琥珀色の天使
風詠溜歌(かざよみるぅか)
琥珀色の天使
──都会の空は明るい。
何があるわけでもない、なんでもない日でも街の明かりは星をかき消すように煌々と輝き続ける。
とりわけクリスマスなんていう他宗教の行事に適当に便乗したつまらないイベントが明日に迫っている今は、この街が一年で一番輝く時だ。
眠らない街、眠れない人々。彼らはその煌びやかな光の中で一体どんな時間を無為に散らすのだろうか。
そんな光の中の一つ、どこにでもあるハンバーガーチェーンのカウンター席、コーヒーだけを持った私の姿が窓に映る。
手入れのしていない髪、化粧っ気のない顔、虚な瞳。
見るだけで悪い溜息が出る。
眼前にある駅前の広場には暖かそうな服を着た人々が行き交う。
各々がきっと目的を持って歩いているのだろう。
待ち合わせの相手の元に笑顔で駆け寄る少女の姿が、妙に現実味のないものに見えた。
かつて私もあのような純真な少女だった。
いや、純真すぎたのかもしれない。
生まれてから一度も異性と交際をしたことがなかった。当時の私は彼と出会い、これは運命だと信じた。そして周りの反対を押し切り、駆け落ち同然で郊外にあった実家を飛び出してこの都会で彼と二人で暮らし始めたのだ。
初めて何年経ち、慣れてきた仕事もやめ、炊事洗濯、家事全般、私はできる限り彼に尽くし続けた。
彼は私が何かをすると必ず優しく甘い言葉を囁いてくれた。
彼は少し秘密が多い仕事をしていると言っていたが、その仕事が結婚詐欺紛いのものだったことに気づいたのは昨日のことだった。
今日は部屋に点検が入るからと出かけ、そのまま夜中まで彼と二人遊んで歩いた。
きっと、点検の業者というのは、彼の仲間だったのだろう。
酔っ払って目を覚ますと、彼はいなかった。
覚めない頭で記憶を辿りながら家にたどり着くと、その中には何もなかった。
唯一持っていた携帯で大家に電話をかけたが、昨日付で解約したじゃないですか、急に出て行ったくせに合鍵を持っているなんてありえない、うろつくようなら警察を呼ぶ、と相当怒っているようで全く取り付く島もなかった。
勝手に解約され、もぬけの殻になった部屋。お金の管理をしてくれると言っていた彼に甘え、預金口座も何もかも全て、彼に預けていた。信用していたから。
それから、キラキラと輝く夜の街を、私はあてもなく歩き続けた。日が昇り、少し暖かくなってきた頃、電話帳に番号が残っていた姉に電話をかけようと思い立ったが、自分が駆け落ち同然で実家を飛び出したことを思い出し、かけることができなかった。
彼が自分さえいれば他には誰もいらないだろう、というので友人たちとの縁も私は切っていた。個人的なやり取りは愚か、共有できるようなサービスさえ、私はやったことがなかったのだ。連絡の取りようがない。
ましてや、話せたところでなんて言えばいい?
男に騙されて全てを失ったから助けてほしい?
急に連絡が途絶え、自ら去っていった女だ。相手は私に騙されているような気分になるだろう。
頼れる人は誰もいない。こうして、私は周りの人間関係も、家も貯金も、全てを失ったのだった。
「……さん。お客さん、大丈夫ですか?」
コンコンと机を打つ音。
寝ぼけ眼を向けるとそこには怪訝な顔をした店員がこちらを見ていた。
「ああ……すみません」
この店の営業時間はいつまでだったか、迷惑な客が居座らないように声をかけていく店員に申し訳なさを感じながら、私は少しだけ残って冷たくなったコーヒーを飲み干して店を出た。
寒い。
北国ではないとは言え、今は冬だ。出がけで放り出されたため、コート一枚を羽織ってはいるが、夜を過ごすには寒すぎる。
これからどうしたらいいだろうか。死んだって誰も構わないだろう。
でも寒いものは寒い、ひとまず風の当たらないどこかで暖をとりたいと思って歩いていた。
こんな時間でもこの街はうるさい。
酔っ払った者も多く、人は外を出歩き喧嘩するものもいる。
人がいないところに行きたい、そう思って歩を進めると、一つ目についたものがあった。
「あれ」
こんなところに、公園なんてあったっけ。
雑居ビルの間から見える奥に、見覚えのない茂みがあった。
背の低い柵で囲まれているそれは、郊外で子供達が遊ぶような、小さな公園のそれに見える。
もしかしたら、屋根付きのベンチでもあるかもしれない。人も少ないだろう。
そう思った私は、そこに向かって歩き出した。
雑居ビルの間を抜け、その公園に一歩入った瞬間、私は不思議な感覚に襲われた。
──音が、しない。
静かだ、とても静かだ。
先ほどまでの喧騒はどこに行ったのか、振り向くと通ってきたはずの建物は跡形もなく消え、柵の外は何やら様々な色の光のようなもので覆われてよく見えなくなっていた。
なんだろうこれ、私、死んでしまったのかな……。
そう思って前を向き直す。
すると、信じられないものを見てしまった。
公園の中にある鉄棒、その上に座る人物。
鉄棒の上に座っているというだけで大分おかしいのだが、その人物にはさらに、大きく白い翼が生えていた。
「お、お、お化け……」
理解が追いつかず後ずさる私に、その人は振り向き、そして言った。
「……来たのね」
きたのね?来たのね……どういうこと?この人は、私が来ることを知っていた……?
「全く、お化けだなんて失礼ね。昔あった天使のこと、忘れるなんてあるかしら? 斎藤楓ちゃん」
私の名前を知っている。この人は、いや、この子は……。
「リエル……」
「あら、覚えてるじゃない。流石に忘れないか。久しぶり、カエデ」
そう言って微笑んだ彼女は、文字通り天使のような姿形をしていた。
肩につかないくらいで切りそろえた濃い金色の髪、吸い込まれそうなほどに美しい琥珀色の瞳、それと同じ色の宝玉をあしらった純白の衣、そしてその大きく白い翼と、冠のように頭に浮いた金色の輪が、彼女を天使たらしめていたのだった。
彼女は私を知っていた。
それと同時に、私も彼女を知っていた。
幼い頃の話だ。まだ私が幼かった頃、遠い故郷の公園で彼女と私は出会った。
その日学校が終わって友達と遊んでいた私は、その後も遊び足りずに一人で鉄棒で逆上がりだなんだとやって遊んでいた。
みんながまばらに帰宅する中、最後まで付き合ってくれていた姉も本を読みたいと言って帰って行ったのだ。
体を動かすのは好きだ。汗を掻くとすっきりする。お姉ちゃんは本ばっかり読んで、何が面白いのだろうか。何を読んでるのか知らないけど、あんなにずっと部屋から出てこなかったら、きっといつか机にお尻がひっついて離れなくなっちゃうな。
そんなくだらないことを考えながら遊んでいると、急に視界が逆さまになった。
バランスを崩したのだ。
尻餅を着かないように慎重に降りるともう日が沈み始めていて、公園は赤みがかったオレンジ色に染められていた。
そんな中、耳慣れない音が聞こえた。
シクシクと泣くような声。
声の方へ行くと、濃い金髪の女の子がしゃがんでいた。
「大丈夫?」
声をかけた瞬間にようやく気づいた。
彼女の頭には金色の輪っかが浮き、背中には大きな白い翼が生えていた。
しかし、その片方は傷つき、血が出ているようだった。
「……あなた、あたしが見えるの?」
不思議な質問だった。
見えているから、声をかけているのだ。
この子は自分のことをお化けだなんていうのだろうか。
「見えてるよ。私は楓。あなたはだあれ?」
「人間の子どもの中には見える人もいるんだっけ……。あたしはリエル。天使のリエルよ」
「天使……」
聴き慣れないその響きを反復する。絵本の中でしか聞いたことのないその言葉が、何か現実でないもののように感じた。
「そうよね、天使なんて信じられな……」
「本当だ! あなた天使みたいに可愛いもん! 天使だよ! この翼はなに? 作り物? 輪っかは? どうしてるの?」
そう言って手をとった私に、リエルと名乗った彼女は困惑しているようだった。
「変な子……全部本物よ。あたしは本当の天使。まぁ、かわいいのは間違ってないけどね」
彼女は得意げにふふんと笑う。
そうして立ち上がろうとした彼女がふらついて、私は咄嗟に手を出して支えた。
それの邪魔にならないように、彼女の翼が広がったが、血が出ている方の翼は自由に動かすことはできないようで、だらりと垂れ下がったままだった。
「ありがとう。あなた、優しいのね」
そういってリエルが笑った。本当に、天使のような微笑みだ。
「怪我してるんだよね、それなら治療しなきゃ!」
歩き出した私に、慌ててリエルが口を挟む。
「ち、治療って、天使よ? どうするつもりなの?」
「と、言われても……。触れるんだし、なんとかなるでしょ!」
驚いている彼女に、私は笑って返した。
自宅まで連れて帰れば、誰かに助けてもらえるだろう。そんな考えだったのだ。
家に着くと、カレーのいい匂いがしていた。
「やった! リエル、今日はカレーだよ!」
私がそう話しかけると彼女はカレー? と首を傾げる。
「楓、帰ったの? 誰かお友達?」
そう言って顔を覗かせた母は少し訝しげな表情でこちらを見た。
「あれ? 誰かと話してた気がしたんだけど、気のせいか。おかえり。ちゃんと手を洗ってね」
「え?」
私の疑問を問いかける間も無いまま、母は台所へと引っ込んでしまった。
どういうことだろう。
私は、お母さんに怪我をした子がいると伝えようと廊下を歩き台所を覗こうとする。と、リエルに肩を掴まれ、フルフルと首を振られた。
「普通の人間にはあたしたちの姿は見えないの」
そう言ったリエルの表情が少し悲しい顔をしていた。
私は母に言われた通り洗面所に行き手洗いをしていた。
リエルは興味深そうに水が流れてるのを見て、たまに触ったりして驚いている。
天使というより、人間サイズの猫みたいだ。
うがい薬をコップに入れて水で薄め、口でぶくぶくと洗浄すると、彼女は手を叩いて笑っていた。
泡立ってしまった液を吐き出し、私は猫のような天使に声をかける。
「人間の世界、きたことないの?」
きょとんとした顔の天使。彼女は表情がコロコロと変わる。
「来たことある天使なんて、あんまりいないわ」
「なんで? こっちの世界だといろんなところで天使を見たって話があるのに、そっちには人間たちの話は伝わってないの?」
「それは……」
リエルは何を考えているのか、口ごもる。
「ううん、なんでもないわ。あたしは来たことがないから、色んなことが初めてでたのしいの。ほら、そのぶくぶく」
コップを指差して彼女がにっこりと笑う。
「うがい薬なんかではしゃがないでよ。早く私の部屋に行こ」
面白いのに、といいながら今度は歯磨き粉のチューブを開けようとしていた彼女を半ば引っ張るように二階の自室に連れてきた私は、深いため息をついた。
「どうしてつかれているの?」
「リエルのせい」
そういうと彼女は口に手を当てて首を傾げる。
私は、もう一度大きなため息をついた。
その後リエルに自室で待っていてと言った私は、母に公園で足をすりむいてしまったと伝えて、救急箱を借りてきた。
母にリエルが見えないのなら、自分でなんとかしなければならない。
「……とは言っても、どうすれば」
彼女の翼はとっても大きかった。
真っ白くてふわふわな翼。
よく見てみると、血は出ているがもう乾いていて、傷自体はそんなに深いわけでもないようだった。
でも、なんで動かせないんだろう。
「リエル、翼は、痛いの?」
「痛いわ。いつものように飛んでたら、急に落っこちたの。助けてって言ったけど、誰も聞いてなかったみたい。だから悲しくて、一人で泣いてたの」
公園で泣いていた彼女を思い出す。
「それで私に会ったってわけか」
うーん、と唸る私にリエルが鈴のような声で話しかける。
「きっとバチが当たったのよ。だから、治らなくたっていいの」
「バチ? 何か悪いことでもしたの?」
そういうと彼女は目を伏せる。聞いちゃいけないことだったんだろうか。
私が困っていると、彼女がこちらを見た。
うっとりしてしまうほど美しい瞳。まるで宝石のようだ。
そして、再び彼女が口を開いた。
「神様を、疑ってしまったの」
リエルの傷を治療すると言ったものの何をしていいかわからなかった私は隣の部屋で本を読んでいた姉に聞きに行った。
足をすりむいたというと傷を覆う前にまずは風呂場で洗うと言われ、手当てしようか? と聞かれたが断ると姉は不思議そうな顔をしていた。
自分でやりたいなどと適当にごまかして逃げ戻った私は、お風呂場でお湯を作っていた。
リエルは体を洗うスポンジやシャワーヘッドなどを興味深そうに眺め、時には触って遊んでいた。
神様を疑う、それが天使たちにとってどういうことを意味するのか、私にはわからなかった。
でもきっと、バチが当たるというのだから良くないことなのだろう。
でも、怪我をさせるほどのことなのだろうか、少しひどいんじゃないかなぁ。
そんなことを考えながらお湯がいい温度になったと思ってリエルの方を見ると、リエルが母のとっておきの洗顔料に手を出そうとしているところだった。
「それはだめ!」
おもちゃを取られた子供のような素っ頓狂な顔で私を見つめる天使に、思わず吹き出してしまった。
「な、なんで笑うの?」
「ごめんごめん、面白かったから。これは私がお母さんに怒られちゃうから触っちゃだめ。ね?」
不思議そうにしながらも了承の返事をした彼女の怪我をした翼に、血を流すからと私はお湯をかけた。
「っ……!」
やはり痛いらしい。彼女の端正な顔が少し歪む。
「ごめんね、ちょっと滲みるかも」
そう言ってスポンジで作った泡を揉み込み始めると、案の定痛い〜と彼女が喚く。
「我慢して……あれ、これなんだろ」
手に当たった何かを引き抜くと、彼女が驚いて両方の翼をはためかせ、私は尻餅をついた。その勢いで抜けた羽が風呂場中に舞う。
「お風呂場で何してるの⁉︎」
母の怒声だ。私は慌ててなんでもない! と叫び返す。
当の私はびしょ濡れどころか、泡と羽塗れである。
引き抜いたのはガラスのように透明な尖った緑色の石だった。
「痛いじゃない……あれ?」
彼女が怪我をした方の翼を見ながら閉じたり開いたりを繰り返す。その度に並んでいた容器がガチャガチャと音を立てて落ちていった。
「動かせる!」
そう言って喜んだ彼女に、私はまた大きなため息をついた。
母の2回目の怒声が聞こえてくる前に風呂場から退散した私たちは、再び自室へと戻ってきていた。
きっとこのガラスのようなものが動かすたびに当たって痛かったのだろう。
すっかり元気と言ったような彼女に、私は笑った。
「一応、塞いでおこうか」
と言って私は先ほどの傷口を探したが、どこを探しても見当たらない。
逆の翼だった? ともう片方も見せてもらったが同様で、そこには美しい翼が一対、存在しているだけだった。
くすくすと笑うリエルに、私は少しムッとして何がおかしいのと返す。
「だって、もう治っちゃったんだもの」
治った?
「血出てたよね?」
「うん」
「痛かったんだよね?」
「うん」
「治った?」
「うん」
「どういうこっちゃ」
混乱する私に、彼女はまたくすくすと笑う。
「本当はね。天使は怪我なんてすぐに治るの。でも全然治らないからあたし、バチが当たって、もう天界に戻れないんだと思ってた。でも、カエデが怪我の原因を取り除いてくれたから、治ったの。これで、飛べる。天界にだって戻れるわ」
「ってことは……もう大丈夫なんだ! よかった!」
喜んだ私に天使はもう一度、微笑んだ。
「……で、どうしてまだ私の部屋にいるんだっけ?」
「……遊びたいから?」
そんな返答をした文字通りの天使、リエルはもう5日も私の部屋に居座っていた。
相変わらず母にはリエルの姿は見えないようで、彼女が居着いてから部屋に篭るようになった私が隠れて猫でも飼っているんじゃないかと疑っているようだった。
一度姉が私に用があってドアを開いた時一瞬固まっていたが、彼女は特に何を言うわけでもなく用事を済ませて戻っていった。
当の天使はというと、私のベッドの上で果物の形をしたクッションを凹ませたりして遊んでいる。
──変なの。
こんな生活がいつまで続くのだろうか。
リエルは昼間中好き勝手に遊んでいるようで、たまに学校付近で見かけたりもするが、勉強についてはあまり興味がないようだった。
夕方私が家に帰ってくるとどこからともなく帰ってきて、今日は八本も足を持った生き物の周りにある綺麗な糸に水がついててキラキラしていたとか、にゃあと鳴く生き物に追いかけられたとか、大きい鉄の塊がゴロゴロ回る黒くて太い輪っかに乗って動くのを見たなどと教えてくれる。
私が天使が語るこの世界の当たり前について、聞くのがとても好きだった。
「そろそろかなぁ」
不意に、リエルがこっちを向いて鈴のような声を鳴らした。
「そろそろって、なにが?」
宿題の手を止めてそちらを向いた私に、天使が羽ばたき、宙を舞って近づく。
「あたし、天界に帰るわ」
にっこり笑った彼女の笑顔を見ながら、私は何を言われたのか認識ができていなかった。
「かえる?」
「うん、帰る。人間界とはさよなら。もちろんあなたと……」
「そ、そんなの嫌!」
何も考えずに発した言葉だった。
彼女の驚いて丸くなった瞳が私を見つめる。
「そんなの、嫌だよ……せっかく、仲良くなれたのに。私、まだリエルと一緒にいたい。リエルが見たこの世界のお話を聞いていたい」
「カエデ……」
頭が熱い。目を伏せたら、溢れてしまいそうな程の涙が出てきた。私は……。
「あたしも、カエデのことが大好きよ」
鈴のような声は、私のすぐ耳元で鳴っていた。
彼女の美しい金髪が私の頬を撫でる。
──天使の抱擁。
彼女の大きな翼が、私を包み込む。
顔を上げると彼女がとても悲しそうな顔で私を見つめていた。
「行かなければいけないの。地上に落ちた天使はね、七日間で死んでしまう。だから、あたしは天界に戻らないといけない」
「そんな……。だから、人間達のこと、何も知らなかったの……?」
「そう。ふふ、もしかしたら私が人間に助けられて戻ってきた最初の天使になれるかも。……ありがとうカエデ。あなたが助けてくれたから私はまた飛べるようになった。地上で孤独に命を落とすこともせず、天界に戻ることができるのよ」
「リエル……寂しいよ……」
「寂しくない。天使はいつだって、あなた達人間のそばにいるから。それにね、カエデ、あたしは必ずまた戻ってくるわ」
「……ほんと?」
「ええ。いつかあなたがつらいめにあったとき、かならずあたしがあいにくるから。だからそれまで少しだけ、待っていて」
約束のような言葉を綴って、天使が笑った。
私はこの笑顔がもう見られないような気がして、離れていく彼女に手を伸ばす。
天使が羽ばたいた。
純白の羽が舞い散り、窓に駆け寄った私に声が聞こえた。
「……またね」
そうして、私と天使の短い生活は、幕を閉じたのだ。
そういえばこの公園、リエルと出会った公園に似ている……というより、同じ?
リエルが座っていた鉄棒、ジャングルジムに滑り台、ブランコ、子供が怪我をすると言われて今はどこに行っても置いていないはずの回転する遊具。
いつしかそこはあの日、天使に出会ったあの時の姿になっていた。
西日が全てを彼女の瞳と同じ琥珀色に染めていく。
「そう、あの日、あたしは貴女に助けてもらったの」
笑った彼女の表情が最後に別れたあの時と全く同じだった。
「天使って、歳を取らないんだ……」
「え? 再会したのにその反応? 相変わらずね……」
そう言って呆れる天使に私は笑った。
前に心から笑ったのはいつだろうか、覚えていないな。
不意に、懐かしい感覚が私を包んだ。
柔らかい羽の感触。
「あいにきたよ。たいへんだったね」
「リエル……私……」
急に熱くなる体を追いかけるように、涙がボロボロとこぼれ落ちる。
「ずっと見てた。遅くなってごめんね」
「どうして……どこで間違ったのかな……」
前を見ると少し遠くを見ているような彼女と目が合った。
「どこで道を違えたのかは問題ではないわ。大事なのはこれから。人間は天使と違って、一度間違えたから潰える命ではない。そこが人間のいいところ」
「でも、もうどうすることもできないよ。私、誰のことも頼れない……」
そのとき、私は自分の額に小さな温もりを感じた。
──天使の口付け。
「大丈夫、あなたには助けてくれる人がいる。あなたを大切におもってくれている人がいる」
「リエル……」
「あたしはもう行くね。大事な役目があるの。カエデ、あなたと会えて本当によかった。ありがとう、幸せになってね」
天使の大きな羽ばたきが、待ってという私の声をかき消す。
舞い散る羽に目が眩んで再び前を見ると、そこは雑居ビルを通り抜けた先にある店の前だった。
不意に、携帯の着信音が鳴り響く。
画面に映る斎藤結衣菜の文字。姉だ。どうして……。
「……お姉ちゃん?」
「……楓? よかった、繋がって! なんだか急に楓のこと思い出して、電話しなきゃって……。最近どう? ちゃんと食べてる? あの人は……」
「お姉ちゃん、私、あの時はごめん……」
きっとリエルが知らせてくれたのだろう。
懐かしい姉の声に私は崩れ落ちた。
その後、実家から車で迎えに来てくれた姉と父に謝りながら、私はこれまでのことを全て話した。
たいへんだったね。と天使と同じ言葉を綴る姉に、私は子供のようにすがりついて泣いた。
私のこの状況が何か変わったわけではない。でも、リエルが言ったとおり、私には私を助けてくれて、大切におもってくれる人がいる。
きっと大丈夫だろう。そう信じて、これからの長い長い人生を全うしようと思う。
「……きっとリエルも見ていてくれるよね」
もちろん、と笑う天使の声が聞こえたような気がして、私は微笑んだ。
郊外へと向かう車、クリスマスの日の空。寒い冬の夜の星をかき消すように、真っ白な雪がチラチラと舞い始めていた。
琥珀色の天使 風詠溜歌(かざよみるぅか) @ryuka_k_rii
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