あわてんぼうの彼氏さん

逢雲千生

あわてんぼうの彼氏さん


 街に流れるクリスマスソングを聴きながら、待ち合わせの居酒屋へと向かう。


 若いカップルが多い駅前の広場には、この日を象徴する巨大なクリスマスツリーが鎮座していて、独り身の自分を見下ろしている。


 足早に人混みをかき分けて居酒屋に入ると、意外にも人の多い店内の奥で、きぬやまが手を振るのが見えた。


「ごめんごめん、仕事が長引いちゃって」


「気にしなくていいよ。先に始めさせてもらっていたからさ」


 彼女の手にはジョッキがあり、中身はほとんどなくなっている。


 お通しらしき漬物と枝豆が、半分ほど消えていて、どうやら待たせてしまったようだと反省した。


 コートを脱ぎながら、近くを通る店員に注文をすると、彼女もジョッキのお代わりを頼んだ。


 二人分の注文が届く頃には、僕の体はかなり温まっていて、冷たいビールが身に染みた。


「今日はクリスマスか。独り身には辛いな」


「そうかな。私は関係ないけど。彼氏が欲しいわけではないし、こうしてお酒が飲めれば十分だから」


 そう言いながら二杯目を飲み干した彼女は、美味しそうに息を吐くと、ようやくつまみに手を伸ばす。


 今日はやけにペースが速いと思ったが、原因はこの時期ならではのことだろう。


 毎年のように言われる「彼氏はいないの?」という言葉に、さすがの彼女もへきえきしているのだろう。


 年末が近いこの時期は、大切な人と過ごすことが当たり前になっているからか、おひとり様には辛い時期でもある。


 僕も一人を気にしないが、やはり彼女は欲しい。


 だからこそ、僕は衣山を誘ったのだ。


 数十分ほどで酔いが回りだし、いい感じのこうようかんに包まれてくると、やはり出てくるのは怖い話だ。


 最近知ったばかりの新しい話をしながら、衣山のあいづちで酒を進めていると、突然店の扉が開いた。


 店内が一瞬で静まり返るが、開けたはずの人が見当たらない。


 店員の一人が外を覗き込むが、いるのは通り過ぎる人だけで、逃げていく人もいなかったらしい。


 誰かの悪戯いたずらだろうと、扉を閉めたが、数分後に再び開けられた。


 冷たい空気と、外のざわめきが入ってくる中で、店内はもう一度静まり返る。


 姿の見えない訪問者に、誰もが動けない中、衣山が店長にこう言ったのだ。


しゃた酒を二つと、洋食のつまみをいくつか作ってほしい。それを、玄関に一番近い席に置いてくれ。もちろん、二人分になるようにね」


 誰も意味が理解できない中、店長だけは黙って注文の品を用意し始めた。


 店員が再び扉を閉めると、もう一度だけ勢いよく開く。


 わけもわからず、席を立とうとする客がいる中で、店長が衣山の注文した品をカウンターに用意すると、近くにいた店員に運ばせた。


 全員の視線を感じながら、緊張した面持ちで席を準備した店員が戻ってきた時、今度は扉が閉まったのだ。


 それも、勢いよくではなく、普通に。


 まるで誰かが入ってきたようなその光景に目を奪われ、僕たちは静かに空いた席を見つめる。


 かすかに椅子が引かれる音がしたが、実際は椅子も何も動いておらず、静かなままだ。


 どれくらいそのままだったかわからないが、しばらくすると、また椅子が引かれる音が聞こえ、扉が開いて閉まった。


 パタン、という軽い音の後で、誰かの息する音を聞いた瞬間、ようやく店内が動き出した。


 店長と衣山だけがへいせいなまま、その日の飲み会は終わった。


 誰もが不思議そうな顔で外に出る中、衣山が笑う。


「何人か出て行くかと思ったけど、今年はきもわった人が多かったみたいだ。おかげで楽しかったよ」


 上機嫌で歩き出す彼女の背中を見ながら、僕は聞いた。


「あれは何だったんだ?」


「何って、君の大好きなものだよ。世間一般で言う幽霊さ」


「は?」


 驚きを声に出すと、彼女はまた笑う。


「つい最近、幽霊が出る居酒屋があると聞いてね。今日はクリスマスだし、プレゼント代わりに誘ったんだよ。面白かっただろう?」


「いやいや、どういうことだよ。説明してくれ」


 頭が追いつかず、彼女に聞くと、あっさりと店のことを教えてくれた。



 

 あの居酒屋は、少し前まで洋食屋をしていた場所だった。


 とても雰囲気の良い店で、値段も手頃だったので、毎年多くのカップルが予約していたそうなのだが、数年前に店の近くで交通事故が起きてしまった。


 被害者は、店を予約していた男性で、信号無視の車にはねられ、病院で亡くなったのだという。


 持ち物に指輪があり、その日は彼女と待ち合わせをしていたという証言から、プロポーズでもする気だったのかもしれない。


 男性が亡くなったその日、相手の彼女は店にいて、現場に駆けつけていたらしいのだが、どういうわけかその後、彼女の姿を見たという話は出ていないのだという。


 葬儀にも参列していなかったらしく、さまざまな噂が流れたが、真実はわからないまま、事件は世間から忘れ去られてしまった。


 しかし、それから毎年、クリスマスの日に店の扉が開くようになったのだという。


 誰もいないのに、誰かが慌てて入ってきたように開くため、店では例の男性が出たと噂になり、怖がった従業員が辞めていき、そのまま店は潰れてしまった。


 そして新しくできたのが今の居酒屋で、ここでも毎年、出入り口の扉の開け閉めが起こっているらしく、それを店長は知っていたのだろう。


 衣山のしたことが良かったのかはわからないが、大人しく出て行ったようだから、今回は良かったのかもしれない。


「プレゼントはありがたいけど、せめて教えておいてほしかったな。おかげで肝が冷えたよ」


「君に話してしまっては、嬉しさが半減すると思ってね。まあ、サプライズプレゼントとして受け取ってくれ」


「まあ、今回はそれで納得しておくよ」


 ふと、冷たさで顔を上げると、空から白い雪が落ちてきていた。


 いつの間にか降り出した雪に、周囲のカップルたちがざわめき出す。


 手のひらを上に向けて雪を受け止めると、一瞬の冷たさの後で、温度がわからなくなった。


「さてと」


 衣山に腕を取られ、無理矢理腕を組まされる。


 恋人のような組み方に、思わず振り解こうとするが、彼女は「カモフラージュだよ」と言うので、仕方なく受け入れた。


 今夜はクリスマス。


 あなたは誰と一緒にいますか?









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あわてんぼうの彼氏さん 逢雲千生 @houn_itsuki

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