ep.xxx:終わる世界のまんなかで



 ウィスカピア湖の上空に浮かぶブルグ城は、術者の制御を失い崩落の時を迎えていた。

 謁見の間はコアである人工精霊の破壊によって溢れ出た風の元素が充満し、無数の淡い緑光が私たち3人を柔く照らしていた。

 

 ふと上を仰ぐ。グリアンくんとレザードくんの激しい戦闘によって天井はすでに無く、夜空には満天の星々が散りばめられていた。

 

「イヴ……」


 玉座に体を預けていたレザードくんが私を呼び、ぼろぼろの右手を突き出した。

 グリアンくんが反射的に私を背に隠す。王家に伝わる豪奢な鎧に身を包む彼の手を取り私は首を横に振った。


「たぶん、もう大丈夫です。そんなことより、話をさせてくれませんか」


 自らが錬成術で作った人工精霊とはいえ、レザードくんの体は霊素の浸食で、すでに崩壊していた。元々錬成物だった左腕は溶解し肩骨がむき出しになっている。他の部位も霊素に耐え切れなくなり城と同じように元素の光を放出し、顔の歳終えたようにただれ眼球は沈み、私を乞うように伸ばしたその右手さえも、今では力なく垂れ下がっている。

 ロングコートとブーツに隠れた彼の身体はすでに原型をとどめていないだろう。



 私の言葉にグリアンくんはその碧眼を丸くするが、私がじっと見据えると観念したように金の前髪をかき上げた。

 

「ありがとう」

「君は頑固だからね」


 彼はおどけながらも剣を握る右手は強張っている。もはや生きているのが不思議なくらいのレザードくんを警戒するのはグリアンくんが特別神経質だからということではない。


 不可能とされてきた霊素の抽出、錬成術による人工精霊の精製、私一人を攫うために隣国と謀った国家転覆のシナリオ、城を浮かせるなんていう出鱈目な技術、無数の戦死者、人体に多大なダメージを与える精霊憑依を人工精霊と義手にての実用化。

 

 レザードくんが今まで起こした偉業と奇跡と災禍がそうさせるのだ。

 

 だが、結論は杞憂である。彼はもう挽回する手段を持たない。

 

 私にはわかる。

 彼の唯一の幼馴染と呼べる存在であり、時に二人きりで逃避行した間柄なのだから。

 

「そのレザードに騙されて昨日まで幽閉されてたのは誰だったかな」

「その分も含めて理解しているんですよ」


 私はグリアンと軽い笑顔を交わすと、玉座の前へと向かった。


「呼びましたか」


 片膝を突き、彼と目線を合わせようとする。だが、すでに瞳は本来あるべき場所になく、それは叶わなかった。

 

 私は仕方なく彼の右手を取った。こちらはまだ感触がある。少し動いた気がした。

 

「ごめん」

「まったくです」


 私の家とも呼べる孤児院に火を放ったこと。その場から逃げた私たちを騎士団が捜すのは『厄災の巫女』の私を処すためと騙ったこと。そういって私を軟禁し続けてきたこと。その時にされた折檻。グリアンくんに匿われた私を炙り出すために幼い頃から一緒だった魔獣猫のスフィアを……。


 彼が私にしてきた罪は多くあり、その謝罪が一体どれを指すことなのかは定かではなかった。でも今はそれらすべてが遠く感じられ、思い出して怒りを覚えても、その感情すら思い出の一部になっているかのように沸き立つものがなかった。


 きっと私の意識は、もうこの世にはないのかもしれない。

 戯言がシャボン玉のように頭に浮かび、そしてすぐはぜた。


「また出会ったら、もうそういうのはやめてくださいね」


 そんな機会なんてないのがわっているのに嘯くのはやはり生きたいのだろう。未来を、捨てきれないのだろう。

 

「……善処する」

「善処じゃ困りますよ」


 なつかしささえ覚える取り留めのないやり取りに私が思わず笑みをこぼすと、彼は満足したようにゆっくりと目を閉じた。


 どこで間違えたんですかね。もっと正しく出会い、正しく寄り添い、正しく歩んでいれば、私はグリアンくんと出会うこともなかったでしょう。そしたらレザードくん。私はあなたと。


 その想いは声になっていただろうか。少なくとも形あるものになっていたようで、私はそれがこぼれる前に腕で拭った。


 立ち上がり踵を返す。

 

 私がレザードくんと話している間も城は音もなく崩落と下降を続けていたようで、底抜けた床から見える湖の水面は、もうすぐそばまでに迫っていた。


 時間がない。


「グリアンくん」

 

 彼はその言葉に頷くと術式展開の呪文を詠み始める。


 ブルグ城は集めた風の霊素を動力に浮上している。元素とは違い、本来人間が操作できない霊素を収集できるのはなぜか。それはこの城そのものが人工精霊の役割を果たしているからだ。

 そしてその膨大な霊素を内包した人工精霊が図の精霊ウィスカが祀られた湖に落下しようとしている。

 もしそうなったら、霊素と霊素がぶつかり未曽有の災害が起きるだろう。国を覆うほどの霊素爆発だけにとどまらず世界中の霊素関係が乱れ世界が崩壊しかねない。


 だから私たちがそれを止める。たとえこの身を犠牲にしてでも。


「本当にいいの?」


 詠唱を終えたグリアンくんが少し顔を曇らせて私に改めて問う。


「ええ」


 この計画が立てらた時も、旅支度を整えた時も、ブルグ城についた時も、幾度となく彼は訊ねて、私は答えた。


「ごめん」

「謝らないでください」

「……ありがとう」


 そう頭を下げると、彼は片膝をついた。

 そして首を傾げる私の左手を取り、囁くように呪文を唱える。指先がぬくもりに包まれくすぐったい。


「お礼になるかわからないけど、どうかな」



 放された指先を見て私は思わず顔がほころぶ。

 私の左手、その薬指。

 そこから一本の糸が伸びていた。

 

「”誓いの#紡糸__ほうし__#をまだ結んでなかったから」

「……素敵です」


 紡糸というものは術者と対象者の魔力を練り紡ぐ魔糸のことで、本来術者と対象者の魔力を共有ために開発されたものだ。とはいえ今は重奏詠唱など複数人で魔術を掛け合わせる魔法が確立されたため、その用途で使われることはほぼない。


 だが、誓い紡糸はそんな今日でも廃れることなく儀式的な意味合いの魔法として愛されていた。

 

 理由はその性質だ。

 この紡糸は術者の想いの形によってその色を帰る。


 敬仰は黄、慈愛は青、そして恋慕は赤。

 

 だから師弟同士、血の繋がらない親子同士、恋人同士に好まれ、今もなお受け継がれている。

 

 つまりをこれを結ぶということはそういう関係だと想いそれを望んでいるということだ。

 

 もし想いが弱いなら色は白み、複数の想いがある場合間色となるが、私たちを結ぶ糸は混じりけの欠片もない深紅。


 それだけ強く想っているということであり、こんな私のことを守るべきものなんかじゃなくて対等な存在と思ってくれているということだ。 

 

 私は左手を胸にあて抱きしめる。こうしないと狂おしくて動き出しそうだった。


「よろこんでくれた?」

「はい」

「それは良かった」


 彼は再び私の手を取り続ける。


「それと、この糸には少し細工がしてあってね」

「細工?」

「三つの仕掛けが施されているんだ」


 その表情に少し陰を湛え、彼はそれを告げる。


・来世でこの糸を見た時、前世の記憶を思い出す。

・糸は十六歳になるまで君には見えない。

・もし君が別の人に恋をしたら、この糸は消滅する。


「なんでそんな」


 二つ目と三つ目のルールに疑問を覚える。

 来世の肉体に魔糸を結びつける魔法なんて聞いたことがないが、もしできるなら赤ちゃんの段階で見えるようにできるはずだ。それに別の人に恋をした場合、私は彼との記憶を取り戻すことのないまま来世を過ごすことになることになるだろう。


「運命に縛られてほしくないんだ。これだけ運命に翻弄されていきた分、来世は不自由なく自分の選択して生きてほしい」

「中途半端ですね。じゃあ最初からこんなものつけない方がじゃないですか」


 彼はばつが悪そうに口をつぐむ。それをほだすべく、私は私の唇をそっと重ねる。



「大丈夫ですよ」


 私は笑った。うまくできているかわからないけど最後だから、最高の笑みで。


「世界がどれだけ変わっても、私はあなたを好きでいます」

「ありがとう。本当に」

 

 彼もまた、今までに見た最高の笑みで私に答えた。

 

 両手を絡め、私たちは詠唱を始める。


『再構築』の魔法。周囲の元素と霊素と物質を新たに溶け合わせ新たな物質に再構築する魔法、とのことだ。つまりは霊素や元素という不安定な状態から物質という安定した状態に作り変えることで元素爆発を防ぐということだ。多分。


 詠唱が終わる。

 夜だというのにあたりは途端に眩くなる。

 目の前にはグリアンくん。背景は白。

 天国かもしれないな。


 グリアンくんは真剣な眼差しで私を見る。ああ。最後まで笑っていてほしかったなあ。


 「さっきも言ったように、16歳になってもまだこの糸が消えずにいたら、君がこの糸を見たときこの世界の記憶を取り戻す。その時は、僕を見つけてほしい。きっと近くで生まれて見せるから」

「ええ、まかせてください」


 そう、私には来世がある。私には救いがある。


 違う、本当は。


 私にとっての救いはそんなものではない。もっと、あなたと生きていたかったんだ。理想はそれだけじゃない。この世界で。レザードくんも、スフィアも、友達がみんないて。それであなたと愛し合いたかった。


 ああだめだ。雫が顔を伝う。最後まで笑っていたかったのになあ。


 願い、いや後悔から生まれ溢れこぼれた涙の行方を追えぬまま、世界は白で満たされた。

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