第21話 出発の時

 食事を終えると荷物をまとめ、いざ出発の時。


「さあ行こうか」


 先陣を切るのは、鉄パイプを持つ夕山。ビルの合間を吹き抜ける風は、赤い髪をユラユラと揺らしている。


「本当に屍怪はいないんだろうな? もしいたら、最悪じゃん」


 周囲を見渡し、警戒を強める啓太。恐怖からか、腰が引け気味である。


「いないって言ってるでしょ! 早く行きなさいよっ!」


 対するハルノは、かなり強気。全く物怖じせず、啓太の背を押している。


「本当に……残るんですか?」


 外に出た美月は、振り返り問いかけた。


「ワシのことは気にせず、先へ行っとくれ」


 応えた老人は、『残る』という決断をしたのだ。


 出発になっても、気持ちは変わらないようだな。


 今後についての、話し合いをしたとき。老人は話に参加せず、口を噤んでいた。

 理由はビルを出ていく気が、最初からなかったからだ。


「ビルに残ったって、どうしようもないじゃん! 一緒に行ったほうが、絶対に良いって!」

「そうですよ! 助けだって、期待できませんよ!」


 啓太と美月は、懸命に説得をしていた。


「もう少し。成り行きを……見ていたいんじゃ。お主らには、帰るべき場所があるんじゃろ?」


 しかし老人の意志は固く、説得は実を結ばなかった。


「それじゃあ俺たちは、行きますね」


 進む者と、残る者。両者の線は一時交わるも、別れの時。


「お主らも、気をつけてな」


 老人は、名前や職業。身の上に関わる話を一切せず、頑固で偏屈な部分があった。

 それでもこちらの意向を汲み取り、配慮もしてくれる。悪い人間では、決してなかった。


「それでは、お元気で」


 美月が最後に別れを告げ、ビルをあとにした。

 非常口の扉は閉ざされた。今となっては、互いの無事を祈る他ない。


「何をやってるんだよ! 遅せぇじゃん!」

 

 非常階段の下で待っていた啓太は、到着の遅れに苦言を呈した。


「悪い。最後に挨拶をしていたんだ。にしても、静かだな」


 現在の時刻は、午前七時三十分。能動的に活動する時間帯となれば、社会に息づく人々の生活音。

 電車や自動車の走行音に、開店ためシャッターを開ける音。至る所で様々な音が、鳴り響いていたはずである。


「カァー! カァー!」


 しかし今。聞こえてくるのは、カラスの鳴き声くらいのもの。現在における札幌の街は、不自然なほど静寂に包まれていた。


「先へ進もう」


 臨戦態勢を維持し、先頭に出て進行。青空駐車場を過ぎ、細い通りの脇道へ。


 ここから先は、見えなかったから。レベルを上げて、警戒しねぇと。


 ビルから確認できたのは、青空駐車場まで。脇道を含む先は、未確認エリアとなっている。

 脇道に転がるは、青いゴミ箱。周囲には広告チラシに、空の弁当箱。発泡スチロールにペットボトルと、多くのゴミが散乱している。


「とりあえず、屍怪はいないみたいだな」


 屍怪の姿なく、安全と認識。そのまま北口方面へ足を向ける。


「酷えな。これ。黒焦げじゃん」


 交差点に残る車を見て、啓太は驚き呟いた。

 交差点で起きていたのは、複数の車が絡む衝突事故。どうやら炎上したようで、黒い残骸のみが残されている。


「消火活動。されなかったんでしょうね」


 燃焼レベルの酷さから、当時を推察する美月。近くに消防車がなければ、消火剤を散布した形跡もない。

 混乱する状況下で、手が回らなかったのだろう。それは市外へ向く車の列からも、事態の逼迫具合が想像できた。


「車も渋滞しているし。死角も多そうだな」


 車同士の車間距離は狭く、追突しているものまである。


「道路を進むより、広場の方が安全そうね」


 ハルノの言う通り、広場は見通しが良い。開けた場所なら、早々に屍怪を視認できる。不意に襲われないため、有効な対策と言えよう。


「だな。広場を通って向かうか」


 札幌駅北口前にある、開放的な広場へ。


「みなさん。どこへ行ったのでしょうか?」


 人の気配ない物悲しさに、美月は寂しそうに呟いた。


「車の向き的にも、市外じゃないかな。屍怪の出現で、周辺は危険だったはずだし」


 百万以上の人口を誇る、札幌市。

 通勤や通学。人々が活動し始める時間において、人の姿が全くない。なんて話は、間違いなく聞かぬ話だろう。


「そういえば会場の前に、交番があったよな。何か情報を得られるかもしれないし。ちょっと覗いて行こうぜ」


 事件や事故を扱う交番ならば、役立つ情報があっても不思議はない。となれば事のついでに、立ち寄ることにする。

 開かれたままのロッカーに、汚れた靴跡が残る交番内。机は横向きに倒され、多くの書類が散乱している。

 

「酷い荒れようだね」

「足の踏み場もありませんね」


 先行して入っていく夕山と、書類を踏まぬよう続く美月。


「全員で行く必要もないだろ。俺と啓太で外の見張りをしているよ。交番の調査は任せたぜ」

「了解」


 啓太と見張りをすることにしては、ハルノは最後尾で交番へ入っていった。


「にしても、かなりの渋滞じゃん。先頭も最後尾も、全く見えなくね?」


 渋滞の程度を確認しようと、啓太は背伸びをしている。


「車内に人はいないな。この渋滞じゃあ、全く進まないだろうから。みんな車を捨てて、走って逃げたんだろうな」


 渋滞に捕まった車を覗くも、車内に残されている人はいない。

 となれば移動手段は、二本の足のみ。走って逃げたとしか、考える他ないだろう。


「ダメね。役立ちそうな情報は、何もないわ」


 交番から出てきたハルノは、成果なく顔を横に振っている。


「残念ながら。想像以上に荒らされていて」


 次いで出てきた美月は、かなりの荒れようだったと語る。

 置かれていたパソコンは、ディスプレイが壊され破損。電話はコードが切れ、通信不能に。残された書類にも、役立つ情報はなかったようだ。


「あまり期待はしていなかったけど。僕は銃が欲しかったんだけどね」


 最後の夕山が欲しいと語るのは、警察官が持つ武器の代名詞。拳銃。

 しかしその管理は厳しく、警察官とて容易に手放しはしないだろう。夕山も言葉通り期待度が低かったためか、落ち込んでいる素振りは全くない。


「屍怪への対抗手段で、みんな武器が欲しかったはずだ。展示会の横断幕は目立つし。もしかしたら、厳しいかもしれないな」


 目立つということは、誰もが認知する機会に繋がる。

 我が物顔で、屍怪が歩く街。自己防衛のため。武器を欲するのは、必然のことであろう。


「まあでも。行ってみるしかないね」


 展示会があるビルを、見上げる夕山。揺るがぬ佇まいで、目的地を見据えていた。

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