。

 その香りに誘われるよう目を向けると、トレイを持った店員が笑みを浮かべてやってくるところだった。テーブルの上にケーキとコーヒーを並べて貰うと、わたしの目はもうケーキに釘付けになってしまう。ごゆっくりどうぞ、の声に会釈を返すと早速とばかりにフォークを取った。

 やっぱり綺麗なチョコレートケーキ。飴細工も艶々だ。


「それに……ブルーム商会と繋がりを得たい他の家が、あなたへ婚約を打診するなんて噂もあるし。しばらくは色々悩まされるかもしれないわね」


 鳥の飾りがされたフォークにレアチーズケーキを掬ったウェンディが、気の毒そうに眉を下げる。

 わたしは大きく息をつくと、フォークで飴細工をぱりぱりと壊していった。こういう気分の時は食べるに限る。


「もう貴族との縁談なんてこりごりだわ。うちの父もそれは分かってくれているから、全て断ってくれるはずよ。余りにもしつこいようなら国外に出るのもいいかもしれない」

「それは私が寂しいわ」

「わたしもよ。だから最終手段にしたいわね。あー、もうずっと一人で生きていこうかしら」


 どこで何をしても、ブルーム商会の娘という肩書きは付き回る。

 その事で豊かな暮らしが出来ていると理解する反面、煩わしいし物寂しくもあった。


 また漏れそうになる溜息と心の汚泥をチョコレートケーキで飲み込むと、美味しいはずのケーキが少しだけ苦く感じてしまう。


「私と一緒に大恋愛出来る相手を探しましょ」

「大恋愛ねぇ……」

「アインハルト様は?」

「高嶺の花よ。それに余りにも美しすぎて、芸術みたいなんだもの。素敵だしときめくけれど……って感じ」

「分かるわ。あの美貌が崩れるところなんて見たこともないし、きっと家でもあんな感じなのよ。自分も気を抜いていられないものね」


 軽い話題にささくれだっていた心が和らいでいく。

 先程よりも甘くなったチョコレートを楽しみながら、ウェンディが温かなミルクをこれでもかとカップに注ぐのを見て、また笑った。


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