棺の中で夢を見る

「ひいい、なんか頭の中に見たこともない映像が流れてきて、これ、何か階段上がってきてますよね!? 幽霊? 幽霊ですか? その、心中事件を起こして自殺したっていう長女の!? 私たちの頭も、かち割ろうとしてるんですか!?」


「頭をかち割ろうとしているのかはともかく、幽霊なんて気配ではないな。おそらく長女は、事件を起こす前からこいつに巣食われていたのだろう。多分こいつは寄生虫のように長女の中で育ち、長女を殺して外に出てきた……まあいい、来るぞ」


「何もよくないです! 来させちゃダメですから、ぜったいぜったいにダメですから! 来させないで杠葉ゆずりはさんがどうにかしてください!」


 恐怖と緊張でいっぱいいっぱいになってしまい、思わず私は杠葉さんにしがみつく。


「おい、邪魔をするな! 離せ――なっ!?」


 もみあっているうちに杠葉さんが指の間に挟んでいた霊符れいふがするりと抜け落ちて、開いたままの窓から吹き込んだ風により離れたところに飛ばされていってしまった。

 般若はんにゃみたいな形相ぎょうそうの杠葉さんが、ぎろりと私をにらむ。


「お前……!」


「わ、わわざとじゃないんです、ほんとです! あ、あう、ごめんなさい! なんでもしますから怒らないでください!」


「ならばさっさと、俺の術が必要になる前にあいつをはらってこい!」


「はっ、はい!」


 人型をした黒いもやの頭部が、階段の下からぬるっと出てきた。

 うんぬばと戦った後に、まだうんぬばがただの靄だった間に消滅させてしまえばよかったなと後悔したことを思い出して、だったら今回はこれ以上怖い思いをさせられる前にやっつけてしまおうと考えた私は拳を振り上げて階段に向かって走る。

 そして、勢いを殺さずに階段の下り口へと駆け込みながら、思い切りパンチを放つ。


「そりゃあっ!!!」


 ――あれ?

 怖いからあんまり見たくなかったし、パンチをすることに集中していて気づくのが遅れてしまったが、よく見ると人の形をした靄は階段に這いつくばっていた。

 てっきり私は、わざわざ人の形をしているのだから靄は直立二足歩行で、人と同じような姿勢で階段を上がってきているのだと思い込んでいたから、ついパンチしてしまったが……これじゃ当たらないぞ!?


 私の拳が靄の上空をつらぬく。

 そのまま、ダガガガッゴンッと凄い音を響かせて階段を転がり落ちた私は、一階の床に激突して仰向けに倒れる。

 階段の上にいた黒い靄が、這いつくばったまま四本の手足を虫のように動かして、ダダダダダダダダッと階段を後ろ向きに駆け下りてくる。

 背中を打ってしまい痛みにあえぐ私の口を目掛けて、人型を崩した黒い靄が一気に流れ込んできた。



◆◇◆◇◆◇< 杠葉視点 >◆◇◆◇◆◇



 ただの人間ならば死んでいてもおかしくなさそうな物凄い音を立てて、ヤマコが階段を転げ落ちていった。

 あいつはいったい、どういうつもりなのだろうか?

 どこまでが本気なのかがわからない。何も知らないのかと思いきや、さりげなく俺が必要としている情報を差し込んできたりもする。少なくとも、あれだけの妖力ようりょくを持った大妖おおあやかしなのだから、かなり長く生きているはずだ。当然祓い屋のような連中や、他の大妖とかかわることだってあったはずである。やはり、何も知らない振りを――馬鹿の振りをしているのだろうか?


「……だが、今こうして階段を転がり落ちることに、どんな意味があるんだ?」


 首をひねる俺の脇で、白髪毛しらばっけもまた、ぽかんとした顔で階段の方を見ている。俺と一緒で、やはりヤマコの奇行を理解できないでいるのだろう。

 ヤマコがなかなか戻ってこないので一応様子を見に行こうかと思ったところで、ギシ……ギシ……と、何者かが階段を上がってくる音が聞こえてきた。

 大妖が階段から落ちたくらいで死ぬはずがないので心配はしていなかったが、戻ってくるまでにずいぶんと時間がかかったな。下で何かしていたのだろうか?


「無理やりおいしくない物を食べさせられたわらわの気持ち……お前さまは理解しているのでしょうか、お前さま」


 よくわからない独り言を言いながら階段を上がってきたヤマコは、いつもよりもずっと邪悪な気配を身にまとっていた。

 以前、山でヤマコに睨まれた時を除いて、怯えを見せたことがない白髪毛が「ヴウウウッ」といううなり声を上げる。


「あら、あら? 白くてぷっくりとしていて、おもちのようでおいしそうだこと」


 白髪毛を見つめて、そんなことを言ってくすくすと笑うヤマコに俺はたずねる。


「どうした? 下で何かあったのか? お前はいつも様子がおかしいが、いつもと比べても一際ひときわ様子がおかしいぞ」


「わらわは美味なる物を好みます。特に甘味を好みますが、高級ステーキとやらも食してみたいと思うのですよ、お前さま……」


 は……? もしかして、さっき高級ステーキに連れて行けとヤマコに言われて、俺が断ったからか……?

 たったそれだけのことで、これほどまでに邪悪で、凶悪な気配を振りいているのか、こいつは?


「……わかった、いいだろう。最初からお前ほどの大妖を、式神として完璧にぎょすることができるなどとは思っていない。その態度は、もはや脅迫のようなものだが……今回ばかりは俺が折れてやる。あのよくわからないあやかしも、きちんと祓ったようだからな。その褒美ということで、高級ステーキをおごってやろう」


 そう言い終わるか言い終わらないかのうちに、ヤマコから発せられていた圧力のようなものが突如とつじょとして霧散むさんした。そのあまりの切り替えの早さには驚く他にない。


「えっ!? いいんですか!? やったー!」


 なんて現金なやつだろうか。いつもの間の抜けた雰囲気に戻り、両手を上げて喜ぶヤマコを見ていると、正直言って殴りたくて仕方がなかった。



◆◇◆◇◆◇< 山田視点 >◆◇◆◇◆◇



「――あのよくわからないあやかしも、きちんと祓ったようだからな。その褒美ということで、高級ステーキを奢ってやろう」


「えっ!? いいんですか!? やったー!」


 なんだなんだ!? わけがわからないけど、とにかくやったぞ!

 階段から落ちて、靄人間が私の口に入ってきたところまでは覚えているのだが……そのあとって、どうなったんだっけ?

 夢の中でスイちゃんに、「ヒトの身でこれを飲み込んだら死にますよ、お前さま。仕方がありませんから、わらわが食してさしあげますが……無理やりおいしくない物を食べさせられたわらわの気持ち……お前さまは理解しているのでしょうか、お前さま」などと叱られたことは覚えているんだけどな。

 でも、まあいいか。

 そんなことよりも、杠葉さんに高級ステーキを奢ってもらうのが今から楽しみでならない。


「スッ、テーエキー♪ スッ、テーエキー♪ なんて素敵なスッテーエキー♪ ……あれ? 杠葉さん? なんか人殺しみたいな目つきになってますけど、どうしたんですか?」


 なんだろうな、自分から奢ってくれるとか言い出しておいて、なんでそんなに怖い顔で私を睨むのだろうか?

 しかし、どんな味がするんだろうな、高級なステーキって。うちはあまりお金がなかったし、今まで高級なステーキって食べたことないからな。よくテレビとかで噛む前に溶けちゃうとか言ってるけど、あれって本当なんだろうか? でも、私はお肉は脂よりも赤身の方が好きなんだよな。となると、やっぱりヒレの……えーっと、なんだっけ、あれ? シャンペーンじゃなくて、ガトーショコラじゃなくて……えーっと、えーっと――シャト〇ーゼ? とにかくあれが食べてみたい。


「おい、いつまで踊っている? ひとまず外に出るぞ、杏子あんずが心配しているだろうしな。それに東根ひがしねが失踪した原因と思われるあやかしを祓ったのだから、改めて東根を探さなければならない」


「はーい! スッテーキ!」


「黙れ、それ以上ステーキと言うな。これは命令だ」


 杠葉さんはいったい何を怒っているんだろうな。それとも、こういう態度は全部照れ隠しなのかな?

 急に高級ステーキを奢ってくれるだなんて自分から言い出すくらいだし、杠葉さんが私に惚れてしまっているというのはもう間違いないもんな。

 なんというか、思っていたよりも初心うぶな人だったようだ。


 照れ隠しが止まらない杠葉さんが「先に行け」と命令してきたので、先頭に立って階段を下りる。いくら照れ隠しとはいえ、こんな風に好きな女の子をいじめていたら絶対にモテないだろうな。


 階段を下りると、さっき入った蔵の一階とは様子が違っていた。

 というか、わかりやすくひつぎのような物が一つ、中央に鎮座ちんざしている。

 私はそれを指さして、後ろにいる杠葉さんに言う。


「ゆ、杠葉さんあれ、あれ! 棺です、棺!」


「何……?」


 杠葉さんが手にしていた懐中電灯で棺を照らす。

 そして、すぐに「違うな」と言った。


「多分それは長持ながもちだ。一昔前まで衣類などの収納としてよく使われていた道具で、うちの納戸なんどにもいくつかある」


「え、そうなんですか? で、でも、棺じゃないにしても、中に何が入っているかもわかりませんし、なんか怖いですね……」


「お前ほどの妖力があれば何が起こっても安全だろう。いいから開けてみろ、丸まれば人間が入れそうな大きさだし、一応中を確かめておきたい」


「あ、あのですね、さっきはステーキが嬉しすぎて――ひっ!?」


「その言葉を口にするなと言ったはずだ」


 また殺人鬼みたいな目つきで睨まれてしまった。

 本当に何なのだろうか? たとえ照れ隠しだとしても、好きな女の子を睨みつけるのはやっぱり良くないと思うぞ。


「えっと、えっと、さっきは嬉しさのあまり、気づかなかったんですけど……なんか、背中が凄く痛いんですよね、今。多分、階段から落っこちたときにぶつけたんでしょうけど、だんだんと痛くなってきていて……なので、この長持? のちょっと重そうなふたを開けたりするの、痛そうなんで嫌なんですけど」


 いやもう、ほんとに背中を少しでも曲げたりひねったりすると、なんか背中の右側が痛むのだ。痛むせいで、そのたびに呼吸と足が止まってしまうのだ。


「嘘をつくな。あの程度のことで、お前ほどの大妖が怪我などするわけがない。いいからさっさと開けろ」


「うう、嘘じゃないのに……杠葉さんのバカ」


 私は泣きそうになりながら、長持の重たい蓋を両手で「よいしょ」と持ち上げる。

 長持の中に、ベージュ色をしたボディラインを強調するニットワンピースを着て黒いタイツを履いた、明るい茶色のセミロングヘアの、凄くエッチな体をした美女が丸くなっていた。

 くりっとした猫目は開かれており、とび色の瞳がじっと私の顔を見つめている。鼻筋は綺麗に通っていて、桜色の唇はグミみたいにぷっくりとしていた。


「ほう……、これは興味深い。何とも美しい瞳だね」


 ハスキーな声でそう囁いて、長持の中で起き上がった女が両手を伸ばしてきて、私の頭をつかんで固定する。閉じられないようにするためか、まぶたも指で押さえられた。

 ゆっくりと女の美貌が近づいてくる。

 長持の蓋を支えている両手は使えないし、背中が痛いせいで首を反らすことさえままならず、私は抵抗できない。

 そんな私の眼球を、女の妙に長い舌が、レロレロ、ピチャピチャと音を立ててねぶる。左の眼球も、右の眼球も、交互に何度も、じっくりと。


「お前が東根だな? とりあえず、うちの式神の目玉を舐めるのはよせ」


 長持を開けたら女がいたという段階から驚きの連続で、なんだか夢を見ているような感覚というか、思考が働かずにどうしたらいいのかわからなくなっていた私だったが、背後から杠葉さんの声がしてようやく正気に戻った。


「――えっ!? 東根先生!? これ、妖怪じゃないんですか!? いやっ、やめて、舐めないでください、ちょっと!?」


「んっちゅるぅ……その目だが、二つもあるのだから一つ私に譲ってくれないか? 私の目玉とでよければ、交換するのでも構わないが」


「い、嫌ですよ! ダメです、痛そうですし片目が見えなくなっちゃうじゃなないですか!? そりゃあ私だって、できれば普通の目の方がいいですけど……あ、あの、ほんとにあなたが東根先生なんですか? ホラーミステリ作家の? う、嘘ですよね?」


「ああ、いかにも。私が東根錦だよ。とはいっても、もちろん本名ではないがね」


「そ、そんなっ……!? 私の中の東根先生は、クマが濃くて無精ひげが生えててガリガリに痩せててひどい猫背で何年も切ったことのない長い髪を適当に結わえてヨレヨレのずっと洗ってないボロを着たお風呂にも入っていない汚いおじさんだったんです! なのに東根先生が実は美人でエッチなお姉さんとか、その、解釈違いといいますか、突然すぎて受け入れられません!」


「ふむ。君の言っていることもわからなくはないが、しかし、これが現実なのだから仕方がないだろう? 私に汚いおじさんになれとでも言うのか? まあ、そうすることで君の眼球を一つ貰えるというのであれば、努力はしてみるが……」


 うう、珍しい色をした私の眼球に物凄くこだわっているあたりが凄く本物の東根先生っぽいが、でも、だけど、やっぱり認めたくない。


「だ、だいたい、首と腰に持病があるとか飯尾いいおさんが言っていましたし、やっぱりお年寄りを想像するじゃないですか! なんでそんなにぴっちぴちなんですか!?」


「作家というのは座り仕事だからな、首や腰というのは痛めやすいんだ。それに若く見られて悪い気はしないが、私はそれなりに年寄りだよ。肌艶がいいのはそれだけ気を使って、お金と時間をかけてケアしているからだな」


いわくつきの棺に入ったりしちゃう人が、なんでそんなに美容に気を使っているんですか!?」


「それとこれとは別だよ、女というのはいつまでだって若く綺麗でいたいものだろう? でないと、さくらんぼも食べられなくなってしまうじゃないか」


 さくらんぼ……? そういえば何かの雑誌で、記者から好きな食べ物を聞かれた東根先生がさくらんぼと答えていた記憶がある。

 うう、私の中のイメージと違いすぎていて受け入れがたいけど、やっぱりこの人が東根先生なんだ……。

 でも、若く綺麗でいないとさくらんぼが食べられなくなるって、いったいどういう意味だ? 東根先生は頭が良いから、実は何か深い意味があるのかもしれないがよくわからなかった。


「えっとえっと、そもそもですね、東根錦なんて名前、女の人だなんて思わないじゃないですか! そもそもそれが悪いんですよ、なんでそんな男の人っぽい名前にしたんですか!?」


「私はさくらんぼが好物でね、特に君くらいの年頃の、未成熟なさくらんぼが。さくらんぼといえばやはり佐藤錦だろう? だが、さすがに品種の名前そのままというのもどうかと思って、佐藤錦が生まれた地、東根を苗字に使ってみたのさ」


「うっ、うう……! ゆ、杠葉さんはもしかして、東根先生が女性だってこと知ってたんですか!?」


「当たり前だろう。顔写真なども含めて、飯尾から事前に情報を受け取っている。性別もわからない相手を探すわけにもいかないだろう?」


「なんで教えてくれなかったんですか!? 私だって事前に知っていれば、ここまで、なんかこう、失恋みたいなショックを受けなかったかもしれないのに!」


「別に隠していたわけではないが、お前は東根のファンなのだから俺よりも詳しいかと思っていたし、聞かれもしなかったからな」


「うぬぬ……!」


「さっきから何を怒っている? 無事にかはまだわからないが、とりあえずお前の好きな東根が生きて見つかったのだから良かっただろうが」


「わ、私の初恋だったんです! なのに、なのに東根先生の正体がこんなエッチな体をした痴女だったんですよ!? なんですかこのボディラインを強調したエッチな服は!? 犯罪ですよ犯罪! 下品です、受け入れがたいです!」


「ずいぶんな言われようだが、男か女かなんて些細なことだと私は思うがね。なんなら、今晩私と二人で過ごしてみるか? 私が忘れられない夜にしてあげよう」


「もうすでに忘れられない夜になってますよ! ううっ、私の東根先生が痴女だったなんて……」


 私はめそめそと泣きながら、長持ちの蓋を下ろす。

 蓋に潰された東根が「こら、よせっ、痛い痛い」とか騒いでいたが、知ったことではなかった。

 自ら蓋を開けて長持から外に出てきた東根に、杠葉さんが訊ねる。


「結局、ここで何があったんだ?」


「ふむ……どこから話したものかな」


 そう言うと東根は手櫛で髪を整えて、おもむろに腕を組む。ただでさえ大きな胸がより強調された。なんて嫌な女なのだろうか、Aカップしかない私への挑戦か? ……さすがに分が悪すぎるので、受けては立たないぞ。


「実は私には、ホラーミステリ作家の他にものろやぶりに人形師、古物商に呪物じゅぶつ蒐集しゅうしゅう家といったいくつかの顔があってね。今回この場所にやって来たのも、取材というのは建前で、本当は蒐集家として『棺』を持ち帰り、私のコレクションに加えようと思ってのことだ。取材と嘘をついたのは、そう言っておけば飯尾という男手が手に入るからだな。やつに棺の運搬をさせようと思っていた」


 え、曰くつきの廃墟にある、曰くつきの棺を自宅に持ち帰ろうとしていたのか……エピソードはヤバいが、だからこそなんだかちょっと安心するな。たとえ美人でオシャレでおっぱいが大きくても、東根先生はやっぱり東根先生なんだなって思えてくるというか……。

 杠葉さんが凄く嫌そうな顔で、東根先生に言う。


「知っているとは思うが、廃墟になっているからといって、他人の敷地にあった物を勝手に持ち出せば泥棒だ」


「法を犯すことを躊躇ためらうようでは呪物の蒐集なんてできないさ。私は欲しい物を手に入れるためならばなんだってするよ」


 ああ、ヤバいことを言っているが、これでこそ東根先生だという感じの欲望にまみれたセリフだ。いいぞ……! 何がいいのかは私にもわからないが!


「そんな蒐集活動を長年続けてきただけあって、今回もそこそこの備えはしていたんだ。しかし、今晩君たちが来なかったら多分私は死んでいただろう。今度ばかりは肝が冷えた……君たちの口ぶりから察するにどうやら飯尾から色々と聞いてきたようだが、どこまで聞いている?」


「お前と飯尾が取材という名目でお札の家を訪れて、ついでに入った蔵でお前がいなくなり、警察も呼んでしばらく探したが見つからなかったという程度の話しか聞いていない」


「ふむ、そうか。本当は棺が目的だったから、お札の家こそついでだったのだが……飯尾が先に蔵を出たあと、蔵の一階にそれまではなかったはずの二本目の階段が現れたんだ。二階もすでに見ていたし、蔵の構造からしても明らかにおかしかったんだが、下から覗いてみるとスペアの階段を置いてあるだけなんてこともなく、ちゃんと上の階に続いているようだった。ヤバいかもしれないとは勿論もちろん思ったが、それと同時に、この機会を逃せばもう二度とこの階段は現れないかもしれないとも思って、我慢できずに上ってしまった」


「なぜ外にいた飯尾に一声かけなかった?」


「そんなことをしたらあの臆病者は私を止めようとするだろう? そうしたら、その間に階段が消えてしまうかもしれないからな。あえて何も言わなかった」


「勝手だな」


「そういう女なのさ。話を戻すが、現れた階段を上ってみると、なぜかこちらの蔵の二階に繋がっていた。その時は年甲斐もなく気分が高揚してしまってね、たった今起きた不可思議な出来事を誰かと共有したくて、窓を開けて飯尾を呼んだんだ。『おーい!』とね。だけど、いくら叫んでも飯尾はこちらを見もしない。それで電話してみようと思ったが、なぜかスマホの電源が落ちていて、それきりつかないときた。少し焦った私は蔵を出て、へいのそばまで行って飯尾を呼んだよ。しかし、やはり飯尾には私の声が聞こえていないようだった。それから塀を乗り越えるために踏み台を作ろうと思って蔵の荷物を漁ってみたが、この蔵にはこの長持のように極端に重たい物しかなくてね。腰の悪い私には蔵の外に出すことさえできなかったよ。当然ながら食べる物もないし、もしかしたらかなりまずい状況なんじゃないかと思ったが、もはやどうすることもできなかった」


「なるほどな。はっきり言って全部自業自得だと思うが、なぜ今晩で死ぬと思ったんだ?」


「スマホがつかなかったから正確な時刻はわからないんだが、実は毎日、深夜の多分同じ時間にオバケがやって来ていてね。その度に用意してきていた紙人形を身代わりにして、私はこの長持の中に隠れて、古い銀貨を舌に載せて息を止めてやり過ごしていたんだが、昨晩最後の紙人形を使ってしまったからな。新たに用意しようにもこの蔵には必要な道具がなかったし、今晩で終わりかなと思っていたのさ」


「そういうことか。ならば、やはり急いで正解だったな。どこかの自称東根ファンが明日から捜索を開始すればいいと主張していたが、それでは手遅れになっていたわけだ」


「うっ……すみませんでした」


 私は素直に謝罪した。さすがに言い返しようもなかった。

 すると突然、東根先生が恍惚こうこつとした表情で言う。


「寒いから、この長持の中で眠っていたのだが……面白いことに、この中で寝ていると蛇みたいな物が尻を這うんだ。驚いてとっさにそれをつかむと、つかめるし、手の中でそれがウネウネと暴れている感触もする。だけど、目を開けると何もない。その瞬間につかんでいた感触もなくなるんだ。そういったことが毎晩、何度もあったんだが、実に不思議な体験だったよ。これもあとで家に持ち帰りたいな」


「え、怖……」


 私なら絶対に持って帰らないし、なんならこの場で燃やしてしまいたいくらい嫌だけどな。というか、一度でもそんなことがあったら、もう多分この長持では眠らないと思う。

 うん、さすが東根先生だな。


「ちなみに、俺はまだ現物を見ていないのだが……飯尾は四つ並べられていたという木箱を棺と呼んでいたが、実際のところは何だったんだ? 話を聞いて俺は長持ではないのかと疑っていたのだが、どうやらお前は長持を知っているようだ。本当に長持ではなく、棺だったのか?」


 杠葉さんの質問を受けて、東根先生がにやりと、蛇のような嫌らしい笑みを浮かべた。


「どういう用途を想定してあの木箱が作られたか、という話をするならば、君が推測した通りだ。確かに長持だったよ。大きさの違いから察するに、きっと生前は家族一人につき一つという形で、それぞれの衣服や布団などをそこに仕舞っていたのだろうなと思った。だけど、最終的にどういう使われ方をしたか、という話でいえば、あれらは間違いなく棺だった。少なくとも、あそこにああして並べた誰かはあれらを棺に見立みたてていたし、長女の中から出てきたのだろうあのげ臭いモヤモヤオバケくんもそれを棺と認識していたよ。勿論オバケくんから直接聞いたわけではないが、そうとしか思えないようなイメージが頭に流れ込んできた。私が思うに、家族が暮らしていた家に魔除けとするはずの鏡を奇妙な配置で貼りつけたのも、長女の中にオバケを巣食わせたのも……おそらくオバケの力を維持する目的で、家族の長持を棺に見立てて中に布団一枚だけを敷いて並べたのも、同一人物だ。大方、親族だろうな。ここに住んでいた家族の誰しかか、もしくは全員に恨みがあったのか、それともただ単に利用しただけなのかはさだかではないがね」


「なるほど。嫌な話だが、ありそうな話だ……ふむ、大体の事情は把握できたし、同行者を待たせているから、とりあえず外に出るぞ。依頼人の飯尾にも連絡したいしな」


 きびすを返して蔵の入り口に向かおうとする杠葉さんに、東根先生が背後から問いかける。


「ふうん。こういう話はお嫌いかい?」


「普通は嫌いだろう。お前のようなやつは例外だ」


 杠葉さんが足を止めて振り返りそう言うと、東根先生のにたにたとした笑みがいっそう深まった。

 狐のように目を細めて、東根先生が杠葉さんに訊ねる。


「もしかして、家族や大切な人が呪殺じゅさつされたことがあるのかな? そういった話があるのなら、できれば詳しく聞かせてほしいな」


「……そんな話があったとして、他人に話したいと思うか? せっかく生き延びたんだ、わざわざ人の嫌がることをして怒らせるべきじゃないな。今ならばお前を殺して、飯尾にはすでに死んでいたと報告することもできる」


「君のような冷静に見えるタイプの人間が、そこまで言うほどに触れられたくない記憶か、ますます気になってしま――がッ……!?」


 いきなり杠葉さんが、東根先生の細い首を思い切りつかんだ。


「えっ、ゆ、杠葉さん!?」


「仕事だから助けたが、俺はお前のような、たかが好奇心で他人を傷つけてそれを何とも思わないような人種は嫌いだ。呪い破りとしてのお前の腕がいかほどかは知らないが、俺とて若くとも冷光れいこう家の当主だ。俺の呪詛じゅそをお前が破れるか、試してみるか?」


 そう言って、杠葉さんが東根先生を離す。

 東根先生はほこりまみれの床に膝をついて、ゲホゲホと咳き込んだ。


「ゴホッ――っはあ、はあ……ふふ、君こそ調子に乗りすぎているぞ。冷光家か、確かに名門中の名門だな。その当主ともなればさぞかし知識は豊富なのだろうが、呪いをんでいるような若造に、私を害せるような呪いなんて使えやしないさ。これでも私はその道のエキスパートなんだ、気になるようなら好きなだけ試してみるといい」


 ええっ!?

 なんだなんだ、どういうことだ!?

 なんだかよくわからないが、急にキレた杠葉さんが東根先生の首をめて脅して、怒った東根先生が杠葉さんに言い返して、二人が一触即発といった雰囲気で睨み合っている。

 なんで急にこんな展開になっちゃったのだろう?

 とにかく二人とも引きそうにないし、ここは私が止めないとまずいかもしれないぞ。


「ま、待ってください! 落ち着いてください! 何がなんだかなんにもわかりませんけど、私は杠葉さんのことも、東根先生のことも全部じゃないけど好きです! 仲良くしてください!」


 二人の間に割って入って私がそう叫ぶと、杠葉さんが東根先生に「……次はないぞ」と小声で言って、後ろを向いた。なんか負け犬っぽい。

 東根先生が「くふっ」と笑う。


「可愛いことを言う、可愛い女の子じゃないか。いや、申し訳なかった。確かにご当主サマがおっしゃったように私は相手の気持ちよりも、自分の好奇心を優先してしまう。良くないことだとわかっていても、抑えられないのさ。けれど、私は呪い破りとして誇りを持っている。だから私は人を呪ったことは勿論、呪い返しだって一度もしたことがない。それだけは覚えておいてくれ」


「可愛い女の子って――まったくもう、東根先生ったらお上手なんですから、えへへ。とにかく、二人が喧嘩けんかにならなくてよかったですよ」


「さっきまで君は私が美女だった事実を受け入れられないと言っていたが、改めて好きだと言ってくれたのだから、その問題はすでに解決したのかな?」


「ええと、はい。ずっと汚いおじさんだと信じていた東根先生が実は綺麗な女の人だったなんて、最初は認めたくなかったんですけど……でも、先生と杠葉さんが話しているのを聞いているうちに、やっぱり東根先生は東根先生なんだなって思えてきて、だんだんと受け入れることができたといいますか……」


「ほう。素直で、可愛らしいことを言うな。しかし、君たちは私のことを知っているらしいが、私は君たちのことを知らない。そこの男は冷光家のご当主サマらしいが、君は何者だ? 実を言うと、今までに感じたことがないほどの妖力を君から感じるのだが」


 今度は私に興味を持ち始めた東根先生に、杠葉さんがそっけなく言う。


「これはうちの式神だ、名をヤマコと言う」


「なるほど、冷光の式神か。これはさすがに規格外だな、私には壊し方が思いつかん」


「俺にも思いつかないし、おそらく人には壊せないだろう」


「ふむ、なんとも羨ましい限りだ。しかし、これだけのモノを手に入れてしまったら、よその連中が怖いな。今回は助けられたし、君が呪殺されそうになった際には手を貸してやるから連絡してくるといい。呪い返しは行わないが、呪い破りとして君にかけられた呪詛をなかったことにはできる」


 東根先生が名刺のような物を指でピンとはじくと、なぜか一直線に杠葉さんに向かって飛んでいった。

 それを危なげなく二本の指で挟み取った杠葉さんが、ついさっきは東根先生の首を絞めていたくせに、まんざらでもなさそうな様子でお礼を言う。


「そうか。優秀な呪い破りが味方についてくれるなら、心強い」


「ふふ、私を殺さないでよかっただろう? それでだな、実はかねてより冷光が所有している資料や呪物には興味があったんだ。ほとんどは焼けてしまったと聞くが、いくらかは残っているのだろう? 何も門外不出の物までを見せろとは言わないから、近いうちに見に行っても構わないだろうか?」


「いざという時に呪い破りとしてうちに援助してくれるというなら、そのくらいは構わない。だが、見せられない物は見せられないぞ」


「ああ、それで構わないさ。仲良くしようじゃないか、君の可愛い式神もそれを望んでいるようだしな」


「俺には、こいつが何を考えているのかはわからないが……とりあえず、いい加減外に出るぞ。お前だって何日もここに閉じ込められていて、ろくに食事もとっていないのだろう?」


「ああ、まったく食べていない。外におけを置いて、雨水を溜めて舐めてはいたがね。ちなみにこの蔵の裏手で排泄をしていたんだが、恥ずかしいからそっちは見ないでくれるとありがたい」


「そうか。ならばヤマコに確認させるとしよう」


「えっ!? なんでそうなるんですか!?」


「この女はどこか俺の母親に似ている。こういう女は平気で人を騙すからな、何かよくない物を隠しているかもしれないから、確認が必要だ」


「ええっ……?」


「本当に彼女が言うような事情だったら、男の俺が見に行くのは良くないだろう? 妖怪とはいえ、一応は同性であるお前が適任だ」


「うー、わかりましたよ……」


 そんなやり取りをして、蔵から外に出る。ちなみに蔵の入り口は閉まっていたが、鍵はかかっていなかった。(なお、蔵の裏手を私一人で見てきたが、東根先生のものかもしれないウ〇コしか見つからなかった。)


 塀と塀の間を塞ぐ、分厚い鉄板を前にして、杠葉さんがバッケちゃんに命令する。


「鉄板を壊せ」


 こくりと頷いたバッケちゃんが左手を真横に伸ばし、左膝と右手を上げて、右足一本でつま先立ちをする。

 あのポーズは――さっき移動中の車内で見ていた魔法少女アニメの必殺技、『恋のポップコーンパーティ』のポーズだ!

 私がそう理解すると同時に、バーーーンッという轟音が鳴り響いて鉄板が粉々に砕け散った。妖術ようじゅつが使えると魔法少女ごっこもできるんだな、今のを見たら私も妖術が使えるようになりたくなってきたぞ。


「そのポーズはいったいなんだ?」


 眉間にしわを寄せて、杠葉さんがバッケちゃんに訊ねる。

 私が答えるよりも先に、東根先生が答えてくれた。


「なんだ、知らないのか? 今のは日曜の朝に放送している『恋はマジック☆』の主人公、夢河ゆめかわこいが闇堕ちした親友の最川さいかわれいを救う際に初めて使用した必殺技、『恋のポップコーンパーティ』のポーズだ。ちなみに麗が闇堕ちしたきっかけは失恋で、しかも麗を振った少年は主人公の恋に恋していたんだが、『みんなも一緒にはじけちゃお☆』という掛け声から放たれる『恋のポップコーンパーティ』は麗の初恋がはじけて消えたという意味にも取れて闇を感じると、大人のファンの間では好き嫌いが分かれる必殺技だな。無論、私は好きだが」


「凄い……! 東根先生が私の好きなアニメの、私の好きな必殺技を語ってる……! 私の好きな作家が、私の好きなアニメを好きだなんて、なんか尊いっ……!」


 美女な東根先生も一度受け入れてしまえば意外と良いものだな。実際、なんとなく汚いおじさんだろうと決めつけてしまっていただけで、よくよく考えると私だって汚いおじさんが好きってわけじゃないしな。なんで自分があんなにも汚いおじさんにこだわっていたのか、今となってはよくわからないくらいだ。いいじゃないか、美女で。

 しかし、美女のウ〇コもやっぱり普通のウ〇コなんだな……いや、さっきのウ〇コが東根先生のウ〇コだという確証はないけれど。


 ふらふらと危なっかしい足取りの東根先生に肩を貸しながら車に向かっていると(東根先生は背が高いから、肩を貸して歩くのが難しかった。)、運転席にいたアンコちゃんが泣きながら手をぶんぶんと振ってきた。

 運転席の窓を開けて、アンコちゃんが声をかけてくる。


「ご、ご無事でよかったです……! さっき、なんか変なのが外を這っていて、クラクションを鳴らしたんですけど……! 全然連絡もなかったので、もしかしたら皆さんの身に何かあったんじゃないかと思って……!」


「それがですね、杠葉さんが東根先生となぜか喧嘩したりして大変だったんですよ、私が止めたんですけどね。なんかよくわからないオバケみたいなやつも私が祓いましたし、まったく杠葉さんたらしょうがない人ですよね。私がいないと全然ダメなんですから」


「あ、あの、ヤマコさん……もうその辺にしておいた方が……後ろで杠葉さんが凄い顔をして見ていますから……」


「ああ、平気ですって。どうせ照れ隠しなんですから。さっき杠葉さんたら、私に高級を奢ってくれるって言い出してですね、ほんとは私のこと大好きなんで――」


「その言葉は二度と口にするなと言ったはずだぞ」


「え? あっ!? ――ギャフンッ!!!?」


 な、殴られた! 頭、ゴスッてされた!!

 さっきは東根先生の首を絞めていたし、杠葉さんってDV男なんじゃないのか!?

 ていうか物凄く痛いぞ、これマジのやつだ……!

 ああ、そうか、そういうことか……杠葉さんは人間だから、攻撃に妖力が込められていないから、スイちゃん由来の妖力ガードでダメージを軽減できないんだ!


「う、うがぁ……あぐっ……い、いぢゃいよおっ……うっ、ひっぐ、ぐすんっ……!」


「あ、あの、ヤマコさん泣いちゃいましたけど……?」


「大妖が俺の拳骨くらいで泣くわけがないだろう。どうせ演技だ、放っておけばいい」


「まあ、ですよね……本気で泣いているように見えますけど、ヤマコさんって意外と演技が上手なんですねー」


「ふざけたやつだ。とにかく、宿へ向かうぞ。一応東根が無事に見つかった時のために一部屋多く予約を取っていたから、とりあえず寝床はどうにかなるとして、途中で何か食べ物を買っていくか」


「助かる、至れり尽くせりだな。ふふ、さっき私の首を絞めた男と同一人物とは思えないくらいだ」


「あれはお前が挑発したからだ。今から飯尾に電話する、途中で電話を代わるから準備しておけ」


「承知した。ではそれまで、私はヤマコの頭でも撫でていようか……閉じ込められてから一度も手を洗っていないが、私のファンならば気にしないだろうからな」


 どういう理屈だそれはと思いつつも、殴られた頭が痛くて抵抗するどころではなかったので、ウ〇コしたりしてるのに何日も洗っていない手でいっぱい撫でられてしまった。


 頭に大きなタンコブをこしらえた私は、明日高級ステーキ屋さんで杠葉さんがギャフンと言うくらいいっぱい食べてやろうと心に誓うのだった。

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