Virtual Hunter Ball
水鳥
第一話
少女の母は詐欺師であった。
容姿端麗、有智高才。一顧傾城の言葉の通り、その美貌と振る舞いで金持ちの男と結婚し、一人の娘を育んだ。
狂気的な魅力はさらに猛威を振るい、多くの男から金品を騙し取った。多くの男を泣かせた。多くの家族を泣かせた。血反吐を撒く者がいることなんて、その女は知らなかったし、知ろうともしなかった。
悪行が長く続くことはなく、終いには刑務所に収監されることとなった。父の方は精神的ショックから自殺寸前まで追い詰められ、今は遠く離れた施設で療養を続けている。
少女は母に良く似ている。
凛とした瞳に、透明感のある白い肌。白百合のような優婉な姿に、細く長い手脚がすらりと伸びる。一挙手一投足が優美で、艶美で、無意識に人の目を引き寄せる。
少女は叔母である母の姉に引き取られたが、叔母は少女を忌み嫌った。少女は勉強も運動もできる優秀な娘であったが、叔母は何かにつけて母を引き合いに出しながら「頭が良いから犯罪者になる」「可愛い顔をして人を騙す」「お前は犯罪者に酷く似ている」と罵倒を浴びせた。
悔しかった。泣きたかった。
少女が何をしたって、詫びたって、母のことは消えてなくならない。一生消えない。
自分が何をした。優れた容姿を持つことは罪なのか。勉学ができるのは罪なのか。運動ができるのは罪なのか。何をしたら自分は許されるのか。
今日も家の外から声が聞こえる。中学校の野球部の声だ。かきんと清々しい音と、男子たちの盛り上がる声が聞こえる。
音色も聞こえる。中学校の吹奏楽部が奏でる音色だ。まだ曲の完成の日は遠くて、何度も何度も同じ音を出している。同じ音を複数の楽器が奏でている。それからしばらく止んで、聞こえるはずもない生徒の楽しそうな雑談が聞こえてくる。
そこに自分はいないことを少女は知っていた。どうしようもない気持ちで、雲ひとつない晴天の空をただ見上げるのみであった。
---
春うらら。
今年は暖春で、桜は新たな出会いを喜ぶように舞い踊り、中には既に緑を芽吹かせているものもある。それは新たな制服を身にまとい、少し大人びて見せる高校生たちのようでもあった。
東京都港区にある私立
この高校は都内でもトップクラスの学力を誇り、校内施設も何かと充実していることから、入試の難易度は非常に高いものとなっている。運動や芸術の分野にも力を入れており、関東や全国クラスの実力を持つ生徒を多く輩出している。『今、一番入学したい高校』としてもメディアに挙げられ、都内では誰もが知っているほどの有名校であった。
学園内のもっとも大きい道はメインストリートと呼ばれており、今日は特に大賑わいを見せている。仮設ブースの白屋根がメインストリートの脇を覆い尽くし、桜のシャワーを受け止めている。各ブースではスポーツのユニフォームや制服に身を包んだ生徒たちがあれだこれだと押し合いながらビラを配っていた。
(思っていた以上だった……。)
そのメインストリートから少し離れた所。
人の目に触れない体育館裏で、少女、
無数の目、無数の手が自分に向かってくる情景がまだ脳裏から離れず、千雪はたまらず顔を伏せた。鞄に収まりきれていないビラが、千雪を急かすようにパタパタと音を立てている。背後の体育館は千雪の存在など気に留めていないかのように、静かに佇んでいる。
花山学園では、入学式やレクリエーションを終えた後は毎年恒例の部活動勧誘会が行われている。新入生の帰路を遮るように、メインストリートで部活動勧誘が熱心に行われる。
勧誘が嫌で荒れば別の道を通って帰ることができるのだが、それは千雪のポリシーが許さなかった。
——神の
学生でありながらモデルとしても活躍する千雪のことを、メディアは「神の娘」と持て囃した。
千雪はいつも淡雪のように、可愛く、そしてどこか儚く溶けてしまいそうな雰囲気を身にまとっている。黒真珠の瞳は何も汚れを知らなさそうに清く澄んでいて、見る人の心さえも吸い込んでしまいそうである。
加えて、偏差値の高い花山学園に特待生として入学するほどの学力、運動部に勧誘されるほどの運動神経、さらには卓越した芸術センスを持ち合わせていることから、あまりにも欠点のない少女であることを讃え「神の娘」と呼ばれるに至っていた。ネットでの話題性も強く、千雪のために取材が入学式に押しかける始末である。
千雪の魅力は単に能力の高さに留まらない。
自分の能力を正しく理解し、また、人に嫉妬されることもあるという事実を理解しているからこそ、千雪が特に努力していることがあった。
それは、驕ることも謙虚すぎることもない、非の打ち所のない素晴らしい性格であり続けることである。
反感を持たれる可能性がある言動に対して、千雪は人一倍敏感であった。例えば……学園内で話題の人となっている千雪が、部活動勧誘会を避けて帰ってしまうとどうだろう。多くの人は落胆するし、「一般人が話しかけてくるのが面倒くさいから帰ったんじゃないか」と噂される可能性もある。
世の全員から好かれる、というのは無理な話ではあるが、「一人でも多くの人の期待に応える」ことは、千雪にとって何より大事だった。良い人、でありたいのである。脇目も振らず千雪に食いついてくる勧誘に時間が刻々と奪われてしまうことなど、守るべきポリシーの前では些細な問題だった。
どうせ入らない部活動の断り文句も、こうして真剣に考えざるを得ない。自分らしさを守るために、相手を傷つけないために、千雪はずっとこうして頭を抱えているのである。
(『モデルの仕事が忙しくって……』だと、なんかなぁ。『せっかくお誘いいただいたのに心苦しいですが、父に許してもらえなくて……。 今度、試合を見学させてください!』って言うのが、やっぱり一番自然なのかな)
千雪が部活動に入らない理由は、モデルが忙しいからでも、家族に反対されるからでもない。
その理由は、部活の経費である。
独り暮らしをしている千雪はモデル業で生計を立てており、学費もどうにか特待生として入学することで免除してもらっている。
娯楽に使う金がないほど貧しいわけではないが、特に興味があるわけでもない部活動に金が必要になることは避けたかった。
だからと言って、正直に「お金がかかってしまうので」と言うわけにはいかない。「お金がそれほどない」という事実は、千雪にとってどうしても隠したいことなのである。「お金がない」という事実の先に、メディアにも隠している最大の秘密があるからだ。
部活動に入らない理由は、お金の問題だけではない。千雪もかつて、部活動という青春の代名詞に憧れを抱いたこともあったのだが、それは所詮"憧れ"に過ぎなかった。そこに自分がいる未来など露も想像できない。部活動に自分がいるという光景を、最初から見ようとしていなかったのである。
千雪は鞄を——すぐそばで体育館の裏口扉が開いたことにも気付かず——開けた。ビラの端が少し丸まっている。丸まっている部分を正すようにビラをいじると、バスケットボール、テニス、美術、軽音と、よく聞く人気の部活動の文字が目に入る。とても魅力的だ。これを千雪に押し付けてきた人たちは、もちろん千雪に興味津々な態度だったが……何より、自分がその部活にいることを誇りに思っている。千雪にはそう見えて、それがまた少し眩しく見えたのを思い出して、千雪はため息をついた。
(モデルは……、楽しい。でも楽しいのは、モデルだからじゃなくて……)
「どの部活動に入るか、決めた?」
ふと、突然に。
背後から聞こえた声に驚いて、千雪は「ひぇっ!」と声を漏らしながら飛び跳ねるように体育館と距離をおいた。
全く気づいていなかった。無防備だった。
千雪の背後には、いつの間にか少女が立っていた。清らかな黒髪のツインテールが目を引く少女だ。
千雪の心拍数がぐっとあがっていることなど知らず、少女はにこにこと千雪の方を見ている。絵に描いたような、あまりにも出来の良い笑顔である。
千雪は次第に落ち着きを取り戻したが、今度は少女の容姿に目を奪われ始めた。
ロングのツインテールが媚びることなく春風にそよいでいる。千雪に負けず劣らず、透明感のある肌と長い手脚。身長は千雪よりも少し高い。
千雪と血が繋がりを疑われかねないとくらい容姿の特徴が似ているが、少女の方は脚にしっかりと筋肉がついることも特徴的である。それに花山学園の青いジャージも着ている。明らかに運動部員である。
(すごい、この人、私くらい可愛い……)
声に出せば確実に嫉妬や反感を買いそうな台詞であったが。
何年に一度の美少女、と言われ続けた千雪にとって、自分と同じくらい可愛いということはあまりにも衝撃だった。
一度見たら忘れないような、そんな衝撃。
衝撃だったからこそ……、千雪は少しずつ思い出したのである。
ロングのツインテール、モデルと並んでも負けない容姿、それに筋が見えるくらい引き締まった脚の筋肉。
「あの……女子陸上の、
「そうだよ! 知ってくれていたんだ、嬉しいなぁ」
二年前の秋、TVのニュースやSNSを騒がせたある少女がいたことを、千雪は思い出した。
上坂 純。
当時中学三年生だった純は、全国中学陸上女子100mで優勝した。容姿の良さや、レーンと垂直になびくロングのツインテールが特徴的で、メディアに「疾風の美少女」と騒がれたものだった。ダサい二つ名と健康的で可憐な容姿で、一般人とは思えないくらいの人気と話題性を持っていた。
純は一般人であり、雑誌やテレビに出演することもなかったので、話題性は時間と共に風化していったが——千雪は思い出した。純がこの花山学園に"スポーツ推薦"ではなく"一般入試"で入学したこと。そして、それと同時に陸上を引退したことがメディアを騒がせたいうことを。
「あなたは、綾瀬 千雪ちゃんだよね。知ってるよ、すっごい人気だよね」
「……はい! みなさんの応援のおかげです」
少し戸惑ったが、千雪はまたいつもの"神の娘"としてのペースを持ち直した。
千雪の考えによれば、「性格の良い女子」であるためには、男性よりむしろ女性相手の立ち振る舞いの方が重要になる。純が一年上の先輩だということもあるが、"神の娘"として最高に性格の良い女子であり続けるため、千雪は気を引き締めて愛想よく立ち振る舞い始めた。
「千雪ちゃんくらい人気があるモデルさんだと、学校の部活動に入るのも難しいのかなーと思ってたんだけど……意外と興味ある感じ?」
「まだ迷ってるんです。中学生の頃は部活動をやっていなかったので、せっかくなので新しいことに挑戦してみたいなー、なんて」
「いいじゃんいいじゃん! 良いよね、せっかくだから、"新しいこと"やりたいよね!!」
新しいことをやりたい、という千雪の気持ちは嘘ではない。
嘘ではないが、そこに実現の可能性を感じていない。人が「宝くじで一等が当たれば良いのに」と呟くようなどこか夢見がちな気持ちである。
しかし、恐らく高校で新しく別のスポーツに挑戦し始めたのであろう純の前で、「本当は新しいことをやろうなんて思ってないです」なんて言えないのである。
純のテンションから感じ取れる。このまま話が進むと、恐らくそのうち「純の入っている運動部」の話になる。その先に待つのは勧誘だろう。メインストリート外での勧誘は禁止のはずだが、今ここには千雪と純しかいないのでルールはあってないようなものだ。いきなり玄関の扉を開けてくる押し売り営業と変わりない。
この状況の中、千雪ができる精一杯の抵抗は「純が所属している運動部の話をしない」しかない。
「ビラ、いっぱいもらったみたいだけど、良いところ見つかった? 運動部なんてどう?」
純の言葉に、千雪は突破口を見つけて安堵する気持ちになりつつも、困り顔を演じて応える。
「それが、運動部のビラを全部見たんですけど……。どれもすごく魅力的なんですけど、まだ見たこともないようなスポーツがやってみたいなぁ、なんて。だから、今はまだ決められそうにないです」
実際、千雪にとって目新しい部活動は見当たらなかった。文化部に比べ、運動部は奇抜なものが少ない。どれも一度くらいは見たことがありそうなものばかり。
どれも同じ理由で選べないことを示してしまえば、もう誘いにくいはずである。千雪は純が誘ってくる未来を鮮やかに回避したことを確信し、自分の心拍が落ち着いていくのを感じた。
はずだった。
「じゃあ、私の部活を見学しにおいでよ! ハンター!」
「……ハ?」
遠慮がない。むしろ先ほどより意気揚々とした声で、千雪に食いかかる。
ハンター。それは聞いたこともない、……というわけでもないことを千雪は思い出した。
千雪が掲載されている雑誌で、ハンターに関する特集が組まれていたことがある。バーチャル技術と現実の動き、プログラミングの力によって生み出された、普通のスポーツでもeスポーツでもない競技。「vスポーツ」と呼ばれるものだ。
ルールは覚えていない。
ただゲームのように非現実的なことが起きるスポーツだ、ということだけを覚えていた千雪は、咄嗟に「やったことがあります!」と言おうとしたのだが、次に思い出した事実がそれを許さなかった。
vスポーツは、日本では義務教育を修了しないとプレイできないという決まりがある。まだvスポーツの歴史が浅く、身体への安全性が完全に保証されていないためである。
そのため、今日晴れて高校生になった千雪にvスポーツの経験があるはずない。
「ハンターって、聞いたことはあります! すみません、どんなスポーツでしたっけ……?」
「お、興味ある??」
ないです、と言えない展開になっている。
「ええと、まずは詳しいルールを知ってみたいですけど……」
「ルールはちょっとわかりにくいから、今から見て行けばいいんだよ!」
「今から?」
「そう、ここが部室だから!」
純が指さしたのは、まさに目の前にあった体育館だった。先ほどまで静かだったはずの場所が、気づけば十人ほどの男子女子がやってきている。時間的に、昼食を終えてやってきたのだろう。
着々と断る理由がなくなっていく。
二、三歩先にもう見学できる会場がある以上、はっきりとした事情がないと断れない。仮病で腹痛を装うか、とも考える千雪であったが、もし仮病を使うのであればもう少し後じゃないとバレてしまう。
純が千雪の手を引く中で、千雪は考えた。考えた。なんとかして断る方法を。
そして……思い出した。
部活動勧誘会の中にハンターのブースやビラはなかった。ハンターは部活動勧誘会に参加していない。部活動勧誘会の外で部活動の勧誘を行ってはいけない。手を引かれて体育館に入れば、それはどう見ても「部活動勧誘会の外での勧誘活動」だ。
「あ、あの!」
最後の一手、千雪はあくまで"良心"を装って純に告げる。
「部活動勧誘会以外で勧誘したら、上坂先輩が怒られませんか……? もし先生に怒られでもしたら、私、申し訳ないですよ……」
純の表情が一瞬変わった。明らかに、千雪の言葉に納得してしまった顔だ。
言い分は千雪の方が正しい。これに納得したら千雪の手を離すしかないだろう。
離すしかないはずだ。
離すしかないはずだったのだが。
現れたのは、ちょっと意地悪そうな笑顔だった。
「あのね、千雪ちゃん。部活動勧誘会の外でやっちゃいけないのは、不特定多数への勧誘やビラ配りだったはずだよ」
「……?」
「私は、千雪ちゃんを個人的に勧誘しているの。だから問題ないんだよ、ね!」
その言葉に是も非も言う暇もなく、千雪は体育館へと吸い込まれたのであった。
---
閑散としていたはずの体育館は、今や多くの観客招いていた。
部活動勧誘会に参加していない部活動も、入部者を募集している部活動であれば見学を許可する義務がある。
このハンター部も新入生の見学を実施しており、体育館の二階観覧席に次々と生徒が詰め寄って入った。千雪は一階のベンチに純と座っていた。純が「私が呼んだから」とベンチに呼んだのだ。
人の噂は光より速い。
千雪がハンターの見学にやってきたという噂は、瞬く間に広がった。
多くの生徒が千雪を部活動に誘いたいように、多くの一年生は、千雪と同じ部活動に入りたいと願っている。
まだ知名度の上がりきっていないvスポーツ、ハンターにこれだけ見学者が集まるのは、明らかにハンターではなく千雪の効果である。
「……あれ? こんなに人気なわけ? 俺たち」
「いやー、もしかするとこれは、嵐に巻き込まれちゃったかもね」
一年生が続々と入ってくる中で、青いジャージ姿の少年三人が入ってきた。三人とも両手に合皮の白い手袋をしている。手の甲と指の関節部分が空いている、防寒よりも見た目の良さを優先したような手袋である。
「俺たち今年は部活動勧誘会に参加しないって話じゃなかったのかよ」
「うん、参加していないよ」
「じゃあなんであの例の特待生、そこのベンチに座ってんだよ。さっきの部活動勧誘会の騒ぎを見る感じ、あいつは勧誘会に行ったんだろ。なんでわざわざ勧誘会に参加していないハンター部になんか来たんだ」
「そりゃあ、ハンターに興味があったんじゃないの? 嬉しいなー!」
三人のうちの一人、茶髪をワックスでラフに仕上げた陽気な少年が、千雪にぶんぶんと手を振った。
「こんにちはー! そこの可愛い人ー! ご見学でーすかー?!」
千雪は少年の勢いに少し萎縮しながらも、「一年の綾瀬です、よろしくお願いします」と当然の挨拶で返す。
少年はくるりと踵を返すと、今度は二階の観客へと「元気ですかー!」と両手を振った。
少年の背は男性平均より少し高い。筋肉がしっかりついているが、純に比べて全身が均等に鍛えられている。非常に上機嫌だ。しかし少し緊張しているようにも見える。きらきら輝く翡翠の瞳と、ぱちぱちと動く瞼が目を引く。
「俺は! 二年E組の
流星と名乗った少年がそう叫ぶと、観客はより盛り上がりをみせた。
E組と言えば、スポーツ、芸術などの学力以外の実力が必要とされる推薦入試をくぐり抜いた生徒の所属するクラスである。
流星はコート脇へと回り込み、PCを開いている少女に何か話しかけた。そのとき一瞬、流星の体がふわりと光ったのだが、ほとんどの観客はそれに気づかなかった。
ゆっくり歩いてきた少年二人も後に続くように、少女に話しかけてからコートへと入ってきた。
先に入ってきた背の高い少年は、流星と同じように観客の方へと手を振った。
「僕は二年B組の
秀と名乗ったその少年の穏やかな笑顔は、相手の心を落ち着かせるような穏やかさが感じられる。明るい色で少し癖のある髪が特徴的で、琥珀の瞳はとても大きく、中性的な顔立ちをしている。容姿も声も、彼の温厚な性格をそのまま現しているかのようである。
一方、最後に入ってきた少年は、少し背が低く、非常に無愛想である。笑いもしないし、挨拶もしない。切れ長の目のせいでもあるだろうが、目つきが悪い。一瞬、千雪に睨むような眼差しを向けたように見えたが、睨んだのか単に目があったのかもわからない。
少年の名前は
「千雪ちゃんはさ、ハンターのルールを知らないんだよね」
「はい、まだよく知らないです。噂で聞く感じ、球技なのかなと思ってましたけど」
ハンターと呼ばれているが、「ハンターボール」とも呼ばれることを千雪は知っていた。和名を
しかし、競技名がボールを使いそうであることに対し、体育館にボールがないのである。千雪があたりを見渡しても、どこにもボールがない。
体育館倉庫があるのでその中にボールがあってもおかしくないが、これだけジャージ姿の部員が集まってきて、エキシビジョンマッチ開催の宣言もあって、なおボールを準備しないというのは、球技の運動部としてはとても不自然だ。
「球技であっているよ。ドッジボールみたいなゲーム、ってよく言われるね。ドッジボールは知ってる?」
「ドッジボールなら小・中学生のときにたまにやってました」
「だよね。得意だった?」
「得意では……」
ドッジボール、という言葉に千雪は少し苦い顔をした。千雪にとってドッジボールは苦手だ。
ボールを投げる行為も、避けたりキャッチしたりする行為も人並み以上にできるが、「相手が痛い思いをしないように」「相手が嫌な思いをしないように」「足手まといにならないように」「活躍すべき人が活躍するように」立ち回る必要があるため、ただ頑張れば良いとは言えない競技になってしまっていた。
その事情も知らない純は「またまたー」と千雪の言葉を茶化してみせた。
「ドッジボールとハンターには大きく違うところがあるの。まず、ドッジボールみたいに陣地がないの。どちらのチームも、コートの端から端まで行くことができるよ」
純がコートの端と端を指さす。コートにはバスケットボールで使われるラインが引いてある。ハンターが使うコートの大きさもバスケットボールのコートも同じ広さである。
「それから、ドッジボールは普通、ボールをキャッチしたらセーフだと思うんだけど、ハンターはキャッチするのもダメだよ。接触したらすべてアウトで、相手のボール権になるの。キャッチするメリットもあるんだけど……話すと長いかなぁ」
「もったいつけるじゃないですか」
「細かく話していたら日が暮れちゃうからね! それと……ドッジボールは内野に人がいなくなったら決着するかもしれないけど、ハンターには外野とか内野とかないからね。ハンターはボール権を持っていた時間で勝負が決まるよ」
そう言って純が指さした先に、大きなタイマーがあった。バスケットボールで使われるものと同じようなタイマーである。コートにもバスケットボールの白線が書いてあるので、何も知らなければバスケットボール部に見えるだろう。
「ある決まった時間以上ボール権を持ってしまうと、負け。いかに早く相手をアウトにできるかが勝負だね。あと1on1、2on2、5on5とルールがあって、流星たちがやろうとしてるのは二人対二人の2on2だね。あと一人、入る予定の先輩が来てないけど……1on2でやるのかな」
「あの、先輩、聞きたいことがあるんですけど」
話し続ける純を、千雪の声が制した。
コートでは、流星と秀が話し合いをしていて、剣城が別の場所で身体を伸ばしている。
エキシビジョンマッチとして、流星と秀のペアのチームと剣城単独のチームで始める様子である。
「ボールは使わないんですか? 球技ですよね?」
「球技だよ」
答えになっていない答えを返して、純がいたずらっぽく微笑む。
「ハンターの正式名称は、Virtual Hunter Ball。vスポーツは、現実であって現実ではない、仮想空間でのスポーツだよ。だからね、ボールは——」
そのとき、けたたましいほどのブザー音が全員の注意を引く。
タイマーに時間が映し出される。五分のデジタルタイマーの表示が二つ、それとは別に三十秒のカウントダウンが始まっている。
ギャラリーを驚かせるのはブザー音だけではない。
光だ。
ブザー音から間も無く、剣城の右手から溢れた光から、バレーボール程度の大きさの、それでいてバスケットボールのような材質の、白いボールが現れた。
まるで元からボールを持っていたかのように、当たり前のように現れた。
色のある光をほのかに纏っていることを除けば、間違いなくボールそのものである物体が現れたのである。
剣城はボールをわし掴みにしたまま、流星と秀の方へ突進していく。
速い。
元バスケ部であるなら走りが速いのは自然なことだが、その速さはどうにも不自然だ。
剣城自身もボールと同様に薄明かりを纏っていて、ギャラリーの目には残像すら見える。現実離れしている。しかし、実際に剣城は数秒でコートの半分以上を駆け抜けている。
剣城が流星との間合い2mに詰め寄る。
狙いを定め、流星の膝下をめがけてボールを投げる。
これも速い。元バスケ部だから、という説明では理由になる速さではない。
野球投手のような速さで、バレーボールほどの大きさのボールを放つ。
しかしながら、流星の瞳は確実にボールの軌道を捉えていて、少し身を翻してボールを避ける。
ボールは宙を飛んで壁に向かう——ことなく、流星を横切ったあたりでフェードアウトしていく。
ギャラリーがボールの消失を確認した頃、剣城の手元にはまた先ほどと同じ様相のボールが掴まれていた。
息をつく暇もない。
一瞬だ。
タイマーはまだ数秒しか刻まれていない。
「……おいおい、ツル。めっちゃ本気じゃねーか」
流星が茶化すのも気に留めず、剣城は近くにいた秀に狙いを定める。
流星に比べて動きの大きくない秀だが、鳩尾めがけて放たれるボールを紙一重で避けてみせる。
ギャラリーは盛り上がるというより、目の前の光景への動揺を隠せずどよめいている。
千雪もまた、瞬きを忘れて光景に見入っている。それを横目に、純が話を再開する。
「私たちは仮想空間でスポーツをしているの。仮想空間ではエレメントを使って……ううん、わかりにくいね。とにかく、ボールを生み出したり、身体を強化したりしてスポーツをするの。eスポーツと違うのは、走ったりボールを投げたりしているのが生身の人間ってところ」
詳しい仕組みが知りたかったら入部してからね、と純が付け加えた。
そうしている間にも、剣城の手からは次から次へとボールが生み出されて、流星と秀にとめどなく攻め続けている。
1vs2という状況ではあるが、その不利を感じさせないほどの攻勢である。
ボールを避ける際に流星が体制を崩し、流星の肩にボールが当たった。
そのとき瞬時に、止まっていた方のタイマーのカウントダウンが始まる。持ち時間のある将棋と同じように、ボールが当たった瞬間にカウントダウンするタイマーが切り替わるのである。
ボールは跳ね返らずにその場でフェードアウトした。
流星は体制を整え直すと、いち、に、と軽く跳ねてから、すぐに距離をとった剣城の方を見据えた。
「どんまい、リュウ」
目線を剣城に向けたまま、秀が流星に声をかける。
「でもさぁリュウ、今のは避けられたんじゃないの」
「どうだろうな? でも良いんだよ。ツルばっか良いところ見せてるみたいで、ムカムカしてきたから」
「それはそうだね。ツルってば、はりきっちゃってさ」
秀の声は距離をとった剣城の元にも届いており、剣城は小さく舌を鳴らした。
(はりきってるとかじゃねぇんだよクッソ……)
剣城にとって、今の状況はすごく腹立たしいものだった。
体育館には大勢の観客がいる。この観客のほとんどは、ハンターではなく、千雪に興味を持って見学に来ている。あわよくば同じ部活動に入って千雪に近づこうという魂胆が誰から見ても丸わかりである。
偶然にも、剣城の立ち位置の近くに千雪の姿があった。千雪が何を思ってハンターを見にきたのか剣城には見当もつかなかったが、剣城の思うことは一つだけ。歓声にかき消される程度の声で、剣城は小さく呟いた。
「ハンター舐めてんじゃねぇぞ」
対面の流星が構える。
低い体勢で、両手、両腕から白い光のオーラが溢れ出す。
剣城から放たれるボールは常に一つで、コート上に二つ以上のボールが存在することはなかった。しかし、流星の両手にはそれぞれボールが生み出されようとしていた。
「ボールって、一つじゃないんですか?」
千雪が戸惑った声を出すので、純がくすりと笑う。
「うん、普通は一つまでだよ。ボールが消えるまで次のボールは生み出せない。でもねー、なぜか流星は同時に二つのボールを生み出すことができる」
「それって何でですか……?」
「何でだろうね? 私にもわかんないよ。ただそれが、流星の力ってこと。ハンターはね、人によって得意なこともできることも大きく違っているの。流星は同時に二つのボールを生み出せる、そういう力を持っているということ。それに」
純がボールの方に指をさす。
流星の利き腕は右のようで、右手に掴まれたボールは鋭い鋭角で剣城の元へとまっすぐ向かった。
一方、左腕から放たれたボールは右腕ほどの鋭さを持ち合わせていない……が、明らかに、不自然に蛇行してみせたのである。
鋭く飛んでくるボールと、蛇行してくるボール。間一髪のところで剣城は避けてみせたが、流星も攻めの姿勢を止めない。
鋭いボールと不規則に蛇行するボールが、次々と剣城の元へ食らいつく。
「あのぐねぐねするボールは、秀の仕業だね」
見ると、攻勢に加担していないように見える秀の姿も少し光のオーラを纏っていた。流星や剣城ほど走らないものの、秀の瞳は常に蛇行するボールを捉えている。
「秀は味方のボールの軌道を変えることができる。これも普通はできないけど、秀だからこそできる特技だよ。流星も秀も攻めを得意としているから、この二人相手に一人で立ち回るのはさすがに明治君も辛いんじゃないかなぁ」
とめどなく牙を向けてくるボールの数々を剣城が避け続けている。地を転がるようにして避けることもあり、試合の様はスポーツというよりも銃撃戦のようであった。
状況は剣城側が圧倒的に不利と伺えたが、剣城は集中力を切らすことなく的確にボールを避けてみせる。
足を止めることなく一分以上避け続けるものの、剣城は未だ息を切らすことなく二人と対峙していた。
「……すごい、ですね」
「うーん、あの粘りの強さは手に汗握っちゃうよねぇ」
今まで見たこともない光景に、千雪は固唾を吞む。
瞬きをする間に状況が一転してしまいそうで、試合から目を離せなくなっていた。
一方、もうその光景も見慣れてきている純は、それほど集中して観戦しておらず、その視線は体育館の入り口を向いていた。
「でも、もっとすごいのが来ちゃったかもね」
「え?」
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