銀色と金色の誰か

 自然豊かと言っていいかは微妙なこの公園で、俺とマリナは日が暮れるまでお互いの話をした。


 恋人になる以上は、お互いのことを可能な限り知りたいというマリナの提案からである。

 ベンチに一緒に座りながら手を繋ぎ、風に揺れる木々と夕日のコントラストを肴にマリナの身の上話を聞いた。


 勇者であった両親は物心ついたころには他界しており、剣術と魔法両方の道場の師範代であるメーディアという女性が母親代わりとなり、いつか自分も勇者として名を馳せるべく鍛錬をしながら生活をしてきたとのことだった。


「メーディアは私のことを本当の娘のように育ててくれました。剣術も魔法も厳しく教わりました。あまり私は優秀ではなかったようで、よく怒られましたけど」

「メーディアさんに会いたいとは思わないかい?」

「……はい、もし可能ならまた会いたいです」


 やはり、マリナは元の世界に戻ることが一番望ましいだろう。

 右も左も分からない、知る人もほぼいない地球ここでは、いつか張りつめて切れてしまうかもしれない。


「また会えたら、ユウスケ様のことを話します。一生従えるべき男性に巡り合えた、と」


 透き通るような声で恥ずかしげもなく言い放つマリナに、俺は顔に熱を帯びていくのが分かる。

 良く考えなくてもかなり恥ずかしいな。


 街灯が灯り、完全に日が落ちてから俺とマリナは帰路に就く。

 道中も手を繋いだままで、漸く緊張よりも湧き上がる嬉しさが勝ってきた頃合いでマリナが口を開いた。


「それにしてもユウスケ様、この世界にもプロフェットのように力がある人もいるのですね」

「ん? る力って?」

「はい、師匠のことです」

「つかさか? アイツの言うことを真に受けちゃだめだよマリナ。師匠なんて柄じゃないだろ、アイツ」


 マリナの方を見て呆れ顔を作りながらそう言うと、意外にも怪訝な顔を返してきた。


「はあ……ですけど、師匠は何でもお見通しでした」

「お見通しって」


 マリナも人が良いよな。

 少しは疑うって事を知った方が良いぞ。アイツはただのアホだ。


「具体的に何がお見通しだったのさ」

「はい、師匠は私の住む国プリュギアの事や、魔法の事、やプロフェットの事なんかもご存じでした」


 マリナのこの言葉に俺は足が止まった。

 というか言葉も思考も瞬きも全部止まった。


 そして遅れて脳が温い混乱を告げている。


「つかさが何を知ってたって?」

「……ですから、私の国の事や――」


 マリナの続く言葉は確かに鼓膜に響いてはいたが、シナプスはそれを脳に伝達してはくれなかった。

 代わりに渦巻く紫色の感情が思考を支配し始めた。

 同時に思い出すヘカテーの言葉。


 ――あの女の方、只者じゃないようですわね。

 ――あの女の方はマリナストライアやわたくしのことを恐らく知っていますわね。


 高校からの友達である秋山つかさ、彼女がどうしてついこの間やってきたばかりの異世界からの転生者のことを知っている?


 俺はつかさにマリナの説明をしたとき、殆ど簡潔にしか話していない。

 それに俺ですらを、どうして知っているのだ。


 まさか――いや、ヘカテーは言っていた。つかさは生まれも育ちも地球の人間と。

 ではどうして――。


「ユウスケ様?」


 マリナの心配げな声で、俺は我に返る。

 目の前に綺麗な青い瞳のマリナの不安そうな顔があった。


「ああ、ごめん。そっか、それで師匠って呼んでるのか」

「はい、私の相談にも乗ってくれましたし、私の世界の事を知ってくれている人が居たことに、私も少し舞い上がってしまって……」


 僅かに顔に朱を差して、サイドテールを垂らしながら斜め下に俯くマリナ。

 俺の視神経はそれを愛おしく映すが、裏腹に思考はもやが深くなっていく。


 どういうことなのか全くわからない。


 裏切られたような不協和音的感情を悟られないように無理矢理に笑顔を作って、「行こうか」と発して歩み始める自分が少しぎこちなくて気持ちが悪かった。


 つかさに直接、どういうことかを確認しなければいけないな。


 * * *


 自宅に着くと、ヘカテーはいつもの黒い地雷服で居間でふわふわと浮いていた。

 一緒に帰ってきた俺とマリナを横目で見るなり、


「あら、双方から甘い色欲の香りがしますわね。少しくさいですわ」


 などと言ってきた。しかしその表情は明るく見える。

 ヘカテーも俺とマリナが恋人になる事を少なからず祝福してくれているのだろうか。


 マリナが「着替えてきます」と俺の部屋に向かう。

 思い出したかのように疲労感が一気に押し寄せてきて、俺は静かに椅子に座った。


「ヘカテーちゃん、お留守番ありがとう、何も問題はなかった?」


 頼んだわけではないが、ずっと家に居たヘカテーに向けて俺はそう言った。

 するとヘカテーは赤と紫の眼を薄めて、口を突き出しながら、


「そうですわね。何もありませんですわ」

「まだ?」

「ええ」


 ふわふわ浮いていたヘカテーが俺の対面の椅子に座る。


「もうすぐ起こりますわ」

「何が?」

「そうですわね……人間にとっては面倒な事、ですわね」


 明らかに不機嫌な顔で赤い髪を弄りながら言い放つヘカテーの言葉の意味が分からなく、俺がどういうことかを具に訊こうとした瞬間、


「キャァアアアアアアアアア!!」


 俺の部屋から悲鳴が聞こえた。

 マリナの悲鳴だ。


「来ましたわ。まあ精々頑張るといいですわ、人間」


 ヘカテーが口角だけニヤリとしながら鋭い目つきでそう言った。


 一体今度は何が起こるんだよ!

 もうこれ以上問題を増やさないでくれ!

 明日から仕事なんだよ!


 心の中で叫びながら俺の部屋に走って向かい、ドアを開ける。


「マリナ! 大丈夫……か……」


 飛び込んできた光景は、俺のベッドの上で仰向けになる上下淡いブルーの下着姿のマリナと、その上に馬乗りになっている少女。

 セミロングの銀髪で、ヒラヒラが多めの純白のワンピースを着る、またしても見知らぬ少女だった。


 マリナは半裸で必死に銀髪の少女の顔面を両手で押さえている。

 しかしじわりじわりと銀髪少女の顔はマリナの顔に近づいている。


「ユウスケ、様! 助け、て」


 片目を瞑り苦しそうにそう言うマリナの上に乗る銀髪少女を、俺は止めさせようと近づいたところ、銀髪少女は顔をゆっくり動かし、猫のような金色の眼をギロリとこちらに向けた。


「Φ★δ※Θ☆ξ◇λ↑」


 銀髪の口からは、日本語ではない言葉が発せられた。

 直後鈍い動きで銀髪少女はマリナの上から動き、俺のもとへトボトボと歩いてくる。

 金色の瞳に見つめられ、俺はどうしてか身体が石のように固まって動かなくなった。


「ユウスケ様!」


 マリナの必死な掠れ声が聴こえたが、それを厭わずに俺にどんどん近づく銀髪の少女。

 眼だけでマリナの方を見ると、どうやらマリナも身体の自由が利かない様で、ギリギリと壊れかけの機械のような動きしかできていなかった。


 銀髪は俺の真ん前で止まり、


「☆δΔ∽Ξ▼!」


 またしても異言語を口にし、俺の両肩をガシリと掴んだ。

 そのまま控えめに口を開き、更に近づく。え?

 ちょ、ちょっと? これって?


 接触する! と思った瞬間に、


「ティポータ」


 俺の部屋の入口側から声がし、同時に銀髪少女は静止した。

 全く動けない俺と、僅かにしか動けないマリナが居る部屋にペタペタと入ってくる声の主。

 赤い髪で溜息をつくヘカテーだった。


「はあ、やれやれ、ですわ。わたくしにとっては人間がどうなろうと知ったことではないですけれど、マリナストライアが悲しむのは見たくないですわ」


 ヘカテーは意味不明なことを言いながらマリナのもとに歩み寄り、手のひらをマリナに向け、


「アッファーロ」


 またしてもよく分からない魔法を唱えた。

 途端にマリナは身体が動くようになったようだった。


「ユウスケ様、大丈夫ですか!」


 真っ先に俺のもとに向かってくるマリナ。

 しかし、半裸である。

 眼のやり場に困るものの、目蓋すら硬直して動かせない。


「マリナストライア。とりあえず、服を着たらどうなんですの?」


 ヘカテーの言葉にマリナは顔を一気に真っ赤にして、うずくまるようにその場にしゃがんでしまった。あ、気付いてなかったのね。


「この子をティポータで止めたのは一時的なもので、数十分もすればまた動く様になるはずですわ」


 それだけ言い残すと、ヘカテーは赤い長髪を派手に手で払い、俺の部屋から出て行った。


 俺の部屋には、取り残される俺と、うずくまるマリナと、止まった銀髪少女。

 誰も言葉を発さず、動きもしない。


 いやあの、ヘカテーさん、そのアッファーロだかで俺も動けるようにしてくれませんか。

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