若様はお悩みです

梟饅頭

第1話 若様は若様

「また勇者が現れるなんて…何度目だと思っている…⁉」

「若様。今月ですと3回目になります」

「知っている…。あまりに多いので、ぼやいただけだ。あともう僕は若様じゃない」


左様ですか、と執事のオリバーは事も無げに答えて、下がっていった。

クソが付くほど真面目なオリバーのことだ。忌まわしい勇者どもが我が領に何度現れたかなど、僕が生まれる前の分から正確に覚えているだろう。

それにしたって厄介な問題だ。


ここはリーフ自治皇領の北の端に位置するシーズ領。私は当代シーズ領主のエドワード・シーズ、御年二十三歳。皆様にわかりやすく言えば、ここは夢と魔法の中世ヨーロッパ風世界であり、私は片田舎の領主である。

この世界では、定期的に他の世界から勇者が現れる。誰かが呼んでいるのか向こうから勝手に来ているのかは知らないけれども、頼みもしないのに現れて権利だとか平等とか愛とハーレムとかを叫んだり、困ってもいないのにイベント発生とか言い出して面倒事を引き起こす。けれども時折ものすごい成果をもたらしたり、めちゃくちゃ有用な軍事兵器みたいな勇者もいるから、無碍には扱えない。

だが、そんなすごい奴らはすぐ各国の中央がお迎えに来るものだから、こんな田舎の領地には無縁だし、基本的にほぼハズレらしいので、面倒を引き起こす迷惑な存在以外の何者でもない。


とっととお帰り頂きたい。


帰せるならば。


ていうかむしろそっちの世界から送り込んでるだろ、知ってんだぞこのヤロー!!責任取れー!!


「オリバー!」

「若様、そのように叫ばれませんでも、ここに。」


先程下がっていった執事のオリバーが何故か目の前にいる。いつも不思議なのだけれど、気がつくとそばにいる。

だからおちおちサボりもできない。


「その…若様っていうのはどうにかならないものかね」

「どうにか、と申しますと」

「今は僕がここの領主だろう?」

「左様でございますね」

「で、あるならば。それ相応の呼びかたがあるのでは」

「で、あれば」

「あれば?」


顎の口ひげをなでつけながら思案するオリバー。無駄にダンディなのが腹立たしい。


「若様とお呼びする次第です」

「ええと…?」


昨年領主を継いでから、ほぼ丸一年。若い領主の誕生を不安に思う住人もいたようだが、大きな問題もなくやってこられたように思う。

シーズ家が仕えるリーフ自治皇領は海に面した温暖な地域を治めている。シーズ領はその北の端に位置しているが、やはり温暖な気候で、冬は暖かく、夏は涼しい、暮らしやすい土地柄。しかし平地が少ないことから、都市化するような場所でもない。農業を主な産業として、穏やかな丘陵の合間に田畑が伸びて、夜には光精霊が飛び交う、のんびりとした土地だ。北西には隣国のカムアック共和国との国境があるけれど、ここ百年以上友好的な関係が続いている。過ごしやすい気候と入江になった穏やかな海岸に目をつけた周辺各国の軍閥貴族の別荘や、温泉宿が立ち並ぶ、落ち着いたリゾートでもある。


まあ要するに、のんびりとしていて、気候のいい、暇な田舎なんだ。ここは。

だから僕も、田舎のリゾート地のお山の大将としてまったり勝ち組だと信じていたのに…。


「だというのに…」


シーズ領は大きな問題を二つ抱えている。

一つは勇者問題。

そしてより重大なもう一つの問題が、執事のオリバーが僕のことを「若様」と呼んで憚らないこと。


あの手この手で「若様」はやめろと言っているのだが、どうにも改める気配がない。良くも悪くも田舎のここでは、領主一家の差配を抑える執事がそんな様子であれば、領民も右に倣ってしまう。コッツボールズの名主のじじいも、ブロッサリーのパン屋のばばあも、ヨージン亭のメアリーも、みんな僕のことを若様と呼ぶ。

メアリーが潤んだ瞳で「わかさまぁ」と艶っぽく呼ぶのは特に宜しくない。一刻も早く「ご領主様」とか「お館様」とか呼んでほしいものだ。なんなら「旦那様」というのもありだな。


「若様?」


初夏を迎えて、ますますけしからん露出の多いけしからん装いに衣替えをしたけしからんメアリーのけしからんけしからんを思い出してけしからん楽しんでいたのに、眉間にシワを寄せたけしからんオリバーによって、現世に強制召喚されてしまった。

メアリーとの楽しき思い出を反芻するのは楽しみの少ない田舎にあって貴重な至福の時なんだぞ、この糞ジジイめ。


「なんだろうか」

「なにか楽しくご懸想されているのかとは思いますが、それよりも何よりもまずはこちらの勇者案件を片付けてしまいませんと、中央の方々の心象もよろしくないのではと。そう、糞ジジィは考える次第です」

「いや、うん、まさにそうだ。しかしオリバーをクソジジィと呼ぶような馬鹿者がいるのか?」


それは僕ですなんて言えるわけがない。極めて平然と聞き返したが、やはり年の功。オリバーのほうが一枚上手であった。


「今まさに、若様が何事かつぶやきながら、この糞ジジィめと」

「…僕が?」

「左様でございます」

「オリバーのことを…その…」

「糞ジジィと」

「うそぉ」

「大変に驚きました。あの若様がそのような事を仰るようになるとは…。かつては、じぃ、じぃ、と慕って頂いておりましたのに、時間の流れとは残酷なものです」


領主館の執務室に重たい空気が流れる。オリバーは僕が生まれる前からこの家で執事をやっている。そんな糞ジ、いやオリバーにはどうにも敵わないのだけれども、当然、面と向かって糞ジジィと呼ぶ勇気もない。

先代からの忠臣を糞ジジィ呼ばわりした日には、領内のジジィババァが総出で僕の赤ん坊の頃にやれオシメを取り替えただの、小さい頃の淡い初恋の話だの、どこそこの村の娘にちょっかいを出しただの、やれなんならウチの娘はどうだだの、若い頃の恥ずかしい話から、人生の墓場の話までよりどりみどりで責められることだろう。

特にオリバーはこのあたりのババア共には絶大な人気があるからな。


しかし、自分の若様を窮地に貶めるのがオリバーなら、救いの手を差し伸べるのもまたオリバーだった。

「というのは冗談でして」

「えっ…?」

「お気持ちをお仕事に切り替えて頂きたく、余計な事を申しました。お許しを」

「ええ…?いや…しかし…、冗談をオリバーが言うとは珍しい。しかし驚いたぞ、つい口走っていたのかと…」


なんということか。自分のどんくささが嫌になるというのはこういうことだろう。オリバーのことを糞ジジィ呼ばわりしていたのを自分からゲロってしまった。恐る恐るオリバーの様子を伺えば、このあたりのババア共が「光の微笑み」と呼んで尊ぶ笑顔を湛えて、死刑宣告を下した。


「やはり、若様は今しばらく若様でございます」


この糞ジジィが自分のことをお館様と呼ぶ日は一体いつになったら来るのだろうか。


「左様であるか」

「左葉でございますとも」


ここはシーズ領。トラブルに振り回される年若い領主様が治める、気候の穏やかな、のんびりした田舎の土地。まだまだ背伸びの抜けない、自分の領主様がため息交じりに返事をするのを見て、オリバーはラインの入ったロマンスグレーの髪を微かに煌めかせながら、一礼したのだった。

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