Ⅰ 睡眠薬

「――…ん?」


 12月24日、クリスマス・イヴ。マッチングアプリで知り合った男との夜のデート……。


 暖色系の薄暗い照明で照らされる、お洒落なラウンジでシャンパンを一口飲んだあたしは、その味の異変にすぐ気がついた。


 案の定、あたしがトイレに立っている隙に、今、目の前にいる彼が睡眠薬を入れたのだろう。


 この後、意識の朦朧としたあたしをタクシーか何かに乗せて連れ去り、抵抗できないところを犯そうという腹積もりなのだろう。


「どうしたの? シャンパンは口に合わなかった?」


 眉根を寄せて手を止めたあたしを見て、どっかのボンボンらしいチャラい某有名大学の学生である彼は、素知らぬ顔をしてそう尋ねてくる。


「ううん。なんでもない……」


 だが、あたしは彼を責めることはせず、首を横に振って見せるとグラスをテーブルに置き、ぎゅっと下唇を噛みながら伏せた視線を膝の上に落とした。


「………………」


 堪え難い心の騒めきに、膝の上で握りしめた拳がわなわなと思わず小刻みに震える。


 ……だが、それは怒りでも、ましてや悲しみの感情などではけしてない……これはそれと正反対の、歓喜や愉悦と呼べるようなものである。


「……ク……ク、ク……」


 あたしは、バレないように俯きながら、必死に込み上げてくる笑いを堪えていたのだ。


 ……やった! ビンゴだ! 思った通りクズ男だった! これで思う存分、このクソをあたしのおもちゃにできる!


 無意識に笑みが零れないよう、口周りの筋肉を限界まで引き締めながら、まるでサンタさんからプレゼントをもらった子供であるかのように、あたしは心の中で悦楽の叫び声をあげる。


 だが、ここでうっかりボロを出して不審がられでもしたら、せっかくマッチングアプリに登録してまでカモを探したというのに、その苦労と時間が水の泡である。


「え? なに? なんか様子が変だよ?」


「……え? そ、そんなことないよ……ゴクン……あれ? あたし、なんだか眠くなってきちゃったぁ……」


 肩をプルプルと震わすあたしを見て、怪訝そうな顔をする彼に慌てて手をひらひらと振ってなんとか誤魔化すと、あたしは残ったシャンパンを一気に飲み干し、ハリウッド女優ばりの名演技で睡眠薬が効いてきたフリをしてみせた。


 だが、すぐに効いても怪しまれるので、さらに二、三杯飲んでから、酩酊したかのようにテーブルへと突っ伏す。


「フン……おやあ? 酔っ払っちゃったのかなあ? 仕方ないなあ〜それじゃあ送ってくよお〜」


 すると、対面に座るチャラ男は店員や周囲の客達に不審がられないよう、わざとらしく大声をあげてからあたしを抱き起こして席を立つ。


「大丈夫~? だから飲み過ぎるなって言っただろお~?」


 そして、脱力してうなだれてるあたしを抱きかかえ、何食わぬ顔で店を出るとタクシーで彼のマンションへと向かった――。




 そこは最近人気の高まった街にあるタワーマンションで、彼の部屋も一人暮らしには広すぎる大きさだった。


 きっと親の金で借りてるんだろう。医者か何かだろうか?


 他人ひとの目につかない高層階で、防音効果の高い壁に囲まれた個室……いわゆる〝ヤリ部屋〟ってやつだ。いったい何人の無防備な女性が、今までここで彼の餌食となったのだろう……。


 ま、あたしとしても、ここなら誰にも見られないし好都合なんだけどね。


「――へへへ、チョロい女だぜ。イヴに豪華なディナーと誘ったら、見ず知らずの男にもホイホイついてくるんだからな」


 もうそろそろ大丈夫かな? と薄めを開けて観察していると、チャラ男はニヤケた笑みを浮かべながら、早くもシャツを脱ぎ捨てて上半身裸になっている。


「…ふぅ……ほんとチョロいわね。男を見た目と経済力だけでしか判断しないバカな女子大生を演じただけで、こうも簡単に信じ込むなんてね」


 最早、睡眠薬で意識が朦朧としている演技も必要ないだろう。彼の言葉を借りてそう言い返すと、寝かされたらベッドからあたしは起き上がった。


「な…!? なんで……薬効いてんじゃねえのかよ!?」


 普通にすくっと立ち上がれるあたしを見て、ひどく驚いたチャラ男はハトが豆鉄砲を食らったような顔をしている。


「バカね。あたしのような存在・・にそんなもの効くはずないじゃない」


「……ま、まあいい。ここまでくればもう逃げられねえからな。それに、そんなセクシーなサンタコスして、おまえもそのつもりで今日は来たんだろう?」


 あたしの返事も聞こえていない様子で、ひどく動揺しているチャラ男はなんとか自身の優位性を保とうとしながら、このミニスカ・ブラック・サンタコスのことを指摘してくる。


「ああこれ? 別にあなたのためじゃないわよ。通年これ着てるあたしの正装・・だから」


「正装?」


「クリスマスに悪い子のとこへ来るブラック・サンタって知ってる? あたしはその姪のブラック・サンタガール……略してB.S.Gね。だから、今夜はあなたのところへプレゼントを届けに来たの」


 自意識過剰にも、とんだ勘違いをしている彼にあたしは誤解を解きがてら、今、ここにいる理由についても説明してあげる。


「なんだ? よくわからねえけど、そういうシチュエーションのプレイか? プレゼントってのはつまり……へへへ、おまえのその体ってことだな?」


「違うわよ。どうやらあなた、〝薬に頼っていいこと・・・・する〟のがお好きなようだから。さっき、あたしもあなたの飲み物に一服もらせてもらったの。いやあ、あなたがクズでほんとよかったあ〜! もし真面目な人だったらどうしようかと心配しちゃった。あたし、悪いメンズにしかお仕置きできない決まりなのよね」


 それでもなお、自分に都合のいいように言葉をとるアホウな勘違い野郎に、あたしはさらに詳しく、今置かれている状況について具体的に教えてあげた。


「薬? ……なに言ってんだよ? んなもん、へんへんひいへ……あへ……?」


 怪訝な顔をして聞き返すチャラ男であるが、その内にも効果が現れ始め、呂律が回らなくなった彼は体の自由も利かなくなり、丸太ん棒の如くばたりとフローリングの上へ倒れ伏してしまう。


「安心して。命に別状はないから。いつも犯す側じゃ飽きるでしょう? だから、今夜は犯される側・・・・・も初体験してもらおうと思って。まさに最適なお客さまも呼んでおいたわ……ああ、あたし。今開けるから、どうぞ遠慮なくいらして♪」


 だらしなく床に横たわり、開いた目だけであたしを見上げている哀れな彼に、そう告げると入口脇のモニターの所まで行って、タワマン玄関のロックを解除するとともに招待客達を招き入れる。


 ここへタクシーで移動する間に、こっそりスマホのGPSで場所を伝えておいたのだ。


「ヘイ! サンタガール! 回していいバージンの子・・・・・・がいるってほんとかい?」


 ほどなくして、部屋にはイカツいサングラスにピチピチの黒革ボンテージに身を包んだマッチョな男達が大挙して現れる……ガチなハード・ゲイのお兄さま方だ。


「ええ。そこに寝てる子よ。あたしはこれでお暇するけど、今夜はクリスマス・イヴ。めくるめく熱い夜のパーリーといきましょう?」


 あたしは彼らを招き入れると床に転がったまま動けないチャラ男を視線で指し示しながら、今宵のオトナなパーティーの開始を宣言する。


「あなたもこれを期に新しい世界・・・・・に目覚めちゃうかもしれないわね。それじゃ、今夜は思う存分楽しんでね。メリークリスマス!」


「は、はっへ! は、はへほ! ふはあ…!」


 別れを告げて部屋を後にしようとするあたしに、舌の回らない口で何かを叫びつつ、マッチョな男達の黒山の中にチャラ男は儚く消えていった――。

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