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「では、灯美さん、また唐突にお尋ねしますが、お母さんが作ってくれた今日のお弁当のメニューは何でしたか?」
「は?」
「あと、おいしかったか、まずかったかといった、味の感想とか」
「なんでそんなの言わなくちゃいけないのよ」
「はは、これも大事なことなのです。まず、今日のお昼に食べたお弁当について、ちゃんと思い出せるかどうか。これは記憶力のテストです。そして、その味について、きちんと感想を言えるかどうか。これはあなたの味覚が正常に働いているかの確認です。ここだけの話、最近は若い人にも多いのですよ? 記憶力がおぼつかなかったり、味覚に障害があったり。まあ、あなたの場合は、そうでもないのでしょうが、あくまで、念のため――念のための確認なのです。さ、僕の質問にさくっと、さらっと、即答して下さいませ」
「え、いや、その……」
「まずは今日のお弁当のメニューについてです」
「メニュー? た、確か牛肉の何か……」
まずい。自分で食べたものではないので、記憶が限りなく不確かだ。
「おやおや? 今日のお昼に食べたものについて、ろくに思い出せない様子ですね? こりゃあ、若いみそらで、かなりの忘れんぼうさんですね? 気の毒に」
「ち、違うわよ! ただのド忘れよ!」
「そうですか。では、味はどうでしたか?」
「味? おいしかったって言ってたわよ」
「言ってた?」
「ち、ちが! おいしかったわよ! ちゃんと!」
「本当に?」
ウロマは目を細めて、いかにも訝しげに灯美を見つめた。
「では、具体的に何がどう美味しかったのか、食レポしていただきましょうか。五秒以内に」
「え、五秒?」
「さん、に、いち……ハイ、時間切れです。あなたの言葉の正当性は、たった今、すっからかんに失われてしまいました」
「ちょっと待ちなさいよ! なんで五秒以内なのに、三からカウントしてるのよ!」
「嘘つきの灯美さんに口答えは許しません。どうせ、本当は食べてないんでしょう、このお弁当の中身を」
「それは、その……」
「さきほどの口調からして、友達か誰かに代わりに食べてもらったってところですかね? なぜ自分でお弁当を食べなかったのでしょうか。せっかくお母さんが作ってくれたというのに」
「きょ、今日のは嫌いなおかずが入っていたから――」
「ハイ、言質いただきました。嫌いなおかずが入っていた、とね。おかしな発言ですねえ? さっき、僕がお弁当のメニューを尋ねたときには、牛肉の何か、としか答えられなかったのに、嫌いなメニューだったことは覚えているんですか。まさか、牛肉の何かとやらが嫌いなメニューなんですかねえ? それにしたって、何かって曖昧な言い回しはないですよねえ?」
「う……」
しまった。うっかり変なことを言ってしまった。
「灯美さん、どうしてさっきからこのお弁当に関して、出まかせばかりを言うのですか? あなたにとって、何か触れられたくないことがあるのですか?」
「べ、別に……」
「例えば、このお弁当が気に入らなかった――いや、むしろ、お弁当そのものではなく、作った人間が気に入らなかった、とか?」
「い、いちいちうるさいわね!」
「あなたが本当のことを言わないから悪いのです。嘘つきはねっとりじっくり僕の尋問を受けてもらうのです」
ウロマはそう言うと、ふと立ち上がり、灯美のすぐ前までやってきた。そして、前かがみになり、灯美の顔を正面からじーっと眺めながら「さあ」と、詰問してきた。うっとうしいことこの上ない。灯美がそっぽ向けば、その方向に回り込んでくる。その濁った双眸がじりじりと迫ってくる。
「もう! わかったわよ! 言うわよ、全部!」
さすがに耐え切れなくなり、灯美は叫んだ。
「あんたがさっき言ったとおりよ! 私はそのお弁当を作った女が嫌いなの! だから、その中身を友達に食べてもらったの!」
と、白状したとたん、灯美は取り繕うのがめんどくさくなってきた。自分の家庭事情、義母とのぎくしゃくした関係などを、包み隠さずぶちまけた。
「ほほう。それはなかなか、円満とはとうてい呼べない家庭のありようですね」
ウロマは自分の椅子に戻りながら言った。勝ち誇ったような、実に満足そうな表情で。
「では、先ほど話していただいた、灯美さんのその肌の色の異常の原因となった、紐が首に引っかかる面妖極まりない事件も、その円満ではない家庭のありように理由があるのでしょうねえ、きっと。おそらく。たぶん……ねえ?」
ウロマは再び濁った瞳で、じーっと灯美を見つめた。まるで全てを見透かした上で、圧力をかけているようだった。これももう、適当にごまかすのは難しいような雰囲気だ。灯美はさすがに観念し、真実を話すことにした。
「そうよ。あんたの考えてるとおりよ。これは、その女とのことがきっかけでできたの。私、あいつを驚かそうとしたのよ。うっとうしかったから、こういうことをすれば、私にドン引きするんじゃないかって。本気じゃなかったの。それで、その……私、首吊り自殺の真似をしてみたの」
「ほほう! 首を吊ったわけですね? それで紐が首に引っかかったというわけだ。なんと危険な話でしょう」
「え、演技よ、あくまで! ぜったいに死なないように、ちゃんと気をつけていたんだから!」
灯美は精一杯叫んだ。そうだ、本当に、あれはいたずらのようなものだったのだ。ただの、出来心だったのだ。
「や、やり方はこうよ。私が部屋にいて、あいつが何かの用で私の部屋に来るじゃない? それで、ノックしてくるじゃない? そのとき、私は部屋の中から、あいつを力いっぱい罵って、直後に、カーテンレールに引っ掛けた紐で首を吊るの。そういう手はずだったの。もちろん、紐にはあらかじめ細工をしておいて、絶対に首が絞まらないようにしていたわ」
「なるほど、扉を開けた瞬間、目の前で娘が首を吊っている……。母親としては、実に肝の冷える光景ですね。成功すれば、の話ですが?」
「そうね。成功、すれば……ね」
思えば、自分は実にくだらないことをしたものだと思う。ウロマに打ち明けるほどに、恥ずかしさがこみあげてくる。
「結果はその……お粗末なものよ。あいつが部屋の扉を開けた瞬間、私は首を吊ったわけだけれど、ほんの一瞬でその紐は切れちゃったのよ。だから私は、アイツの目の前で、カーペットの上に倒れただけに終わったの。あいつは当然、すぐに何事かと尋ねてきたけど、本当のことなんて、言えるわけないし……」
「まあ、自殺に失敗してずっこけたなんて、本気であろうと、フェイクであろうと、恥ずかしくて言えませんよねえ」
にやにや。ウロマは意地悪そうにほくそ笑んでいる。灯美はますます顔が熱くなるのを感じた。
「そ、そういうわけで、紐が首に引っかかったの! それで、その直後から、私の体はこうなっちゃったの! これがことの顛末の全てよ!」
「全て? いいえ、それは違うと思いますが?」
「何よ? もうあんたに話すことなんて何もないわよ?」
「そうですね。灯美さんの狭められた認識においては、今話されたことが全てと言えるのかもしれませんが、僕はそうだとは思わないのです。そう……とても大事なことが抜け落ちています」
「大事なこと? 何よ?」
「あなたの本当の気持ちですよ、灯美さん」
と、ウロマはまたしても唐突に何かを白衣のポケットから出し、掲げた。見ると、それは、灯美の財布だった。カバンの中に入れておいたはずのものだ。
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