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「目の悩みというのはさすがに専門外でしょうか?」
「どうでしょう。目の悩みと言っても色々です。もしかしたら、僕なりに何かお力になれるかもしれません。詳しく話していただけませんか」
「じ、実は……私の左目には黒猫の悪霊がとりついているんです!」
と、男は思い切ったように叫んだが、ウロマは「はあ、なるほど。悪霊ですか」と、リアクションが薄かった。男はちょっと拍子抜けしたようだった。
「それで、具体的にどういうことが起こるのです? 黒猫の霊が、夜な夜なあなたの枕元に立つのですか? いや、猫だから、立ちはしないか……香箱座りとか?」
「いえ、そういうのはないです。というか、霊の存在はここではありなのですか?」
「あなたがそれを霊だというのなら、ありなのです。この空間では基本的にそういうルールです」
「え、あ、はい……」
「話を続けてください。あなたにとり付いている黒猫の霊はいったい何をするのですか?」
「それは――これです」
男はそこで、ガーゼの眼帯を顔から外した。左目があらわになった。そのまぶたは、肌色のテープが貼られ、閉じた状態に固定されていた。まるで封印だ。
「私が左目を開けると、その視界に黒猫の影が入り込んでくるのです。どこでも、いつでも。だから私は左目を開けられずにいるのです」
「なるほど、それで眼帯を」
ぽんと、ウロマは納得したように手を叩いた。
「しかし、その症状だと、まるで飛蚊症ですね。それでできた視界の小さな影が猫に見えているだけなのでは――」
「違います! 確かに元々、私の左目には飛蚊症があったのです! しかし、その影は猫に見えることはありませんでした。つい先日までは」
「つまり、つい先日、急にその見え方が変わったと? 飛蚊症で視界の中を泳ぐ影が黒猫の形になったと?」
「そうです。それで左目を開けられずに、困っているのです……」
男はさらに、ここに来るまでに、色々な病院で目を見てもらったこと、それで軽度の飛蚊症以外に特に異常が見つからなかったことを話した。あくまで左目の異常は黒猫の影だけで、視野や視力や色覚などは問題ないらしい。もちろん、目だけではなく脳も念のため検査してもらったが、やはり異常は見つからなかったそうだ。
「病院めぐりの後は、神社に行ってお祓いをしてもらいました。しかし、それでも、左目の黒猫の悪霊は消えなくて……」
「ところでなぜ、悪霊なんでしょうか」
「はい?」
「霊だとしても、あなたのちょっと視界にイタズラをする程度でしょう。悪霊と呼ぶこともないのでは。むしろ、あなたの左目に宿った守護霊的なものなのかもしれませんし」
「いえ、悪霊です! そいつは私のことを恨んでいるに違いないのです!」
「そいつ? 恨んで?」
「はい、実は今からちょうど一ヶ月前の夜、うっかり車で轢いてしまったのです……黒い猫を」
男はそこで重苦しく息を吐いた。思い出すのも嫌な体験のようだった。
「その日はちょうどかなり遅くまで会社で仕事をしていて、車で家路に着いたのは日付が変わったころでした。会社から私の家までは一つ山を越えなければなりませんでした。その日も、いつもどおりに夜の山道を、車で走っていたんです。すると、とあるカーブにさしかかったところで、突然道路わきの茂みから黒い影が飛び出してきて、気がついたときには――」
「はねていたんですね」
「はい。次の瞬間にはドンと、勢いよく……。轢く直前、黒猫が一瞬こっちに振り返ったんですが、その瞳がギラギラと光っていたのがいやに目に焼きついています」
「はあ。すると、もしや、その直後からあなたの左目に黒猫の影が宿ったのですか」
「ええ。まさに黒猫の悪霊としか言えません」
どうしたらいいのでしょう、と、男はうなだれた。心底まいっているようだった。
「なるほど。話を伺う限り、轢き殺してしまった黒猫の霊にとりつかれているとしか思えない状態ですね。まるでポーの『黒猫』だ」
「ポー? 作家か何かですか?」
「はい。エドガー・アラン・ポーです」
「ああ、知ってますよ。怪人二十面相とかの作者でしょう」
「いえ、その江戸川さんのペンネームの元ネタになった作家です。『黒猫』は、彼の掌編の一つです。主人公の男は酒びたりの暮らしの中で心を病み、ある日、ペットとしてかわいがっていたプルートーという名前の黒猫を殺してしまいます。やがて、彼は改心し、新しく違う黒猫を飼い始めるのですが、次第に、それにかつて自分が殺したプルートーの面影を見出し、おびえるようになる、というストーリーです」
「へえ、死んだ黒猫の幻影ですか。まあ、黒猫は不吉の象徴ですからねえ」
「この話をどこかで見聞きしたことはありますか?」
「いえ、今初めて聞きました」
「では、無意識のうちにポー先生の作品をインスパイアして、黒猫の幻影を再現しているというわけでもなさそうですね」
「無意識のうちに、ですか……。つまり、あなたは、私のこの目の異常は、精神的なものだと考えているのですか?」
「まあ、そうですね。何事もそういうふうに疑うのが僕の仕事なので」
ウロマはにやりと笑った。
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