EP - 2
その帰り道、灯美は今度はスマホをいじり、椿萌花の動向についても調べてみた。あかねの友達が彼女と同じ学校だったので、そちら経由で。返事は意外と早く来た。ただ、「椿萌花はスマホでパパ活していたことが親にバレて、スマホを取り上げられたらしい」ということ以外に何もわからなかった。
最後に、安芸山隆一の逮捕の報道をチェックしてみたが、どのニュースでも彼は単独で自首したことになっていた。実に奇妙な話だった。彼の逮捕に一人のカウンセラーが関わっているとしたら、どこかの目ざといマスコミがかぎつけてもよさそうなのに。
みんなの記憶から、先生に関することの一切が消えてる……。カウンセリングの結果は残っているのに……。
その事実を知ったとたん、灯美は急に胸が苦しくなった。どうしてみんな、あんな奇妙な、理不尽なカウンセリングをなかったことにできるのだろう? 意味がわからない。
灯美はすぐにその場から駆け出した。向かったのはもちろん、あのカウンセリングルームだった。考えるより先に体が動いた。本当にあの場所はあったのか、そして、本当にあの男は存在したのか、確かめなければと思った。
だが、そうやって足を動かしても、彼女はウロマのいるところにはたどりつけなかった。例の繁華街をどれだけ練り歩いても、虚間鷹彦カウンセリングルームがあるはずの、あの古びたビルを見つけることができなくなっていたのだ。さらに、カバンの中からあのポケットティッシュを出して見てみると、その広告の紙は美容室のものに変わっていた。
「な、なんで……」
もうバイトをやめると言ったから? だから、何もかもなかったことになったのだろうか? 灯美はいっそう胸が苦しくなった。例え他の全ての人間の記憶からあの男に関することが消えても、自分だけはそうであってはいけない気がした。彼は恩人だ。どんなに性格が腐っていてゆがんでいて、口八丁で常習的に嘘をつき人をだます、まともとは決して言えないカウンセラー風の悪魔じみた存在だろうと、それは揺るぎない事実だ。だから、自分だけは絶対に忘れてはいけない気がした。
「せ、先生! ウロマ先生! 悪口言ってごめんなさい! バイトやめるなんてもう言わないから、出てきてください! お願い!」
やがて彼女は道の真ん中で叫んでいた。当然そばを行きかう通行人たちが不思議そうにそんな彼女を見るが、もはやそれらの視線などどうでもよかった。ただ、彼とすごした時間をなかったことにしたくないという気持ちだけがあった。
すると直後、彼女はすぐ目の前にあの古びたビルがあるのを発見した。それはずっとそこにあったようで、けれども今の今まで視界に入っていなかったような雰囲気だった。
「先生――」
灯美は即座にその中に飛び込んだ。そして、階段を駆け上がり、三階の虚間鷹彦カウンセリングルームに向かった。
だが、なんということだろう。その扉は今は「準備中」の札があり、鍵がかかっていて中に入れなくなっていた。
「な、なんで……」
よりによって今はいないんだろう。あの男は、基本的に毎日死ぬほど暇なはずなのに。準備中の札なんて今まで見たことなかったのに!
念のため、上の階の住居スペースのほうにも行ってみたが、やはりそこも鍵がかかっていて、ウロマはいないようだった。灯美はとぼとぼと階段を降り、カウンセリングルームの扉の前に戻った。なんだかウロマにはもう二度と会えないような気持ちになってきた。そして、そう考えると不安で胸がいっぱいになってきた。
「いきなり雲隠れなんて……性格悪すぎじゃない……」
その場に座り込み、ついには泣き出してしまった。自分から一方的に別れを宣言しておきながらこれであった。
だが、そこでにわかに、誰かが階段を上がってくる足音が聞こえてきた。灯美ははっとして、すぐに立ち上がり、手すり越しに下を見下ろした。すると、ちょうど白衣の男が、こちらに上がってくるところだった。手には錠菓がいっぱいに入ったレジ袋を携えており、動くたびにその擦れる音が聞こえてくる。
「先生!」
「おや、もうここには来ないんじゃなかったんですか、灯美さん?」
ウロマは灯美を見上げると、にやりと、意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「べ、別にいいでしょう! それよりなんですか、その大荷物!」
「何って食べるに決まってるじゃないですか」
ウロマは灯美のすぐそばまで来ると、レジ袋の中から錠菓を一つ取り出し、これ見よがしにそれを開封して、一粒食べた。なんだか妙になつかしいやりとりだ。
「相変わらず中毒なんですね」
灯美は思わず笑ってしまった。張り詰めていたものが一気にゆるんだような気がした。
「あなたのぶんもありますよ、また三時のおやつにでもどうぞ」
と、ウロマはレジ袋の中から例の、ピンクの錠菓を取り出し、灯美に手渡した。そして、カウンセリングルームの扉の鍵を開け、一人でさっさと中に入った。
まさかこれ、自分のために買ってきてくれたのだろうか? ピンクは好きじゃない味だって言っていたし……。そう考えると、灯美はまた気持ちがほっこりして、笑ってしまった。
だが、直後、ウロマに続いてカウンセリングルームの中に入ったところで、その気持ちは驚きと呆れに変わった。室内は、錠菓の容器が大量に散乱していたからだ。おそらくは、全部食べ終わった後の空の容器だろう。
「なんでこんなに散らかって……」
「なに、ただのオーバードーズです。僕にとってはよくあることなんですよ」
「いや、そんな何かの薬みたいな言い方しなくても」
ただのお菓子だし、ただの過食だし。というか、そもそもなんで急に、こんなに大量に食べ散らかしているのだろう? このありさまはまるで――と、そこで灯美ははっと気づいた。
「先生、もしかして、私にボロクソに言われたから、それでムシャクシャしてヤケ食いを――」
「するわけないでしょう。あなたの稚拙極まりない言葉で、僕のメンタルがどうにかなるわけない。そんなふざけた想像をするのはやめていただきたい。実に不快です」
ウロマは、むきになったように早口で言うと、灯美をじろっとにらんだ。
「そ、そうですよね……」
どう見ても図星な、この反応。灯美は吹き出したいのをこらえてうなずいた。どうせこういうことを深く追求しても、間違いなくうざい屁理屈を並べてかわすだけで、正直なことは言わない男だろうし。
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