スタートライン

「はぁ、やっと着いた」


 聖水を手に入れた俺たちは何度目かの山登りをしていた。当然例のドアをこじ開けて淫魔石を破壊するためだ。


「こいつを撒き散らせばいいのか?」


「ああ」


 イルナが言うなら間違いない。聖水を入れてもらったボトルを取り出し、栓を開けて中身を禍々しい扉に振りかけた。


 ……扉はうんともすんとも言わないが、これで本当に良かったんだろうな?


「何も起きないじゃないか」


「一度開くか試してみたらどうです?」


 確かにアナの言う通り既に結界が解かれて開くようになっているのかもしれない。扉の片側を体重をかけて中に向かって押した。


「あ、開いた」


 扉の重厚感の割りに軽くて、危うく向こう側に転がり込みそうになった。聖水の効果はてきめんだったらしい。


「よっしゃ、これで中にある淫魔石を破壊すれば任務完了と」


 ボスモンスターも倒して淫魔を一匹も見かけていないので、意気揚々と中に突入していく。


 ……洞窟の奥に何やら光るものがあった。紫のような黒のような、現実世界のブラックライトの光にも似た光を放つ五十センチ大のクリスタルのようなものが台座の上に浮遊していた。


「あれか」


「なんかきれー!」


 クララの言う通り、悪いものだとは分かっているけどちょっと綺麗だと思ってしまうな。だとしても躊躇なく破壊しなきゃいけないけど。


「随分と遅い到着だったわね」


 っ!? 突然洞窟内に響く女の声……誰の声だ!? うちのメンバーの声じゃない……。


「ここよ、ここ」


 さっきまでいなかったはずなのに、淫魔石の傍らに誰かが立っているのが見えた。胸と局部しか隠れない露出度の高い黒い服、羊のようなツノ、そしてうねうねと動く黒い尻尾。


「上級淫魔か……!?」


「あら、ご明察。私はサキュバスのレオーナよ」


 そいつが答え終わるより先にイルナが抜刀して切りかかる。……だがその刃はレオーナに届かなかった。というか、イルナの身体は石のように固まってしまった。


 ……っていうか俺の身体も動かなくなってるじゃねえか! 声も出ねえ。……あいつの魔法なのかこれ。


「簡単に首を斬らせてあげるわけないでしょう? 私、こう見えても強いのよ?」


 レオーナは固まったイルナの顔や首をなでるように触ると悪戯っぽく笑う。こいつ、俺たちで遊んでやがるな……。


 ん? 今度はこっち向いたぞ。俺、この場で殺されるんじゃないか……?


「あなたとはまたすぐに会えそうな気がするわぁ。その時はよろしく、ね?」


 俺の耳元でそう囁いた。方がぞわぞわっとして鳥肌が立つ。……決してASMRで気持ちよくなったとかそういうことじゃないからな!! 殺されるかと思って怖いからだからな!!


「……うわっと」


 急に体が自由になったせいで体に力が入らなくてよろける。すぐに周りを見渡してみたが既にレオーナの姿は見えなくなっていた。


「チッ」


 レオーナを仕留めることができなかったイルナはバツが悪そうにレイピアを鞘に仕舞う。攻撃すらもさせてもらえない……これが上級淫魔の力か……。


「一体私たちの前に来て何がしたかったんでしょうか」


「きっと牽制のつもりだろ。これ以上動くなよ、っていう」


 その割には「また会おう」みたいなこと言ってたけど。場合によっては単にからかいたいだけとかいう可能性もあるのか。バトルものにいるよな、そういう敵キャラ。


「まあいなくなったわけだし、一旦忘れて先に淫魔石壊そうよ」


 ジータに言われるまで忘れていたけど、そういやあ今日は淫魔石を壊しに来たんだったな。レオーナもどうせ来るなら淫魔石を守ればよかったのに。ますます何がしたかったのか分からん。


 近くによると淫魔石はより怪しく見える。一応はリーダーとして俺が代表として剣を引き抜いて、恐る恐るではあるが淫魔石を斬りつけた。


「おりゃっ」


 カンッ、と乾いた音がして黒い水晶の表面にひびが入っていく。そして粉々に砕け散ると、淫魔たちと同じように光の塵と化して空気中に溶け込んでいった。


「……これでいいんだよな?」


「はい! これで勇者様としての責務を果たせましたね!」


 アナが嬉しそうににっこりと笑って告げる。なるほど、これでやっとチュートリアルが終わりってわけだな。ここが俺のスタートラインってわけだ……!


「早く村に帰ってみんなに報告しましょう!」


「すぴー」


 俺たちは喜び勇んで山を駆け下りて村へ帰還するのであった。


 ……ジータの背中にいる寝てる子は連れてくる意味なかったろ絶対。

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