牛乳を買いに
しゅう
第1話 牛乳を買いに
その日、これといって予定のなかった純三は、風呂にでも行くかと思い、その事を連れ合いの一恵に告げると、
「出かけるなら牛乳を買ってきてよ。お願いね。あっ、今日は天気が悪くて放射能の雨が降るかもだから身支度もしっかりして行ってよ」
あいよ、純三はそういうと放射能を遮る宇宙服みたいなのを着て、スクーターにまたがった。
スクーターは数センチ浮上し空中で静止、ハンドルの脇から細いコードが出てきて、純三の耳の裏側に延びる。彼はそれを体内に埋め込んである差し込みに軽く差し込んだ。
――本日は21××年、○月△日、天候予想は曇り、気温は35度以上。照明は人工太陽が稼働しているため、外出には差し支えないでしょう。放射能レベルは9――
抑揚のない音声が耳に伝わり、
――今朝のニュースです。人口減少に伴い性交の際、避妊をすることが禁止されました。また男性の自慰行為が発覚した場合は、1年以下の懲役または10万以下の罰金になります。
ついに我が国の経済が破綻し、国債が暴落、ハイパーインフレがスタートしましたーー
まだニュースは続いているが、純三はそれから意識をそらし、スクーターのメインスイッチを押す。
スクーターからシートベルトが出てきて純三の腰を固定した。
音もなく数メートルの高さまで上昇し、発進します、と乾いた音声が耳に感じられると、スクーターはある程度の速度で飛び始めた。
昔は二つ車輪の着いたバイクという物や、四つ車輪が着いたクルマという物を、自分で運転したそうだけど、人が死ぬような事故が起きてもバイクやクルマを使い続けたと言うんだから、昔の人は何を考えているだかと、純三は改めて感じる。今はスクーターに手を添えていれば、自動で目的地まで行ってくれるから、楽なもんだ。
空は鉛色によどんでいる。これはかつて化石エネルギーを大量に消費した影響で、地球の気候が変化し、天然の太陽が見えることはまれになって仕舞った。そのため人工太陽を作り、代役をしている。
純三が風呂屋に到着してみると、臨時休業とのことだった。その原因として、使用している水源に規定以上の放射能が出たため、しばらくの間、休業すると書いてあった。
放射能というのは、昔、原子力発電所が地震に遭い、崩壊した事があると学校で習った記憶がある。そういうことが3度程繰り返されたが、その度に原発をなくそうという世論は起きたものの、エネルギーが必要なんだからという理由で、原発は稼働し続けている。
核のゴミは確実に増え続け、最終処分場は未定のままだ。原発は利用したいが、ゴミはゴメンというのは、なんとも虫のいい話だと思うが、自分の所にゴミが持ち込まれないと、いまいち純三にはピンと来ない話だ。
さて、風呂はダメだからどうしよう、――彼は隣の奥さんコース、を楽しもうと、それなりのお金を考えていたのだが、現金を支払うわけではないしカードの使用可能額内なら良いんじゃないかと思っている。範囲を超えたら、カードが停止になる、ダメになった時には、そうなってから考えれば良い。さっきのニュースでインフレが始まったとか言っていたし、近頃物の値段が急激に上がってきた。この国はこの先どうなっていくんだか。純三ひとりが何したって状況が変わるわけではないのだ。
とりあえず牛乳を買わないといけない、そう思った純三は、スクーターを飛ばして行きつけのドラッグストアーに向かうと、店の前には人だかりが出来ている。
ドアが閉まっていて、客たちは、とにかく開けてくれとか、幾らでも良いから買いたいんだ、とかいっているのが聞こえた。
やがてガラスドアを叩く者まで出てきて、慌てた店の人が出てきて、乱暴は止めて下さい、警察呼びますよ、と言い、いま急激にお金の価値が下がって、商品の値段が決まらないんです、いくらにするか本部の指示待ちなんです、と険しい顔つきで説明した。
そういえばニュースで経済が破綻したとか、言っていたわねえ、と中年おばちゃんが誰にともなく言う。
「とにかく店に入れてくれよ。赤ん坊が腹すかせて粉ミルクを待っているんだ」若い男が店員に詰め寄る。
そう言われてもーー、店員は弱っているようだが言葉が続かない。
しばらくしてもう一人、恰幅のいいオッサンが出てきて、メガホンを構えて――いまから開店をします、ただし値段はその商品に付いている値札とは違います。これは急激なインフレのせいで、お金の価値が安定しないためです。実際の売価はレジにてお知らせします。これに納得して頂ける方のみ、入店して下さいーーと音量を大きくして告げた。
店の前に列んでいた人の殆どが入店した。純三は牛乳売り場に向かい、日付の新しそうなのを物色したが、一番新しいので賞味期限が明日までのしかない。これを買っていったら家人に何て言われるだろうと考えたが、面倒臭くなりひとつ手に取るとレジに向かった。
レジは2台あったがどちらも長い列が出来ていて、客と店員が難しい顔をして話込んでいる。やっと純三の順番が回ってきて、牛乳を差し出すと、値段を確認した若い女の店員が、
「67〇〇頂きます」
「ちょっと何かの間違いじゃないの。牛乳1本だぜ」
「はい。店長が先ほど申し上げましたとおり、急激なインフレで、値段が急変してるので、ご納得頂けるお客様のみ、購入頂いております」と、店員は、ちょっと困ったような顔つきだ。
「しょうがないか」と言いつつ、純三はクレジットカードを取り出すと、一括でお願い、小声で言い女店員にカードを手渡した。
彼女がカードを機械に通すと、ピッと異音が鳴り、申し訳なさそうな顔つきをしながら、
「申し訳ございません。このカードはお取り扱い出来ません」とカードを純三に差し出す。
「えっ、昨日までこれで何でも買えたんだぜ。変だなあ」
「もしかするとお金の価値の急激な変動で、カード会社が業務を正常に行えないのかもしれません」
「弱ったぞ」
「現金でお支払いをお願いします」
「俺は今、現金なんかそんなに持ってないぞ」
「――じゃ、すみませんが今回はお買いあげ頂けないということで」と、女店員が牛乳パックを手に持ち、こちらで棚に戻しておきます、そう言って牛乳パックをレジの下に置いた。
純三は、気の抜けた感じでドラッグストアーから出ると、スクーターでコンビニに飛んだ。そこで下ろせるだけ現金を下ろしてしまおうと考えたのだ。
コンビニには数人の客がいて、こちらでも店員となんだかもめている様子だ。純三はその固まりをすり抜け、機械の前に立った。けれどその操作画面には、申し訳ございませんが、現在お取り扱いを中止させて頂いております、と書かれていて、頭を幾度となくペコペコしている人のイラストがある。
「この機械、今は使えないんですか」純三が店員に問いかけると、
「申し訳ありません。本社のコンピューターが故障しているらしく作動しません」
「いつ頃直るんですかね」
「さあ、分かりません」店員は軽く頭を下げた。
純三は飲料コーナーに行ってみると、ジュースと列んで数本の牛乳パックが置いてあった。そしてその側には、全ての商品は現金のみでお買いあげ頂いております。と但し書きが添えられている。
純三はその場から離れると、銀行に行って見ようと思った。
コンビニの表に出ると、20代後半の小太りの女が同じ位のやせ形男に向かって、
「アタシじゃ不満だっていうの、エッ」ちょっときつめの言い方だ。
「そんな事は言っていません」
「じゃ何よ、女のアタシが良いって言っているんだから、すればいいじゃん」
「今日はちょっと体調が優れないんで、すみません」
「もしかして自分で出しちゃたんじゃないでしょうねえ。それ今捕まるんだよ」
「出してはいません。ただそんな気分じゃないんです」
「あっそ、バーカ。アタシはねえ、妊娠して国から補助金貰って、それで食いつなぎたいんだよ」そう言うと、女はその場から去った。
数年前から少子化対策として、子供を産む女性に対して国からかなりの補助金が出るようになった。その金目当てに妊娠したり子育てする人がいるらしいけど、問題がないとは言えないらしい。純三は、あの剣幕で女に迫られたら、立つもんも立たないだろうな、と思った。
純三は、スクーターにまたがると、銀行に向かった。とにかく現金を手にしたいと思った。
銀行でも多くの人がたむろしていて、行員らしき男が、ただ今機械の調整中につき、窓口のみのお取り扱いにさせて頂いております。なお、引き下ろし最高額は一万までとさせて頂いております、とハンディマイクで叫ぶように話している。
「年金下ろしに来たけど、これじゃあねえ」白髪のおじさんが、ぼそりと言った。
「ホント、孫にお菓子買ってやったら終わりよねえ」厚化粧の女性が苦笑いを浮かべる。
二人は夫婦とか知人ではないらしく、それからは言葉を交わそうとはしなかった。
長いこと待たされてやっと純三の順番になり、銀行のカードを渡し窓口で1万下ろすことが出来た。ヤレヤレと思いつつも、牛乳だよ牛乳、と頭の中でつぶやく。
スクーターでドラッグストアに戻ると、純三は飲料売り場に急いだ。しかしもう牛乳は置いてなかった。
店の表に出てみると、駐車場に数人の人だかりが出来ていて、その奥にシートを敷いて食品や雑貨を並べて、商売をしているらしいきオッサンがいる。
「この綿棒、いくらなの」中年の女性が聞く。
「1個、1万だよ」
「嘘でしょ、高すぎるわよ」
「嫌なら買わなきゃ良い。この値段でも買いたい人はいくらでいるんだから」
オッサンの強い口調に、その場の人たちは口をつぐんで、じっと商品を見ている。牛乳を見つけたので純三は、一応値段だけでも聞いてみようと思い、
「その牛乳はいくらなんですか」と聞いてみた。
「2万だよ」
それを聞いた純三は、何も言わずにその場から歩き出した。
「ここにいる奴は、みな貧乏人ばかりだな。いつまでもここにいて店の人にイチャモン付けられても面白くないから、他へ移るよ。さあ店じまい。どいてくれ」オッサンの声が聞こえた。
「ちょっと待って、綿棒下さい」さっき綿棒の値段を聞いた女性らしき声だ。だが純三はその声の主を確かめようと、振り返りはしなかった。、
彼は、アテもなくスクーターに乗って、ブラブラ飛んでいると、煙が上っているのが目に付いた。そこを目指して飛んで行くと、おじさんが一人でたき火をしている。何か印刷してある。近づいて見ると以前流通していた紙幣だ。
「それお金ですよね」純三がスクーターを脇に止めて話しかける。
「えっ、ええ」おじさんはこの時初めて純三に気が付いたような声を上げた。
「お金を燃やすなんて、法律違反じゃないんですか」
「そうかもねえ」
「第一、もったいない」
「そうなんだけど、ホラ、急に金の価値が下がったでしょ。それで慌てて銀行に行って、今のお金に換えて貰おうとしたら、1日1万しか代えて貰うないんだって。こんなにあるんでアホらしくなってしまった」
「幾らくらいあるんですか」
「さあねえ、銀行に預けるのが嫌で床の下に貯めておいたら、こうなっちゃった。さあ焼けたかな」
おじさんは、棒で灰をかき回して何かを取り出す。
「どうだろう。アチッ」おじさんはそれを手に持つと、皮をむき始めた。芋のような感じだ。
「どう食べてみる」
半分にしたそれを僕に渡して、残りを自分で食べ始めた。
「あのぅ、これどこの農園で採れたんですか」
「すぐそこの荒れ地だよ」
「荒れ地ってーー。管理された農園の野菜じゃないのに食べるんですか」
数十年前から、放射能やいろいろが原因で、自然に生えている植物や露地栽培の野菜を食べることは、禁止されている。口に入れるのもは全て、人工的に管理された施設で、栽培された植物や動物に限られているのだ。
「まあいいじゃないの。美味しいよ」芋を口に入れて噛み始める。
「自然に生えている物食べて大丈夫ですか」
「五月蠅いなあ。嫌なら食わなきゃ良い。返してよ」
おじさんは純三に手を伸ばした。純三はそれを避け、芋の皮をむいた。
「いえ、せっかくなんでちょっと頂きます」
「そうかい、じゃあ食えよ」
「頂きます」芋はホクホクしていて、美味いとまでは言えないが、食えない味ではなかった。
「今さ、世の中がどうかなっちゃったのか、スクーターでワザと人混みに突っ込んで人を轢いたり、刃物で知らない人を刺して、うっぷん晴らししている奴がいるじゃん」
「そうですねえ」
「そうなっちゃいけないよね。そんな理由で人を殺めるなら、俺なんか両手で数えるくらい犯罪を犯しているかも」
「僕だって同じですよ。ただ行動に移さないだけ」
「今の自分の不幸を、世の中のせいにしても、何も始まらない。―ー流れに任せて漂っていくさ」
「そうですねえ」
――先ほど、北の国から素晴らしい贈り物と称される物体が発射されました。それが何かは現在調査中です。あと数分後には到着するものと思われます。皆さん、心して向かい入れましょう。新たな時代に突入ですーー
この時不意に、どこからか野外広報のスピーカー がこう告げる。
「何だ今の」おじさんは純三を見る。さあ、と純三はおじさんを見返す。
「何が何だか分からない世の中で、確かなのは俺たちは、川の流れに浮かんでいる木の葉のようなものさ、自分でどうにか出来る事なんて限られている。そこをどう流されて死んでいくのが問題なんだなーー」
純三は、おじさんの話が辛気臭くなってきたので、
「ちょっと用事を思い出したんで、失礼します」と言い、スクーターにまたがった。
――あと数秒後に、北の国からの「贈り物」が到着します。海岸付近の原発所が着地地点との情報があります。心して受け入れましょうーー 野外広報スピーカーが流れる。
純三は、用事って何だっけ、そうだ牛乳だ牛乳。
そう独りごちて、一口食べただけの芋を捨てスク
ーターで飛び続け、すぐに大きな爆音がし閃光が
走り、彼は消えた。
牛乳を買いに しゅう @paosyuuu
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