目を覚ますと…
……麻酔が切れた後のような不快感に襲われ、意識が闇の底から浮き上がってくる。少しばかりの吐き気と身体のダルさに、俺は思わず唸り声を上げた。
「ヒロキ様!」
この声は……そうだ、俺の嫁さんだ、アナだ。意識が混濁しているからかこんな大事な人を忘れるとはな。男としては失格だろう。
重い瞼をゆっくりと開くと、頭上には薄汚れた幌が覆いかぶさっていて、両脇には所狭しと積み上げられた棚がそびえていた。これは馬車の中だな……。そして何より、今にも泣きそうな顔をしてアナとスピカが俺の顔を覗き込んでいた。
「ヒロキ様ぁ!! 心配しましたよ! 私は……私はぁ!」
アナが死にかけた恋人を介抱するかのように俺のことを強く抱きしめて、ガラにもなくおいおいと泣いた。いや、実際死にかけた夫を介抱しているのだけども。
「泣くほどのことでもないだろうに。どうせ勇者は生き返るんだからサ」
アナたちとは対照的に冷たくぶっきらぼうな声が視界の外から聞こえてくる。これはバプラスだな? 小言の一つや二つ、今更気にすることもないさ。
「バプラスさん、あんなこと言ってますけど、必死で看病してくれたんですよ。もし私だけだったら助けられなかったかもしれないんですから」
「勘違いするな。用心棒として雇ったのに勝手に死なれては困るだろう。それに聖水をもらうという契約は忘れたとは言わせないヨ」
そうか、バプラスが……。商人としての損得なのか、あるいはツンデレなのかは知らないが、何はともあれありがたいことに変わりはない。
「ってて……」
「まだ動かないでください! 完全に治ったわけではないですから」
首を動かして腕を見てみると、包帯でグルグル巻きにされていて、その包帯も血まみれになって黒く固まっているのが見てとれた。……この包帯、バプラスの商品だっただろうに。ある程度本気で応急処置はしてくれたんだな。
「アナ、スピカ、バプラス。ありがとうな」
「ゆ、勇者様のためならなんだってしますよ! やっぱり私が魔法で腕をすぐに治して……」
「スピカ! ステイです! さっきそれで爆発したんですから!!」
さっき爆発したのか……。俺に直撃しなくてよかった……。そういえば魔法で物理的な傷が治るものなんだろうか。
「……おい」
「あ、ガル……ガルもこっちに来てください」
か細い声で馬車の隅っこの方にガルが丸くなっているのに気がついた。……いつもの威勢はなく体育座りをして膝に顔を埋めている。そうか、俺は契り直しに成功したんだな。
「その……なんだ。俺……」
ガルはちらちらと俺の方を見てすぐに目を逸らす、というのを繰り返していた。もしかしてさっきのことを気にしているのか……?
「お、お前が淫魔かもしれねぇとは思ってたけど……まぁ、一緒に淫魔と戦ってたし……死にかけても灰になる感じもねぇし……お、お前は淫魔じゃなかったって、認めてやるよ。だから、その……オレ……」
そこまで言ってガルはパッと顔を上げる。
「が、ガル!?」
ガルは大きな目からボタボタと透明な梅干しみたいな大粒の涙をこぼして嗚咽し始めた。それはまさしく、自分のやってしまった失敗を先生に告白する幼稚園のように。幼女特有のぷにぷにのほっぺをいく筋もの涙が伝う。
「おで……ぇぐ……おまえのごど……こどぞうどじで……ごべんだざぁぁあああああうあ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁぁ!!」
さっきまでと同じ人間とは思えないくらい顔をぐちゃぐちゃにしながら謝ってくる。そんなんになりながらも瞳だけはしっかり俺の目を見てるんだから。なんだ、面倒くさい奴かと思ってたけどただのいい子じゃんか。
「ガルさん、ガルさんは……」
反射的にフォローしようとするアナを止めて、俺もちゃんとガルの目を見つめ返す。ガルもそれに気付いて静かに俺の言葉を待つ。
「馬鹿野郎、俺が死ぬかどうかなんてどうだっていいんだよ。俺にとっちゃガルが無事に戻ってきたことが全てだ」
クサいセリフではあるが、嘘はついていない。実際俺は死んでもどっかで生き返るんだからガルの命の方がこの世界では大切だ。
「そんなの……」
「納得できないか? じゃあ、ちょっとこっちこい」
俺が呼ぶとガルは借りてきた猫のように四つん這いで近寄ってきて、しおらしく正座した。素直になりすぎて面白いがここで笑ったら雰囲気が壊れるから我慢だ。
「もう少し顔を前に出せ」
「か、顔を? ……ん」
殴られると思っているのか、目をぎゅっと瞑って歯を食いしばってスタンバイしている。俺はそのまま何も言わずに生きている右の手を動かして、ガルのおでこに思いっきしデコピンをした。
「ふぎゃっ!」
まさかおでこに攻撃されるとは思ってなかったのか、ガルは踏まれたような声を上げて文字通り飛び上がった。多分今溢れた涙は痛みのせいだろうな。
「これでおあいこだ。もうこの話は終わり」
「うぇ? ……で、でも」
「でももへったくれもなし。分かったらアナのことを手伝ってやってくれ。俺が手伝えない分お前が頑張るんだ。分かったな」
「ぐるる……分かった! 分かったぜ! 俺ならお前より百倍役に立てるってこと証明してやるんだからな! ……というか俺に指図すんな!」
完全に納得していたわけではないようだが、いつもの調子に戻ってひとまずは安心だ。これで今まで以上に心強い仲間となってくれるだろう。
「……そろそろ日も暮れる。野営の準備をしてもらうぞ」
バプラスの一声でそれぞれ馬車を後にする。静かになった馬車の中で俺はこのメンバーでよかった、なんてしみじみと振り返ったりするのだった。
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